第12話 大雨のあとでばったりと(駅ナカ編)

 バーベキューをきっかけに、彰人とはひんぱんにLIMEするようになった。


 彼は、ポンコツ会社員の私にとって高嶺の花。

 今は彼女がいないから付き合ってくれてるんだろうけど、彼と個人的に繋がりがあることで、私はずいぶんとネガティブから解放されてきている。


(このままいったら、お付き合いできるのかな……)


 上手くいくように神社で恋愛成就のお守りでも買ってみようか。

 それとも、よく当たるという銀座の占い師に見てもらおうか。


 悩んで、ふと思う。

 魔女なら、自分で恋愛成就の魔法をかけることができるかもしれない。


「ねえ、クロ。魔女ってどんな仕事なの?」


 へたったビーズクッションから起き上がる。


 クロは、ベランダで山盛りの洗濯物を干していた。

 六月なのに梅雨の気配もないカラリとした陽気なので、夕方までには乾くだろう。


 黒猫の刺繍が入れられたタオルをピンチハンガーで挟む手は器用だ。


「魔女というのは職業ではなく生き様にゃ。ルナを思い出すにゃ。自然を愛し、何が起きても穏やかに過ごし、悩みや困り事を抱える人間の訴えに耳を傾けて、薬を授けたり、まじないをかけたり――」


「それ! 魔女になったら、恋を叶える魔法も使えるようになる?」

「たわけにゃ。人の心を変える魔法なんてものはにゃい!」


 Tシャツの皺をパンと伸ばしながら、クロは首を振った。


「そうなんだ……。じゃあ魔女になるのやめよ」


 再びコロンとクッションに転がると、呆れた声が降ってきた。


「せっかくの休日をゴロゴロして終わるつもりかにゃ? そんな後ろ向きでは魔女になんて到底なれんにゃ。彰人を誘ってデートでもして来るにゃあ!」


「向こうは私をそういう相手だと思ってないよ。誘っても引かれるだけ」


 暗いスマホの画面を指でつつく。

 新しいメッセージは来ていないようだ。


 チャットアプリを開いても、彰人とのトーク画面は私から送った『おやすみ』で終わっている。


 既読は昨晩のうちについていた。

 今日の動きは、ない。


(他の子とデートかな……)


 これ以上、彰人と私の距離感が縮まることはないとわかっていた。

 でも、他の出会いを探す気力もなくて、婚活パーティーの検索も進まない。


 クッションに顔をうずめて脱力したら、大きな溜息が聞こえた。


「ルナのようになる日はいつのことやらにゃ」



 ୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧



 定時に仕事を切り上げて、さあ帰ろうと思ったら急な土砂降りに見舞われた。

 晴れた日が多いから忘れがちだったけど、まだ梅雨開けは宣言されていない。


 せめてもう少し雨が弱まれば。

 社屋の玄関先で暗い空を見上げていると、心配そうな表情の麻理恵が現れた。


「やっぱりここにいた。すごい雨ね。車で送っていこうか?」

「大丈夫だよ。こんなこともあろうかと折りたたみ傘を持ってきているから。私が雨女だって、麻理恵も知ってるでしょ?」


 トートバッグから紺色の傘を取り出す。

 私はよく雨に降られるのだ。


 大切な予定がある日はだいたい雨。

 天気予報が快晴だろうと通り雨に見舞われる。

 だから、運動会や体育祭はいつも屋内だった。


 クロが言うには、私が雨に降られるのは恵みの雨に愛されている証らしいが、濡れるのは嫌なのでどうせなら太陽に愛されたかった。


「麻理恵はコラボの件で今日も残業でしょ。様子を見に来てくれてありがとう」

「いいのよ。カフェインをぶっこもうと思って、そこのコンビニに行くついでだったの。締切が近いからいい加減、片付けたいのよね」


 プリュミエールのビルの一階には、青と白がテーマカラーのコンビニがあり、麻理恵はそこで買えるエナジードリンクをよく飲んでいた。

 馬力を出したい時のガソリンなのだという。


 うらやましい。自分の才能を、思いきりぶつけられる仕事をする麻理恵が。

 しかも彼女は仕事一辺倒ではなく、結婚と出産も経験し、現在は港区のタワマンで小学生の息子を育てている。


颯太そうた君は大丈夫なの?」

「旦那が見てくれてるわ。じゃあ、もう行くわね。帰り気をつけて」


 よほど忙しいのか、麻理恵は手を振ってコンビニに消えていった。


 雨の勢いが弱まってきたので、思い切って外に飛び出す。

 見込みが甘かったのが、すぐに雨粒が大きくなった。


 強いビル風にのって、シャワーのように吹き付ける。

 地面からはね返る水しぶきはストッキングを濡らした。


 駅にたどり着く頃には、傘でなんとか守れた頭以外の全身がビシャビシャだった。


「さ、最悪……」


 この状態で満員電車に乗ったら、不快指数はマックスである。


 せめて何か拭くものをと改札近くのキオスクに入る。

 入り口の近くで、私立校の指定鞄である本革のランドセルを背負った小学生が、プリュミエールで発行しているキャラクター新聞を立ち読みしていた。


 見慣れた顔に、私は眉をひそめる。


「颯太君?」


 それは麻理恵の息子だった。

 小学二年生の彼は、現代っ子らしく手足がすらりと細くて長い。顔つきも聡明そうで、子ども時代の自分と比べても大人びていた。


 大リーグの野球帽を被っているが見る専門で、趣味はプログラミングなのだと麻理恵が話していた。


「バーベキューぶりだね。あの時は家まで送ってくれてありがとう。今日はお父さんと来てるの?」

「ううん。ママは?」


 聞き取りづらい、ぼそっとした声で尋ねられた。


「颯太君のお母さんは、今日も残業みたいだよ。今度、遊園地と『きょうりゅうバンビーノ』がコラボすることになったんだ。そのためのイラストを、ぜんぶ一から書いてるの」


 キャラクター制作会社では、複数のイラストレータ―が同じキャラクターを担当することが多い。

 しかし、『きょうりゅうバンビーノ』はデザインした麻理恵が一人で描く。


 色彩や印刷物の監修も彼女一人にゆだねられていた。補助チームはあるものの、各所へのメールや打ち合わせ日の調整が主である。


 麻理恵の姿勢を見ていると、キャラクターは商品である以前に、デザイナーの愛がこもった大切な作品だと思い知らされる。


「また帰ってこないんだ……」


 颯太は暗い目で新聞をラックに戻すと、足早に立ち去ろうとした。


 様子がおかしい。とっさに私は彼の腕を掴んで引き戻す。


「ちょっと待った。颯太君、お父さんとは、どこかで待ち合わせ?」

「夜まで仕事。夕飯代はパパから電子マネーでもらってるから問題ないよ」


 首から下げた交通系ICカードは、『ゆるゆるトリケラ』のケースに包まれていた。

 麻理恵の話では、颯太の面倒は彼女の夫が見ているはずだけど……。


(話が違う!)


 残業はいつまでか知らないが、こんな悪天候の夜に、小学生を一人にしておけない。

 離してほしそうに見つめてくる彼に、私はこう提案していた。


「おごるから、一緒に夕ご飯を食べよう!」

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