第2話 親友は有能バンビーノ

「午前中は部長のお叱りと方々への謝罪の電話で潰れちゃって……」

「それでそんなに疲れた顔しているのね。お疲れ様、瑠香」


 お洒落なカフェテラス風の社員食堂で、カレー定食を前にどんより話す私をねぎらってくれる美女は、同期入社の進藤麻理恵しんどうまりえ

 キャラクターデザイン部に所属しているイラストレーターで、『きょうりゅうバンビーノ』の生みの親である。


 ストレートボブの黒髪に、大きめのフープピアス、ベージュのパンツスーツが嫌みなく似合っている。

 胸に差したペンやネックレスは『きょうりゅうバンビーノ』グッズである。


 自分のキャラクターを心から大切にしているのだ。

 ちなみに、彼女が食べているのは自社オリジナルメニューの『きょうりゅうバンビーノ・もこもこティラノ』プレート。


 性格もはつらつとしていて、入社式で偶然隣になった私と今でも仲良くしてくれる。私がすこぶる出来の悪い末端社員でもだ。


 心が広くて優しい人柄なのだ、麻理恵は。

 そのおかげで、私も彼女の前では好きなだけ鬱憤うっぷんを吐き出せる。


「各店の在庫の数は何度も何度も見直したし、部長にも確認を取った上で流通システムに反映させたんだよ。だから、一店舗に全国の在庫が集められて、それ以外に空箱が届くなんてことありえない!」


「うちの倉庫は全自動で、ロボットアームが入力された数だけグッズを運び出して箱に入れて発送まで行うものね。人間だったら起きない事故よね」


 私は各店の在庫数の調整を担当している。

 具体的に言うと、品物が売れたら倉庫から補充したり、あまり売れ行きがない店舗から品物を移したりする。


 だけど今回は、とあるグッズの倉庫保管分や店の在庫が北海道の一店舗に集中して送られ、他の店の文具が空っぽになる……という悲劇が起きた。


 私の入力ミスによって!


「もうダメだ……。今度こそクビだよ……」


 カレー皿の横にぐったり倒れたら、背後から男性の声がした。


「すみません、真城瑠香さんですか?」

「は、はいっ」


 ついに肩たたき!?

 青くなって振り向けば、そこにいたのは営業部のイケメン、広田彰人ひろたあきとだった。


 流すようにセットした髪は亜麻色。

 流行りの薄顔だが、くっきりした二重とオリーブ色の瞳は日本人離れして、高い鼻や薄い唇は芸能界にいそうな形の良さだ。


 大学のバスケリーグで活躍した長身に加え、営業成績も優秀なため、プリュミエール本社内で知らぬ者はいない有名な人物である。


 ひそかに彼をねらっている女性も多いが、仕事が最優先でデートや旅行をすっぽかすため、誰ともお付き合いが続かないらしい……と、スピーカー三銃士が話していた。


 私が彼について知っていることはそれくらい。なにせ接点がないのだ。


 その隣の、ずんぐりむっくりした体に分厚い眼鏡をかけた男性は、(たぶん)システム開発部の……誰だろう?


 首を傾げる私に、彰人は綺麗な顔でにっこりと笑いかけてきた。


「全国規模のミスを起こした君のおかげで、システム設計の穴が見つかったらしいですよ。ね、田中たなかさん?」


 彼にうながされて、田中は眼鏡がずれるのもかまわず低頭した。


「まさか、流通在庫の数をゼロで入力する人がいるとは思いませんでした。でも、そのおかげで、ロボットが空箱を発送してしまう不具合に気づけた……。今、急いでシステムを調整しています。ミスしてくださって、本当にありがとうございました」


「ど、ういたしまして?」


 お礼を言われている気がいまいちしないんだけど……。

 ぽかんとする私に、彰人が楽しそうに耳打ちしてくる。


「実はもうすぐ、オンライン注文の発送と倉庫の在庫出入を一繋ぎにするプロジェクトが発表される予定だったんだ。これまで、個人向けのネット通販は、通信販売部で品物と数を確認して発送してたけど、それを倉庫のロボットアームに担わせるつもりだった。でも、今回システムの大穴が見つかった。このまま実装されてたら、お客様からの『空箱が届いた』ってクレームであふれてただろうから、大手柄だよ」


 低くて心地のいい声を聞きながら、私はまたかと思った。


 大きなミスをやらかしたと思ったら、別のところで誰かが助かっている。

 これまでも、こういうことはよくあった。


 十個の目覚ましが故障した日は、アパートの上階の赤ちゃんが夜泣きで朝方やっと寝付いたところで、鳴らさずにいてくれて助かったと菓子折りをもらった。


 改札で交通カードをピッとしたらエラーが起きて、都内の自動改札がすべて停止してしまった時は、ちょうど別のホームで子どもが行方不明になっていて、そのおかげで誘拐犯を捕まえられた。


 私の失敗はいつもそんな調子。

 誰かに感謝されることで、失敗と成功のバランスがプラスマイナスゼロを保っている。


 けれど、 私自身に与えられるのは、トラブル体質、迷惑人間、無能という烙印なわけで――。


(助かる人がいる反面、不幸な目にあう私への救いはないんだよね)


 喉の奥が締まるような不条理感に、自然と苦笑いを浮かべていた。


「お役に立ててよかったです。私は失敗ばかりするので、またご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」


 末端社員らしく低く頭を下げる。

 テーブルの向こうで見守っていた麻理恵が「あっ」と声を漏らした。


「る、瑠香。服の裾が……」

「え?」


 見れば私のブラウスの裾は、皿に半分残ったカレーにぼっちゃり浸っていた。


「わあああ。今晩、婚活パーティーなのに!」


 一張羅ともいえる男性受け抜群のとろみブラウスを汚してしまうなんて!


 カフェテラスに響き渡った私の悲鳴は、ガラス天井に反響してワンワンと広がったのだった。

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