第4話 魔女の孫娘と呼ばれても
「ルナって、私のおばあちゃんの名前!」
私の祖母、真城ルナは白髪まじりの栗毛を大きなスカーフでくるみ、丸い眼鏡をかけた愛嬌のある老婦人だった。
話好きで、料理上手で、たくさんの人に慕われていた。
お菓子を焼き上げると、おいしくなる魔法をかけると言って、木の杖をふるって不思議な呪文を唱えていたっけ。
だから私は、それなりに大きくなるまで祖母は魔女なのだと思っていた。
どうしてそのことを猫が知っているのだろう。
いや、そもそも、猫が話すなんておかしい。
黒猫は驚く私を見て、ニヤニヤとチェシャ猫みたいに笑った。
「そろそろ困り事が増えてきたのではと思ってにゃあ。魔女の素質がある者は、その力ゆえに人間社会になじめずに苦しんで――って貴様、何をするにゃ!」
ひょいっと黒猫を掴んだ私は、ひっくり返して電源ボタンを探った。
最近はAIを活用して、人を認識して移動したり笑いかけたりするペットロボットが開発されている。
あたかもペット自ら鳴いているように音を出す機種もある。
きっとこの黒猫もそのたぐいだろう。
もふもふで撫で心地のいいお腹の辺りを触るが、ボタンは見つからない。
「お腹にないとなると頭の方かな。どれどれ……」
「や、やめろにゃ! ワシはくすぐられるのが弱点で……うみゃう~♡」
嬉しそうにごろごろと喉を鳴らし始めた猫。
温かな体がさらに熱くなった気がした。
人肌に似た温度に触れていると、なぜだか私の空虚感はすっと引いていった。
「落とし物だよね、きっと。今から交番に届けるのは大変だから明日にしよう」
落ち込み疲れしていた私は、黒猫ロボットを抱き上げて公園を歩き出した。
ごろごろ喉を鳴らしていた猫は、アパートに帰りつく頃には満足して眠っていた。
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翌日は、目覚まし時計が鳴る前に自然と起きた。
ドリップ珈琲をいれて、バターとジャムを塗ったトーストを食べ、紺色の地味なワンピースに袖を通して腕時計を巻く。
髪はゴムで簡単にお団子にした。
鍵をしっかり閉めて駅に着いたら、いつもギリギリで飛び乗る電車の二本前に乗り込む。
ぎちぎちに混雑していない車内でスマホをチェックして、線路で足止めされることもなく無事に会社にたどり着いた。
「すごい、何も起こらなかった……!」
こんなに落ち着いた朝は久しぶりだ。
鶴下部長は昨日お誕生日だったらしく、娘さんに贈られたプリュミエール製のネクタイを巻いて上機嫌で、午前中は何事もなくお仕事完了。
昼食時に、麻理恵に婚活パーティーで惨敗したと話すと、自分のことのように残念がられた。
彼女はハピネステディ好きな男性が話しかけてくる展開を夢見ていたようだが、現実はそう甘くない。
午後には、オンラインショップの注文を倉庫から全自動で発送するシステムが発表された。
田中からシステムの調整が終わった報告と、私のおかげでシステム調整の機会が与えられたことに関するお礼の手紙が、なぜか彰人の手で部署に届いた。
そして、これまたなぜか彰人は私の机に立ち寄った。
「お疲れ様、真城さん。お礼にこれあげる」
ぶらんと垂れ下がるのは、カフェテラスで使える十枚つづりのお食事券だった。
それを見て、遠くの机からスピーカー三銃士の悲鳴が上がる。
「なんで広田さんが!?」って、その理由、私も知りたい。
「えっと、お礼される覚えがないんですけど?」
「昨日、ハピネステディのジャージで高級ホテルに行ったよね。ちょうど滞在していた海外のインフルエンサ―がそれを見たらしくて、『最高にkawaiiものを見つけた』って配信してたよ」
彰人がスマホで見せてくれたアーカイブ動画では、ラテン系のウェーブヘアの女性が興奮した様子で話しながら、歩く私の後ろをついてきていた。
正面からは映されていないものの、見る人が見れば私だと丸わかりだ。
背景に見えるのは、婚活パーティーが開かれたホテルのロビーだ。
「いつの間に……」
「これを見た海外の視聴者からの問い合わせと注文が殺到してるんだ。おかげで、俺が押してた海外旗艦店のリニューアルプロジェクトも通ったよ。だから、お礼」
「そういうことなら、ありがとうございます」
両手で券を受け取ると、三銃士が「いやふわああああ」と悲鳴なのか溜息なのかわからない声を上げた。
いや、だから彼とはそういうんじゃないんだってば。
またね、と告げて去っていった彰人。後ろ姿までイケてるのは何なのか。
その後の私が、三人の嫉妬にかられた女たちの棘のある視線に耐えたのは言うまでもない。
定時に仕事を終えて帰路につく。
トラブルなく電車を降りて、アパートの最寄り駅を出て、通りかかった小さな交番の赤いパトランプを見て、唐突に思い出した。
「そういえば、昨日拾った黒猫ロボット、どうしたっけ?」
落とし物だから届けなきゃ、と家に連れ帰ったペットロボット。
今日の帰りに交番に寄ろうと思って、エコバッグに入れて玄関の近くに置いておいた。で、そのまま忘れていた。
今朝、玄関にはいなかったような気がするけれど、見落としていたかもしれない。
なにせ私はポンコツなのだ。
今頃、持ち主は探し回っているかもしれない。
私は一目散に駆け出した。
コンクリート塀の横をまっすぐ、錆びたカーブミラーのある十字路を左へ。
そこから十メートルほど進んだ先にある、蔦で覆われた古めかしいアパートが私の住まいだ。
外階段の下をくぐり、最奥にある扉にハピネステディのラバーマスコットをつけた鍵を差し込んで、回した。
「猫ちゃん、ただいま!」
「おかえりにゃ」
返事をしたのは、玄関に仁王立ちした男だった。
黒々とした絹のような髪は目にかかるくらいで、密度のあるまつ毛に彩られた切れ長の瞳は青。
高い鼻は少し丸みがあって、小生意気そうな笑みを浮かべた唇は逆Mの字を描いている。
このまま彫像になって美術館に飾られてもおかしくないような、スチール写真を撮られる女性誌の俳優のような、ずば抜けた美貌だ。
私の視線は、猫のしっぽのように長い襟足と、日焼けとは縁がなさそうな真っ白な肌に下りる。
というか、もう肌にしか目がいかない。
なんと男は、布切れ一つ巻いていない全裸だった。
「へへへ、変質者!!」
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