第三章 偽・乙女恋戦鎮魂曲 その九
*
その瞬間、わたくしは自分の身に何が起きたのか理解できなかった。突然、薄暗い路地裏が白い光で照らされたかと思うと、バイクのエンジン音が近づいてきて――そして、わたくしが立っていたはずの路地裏は一つの景色となって、まるで実写映画の早戻しみたいに遠く離れていった。わたくしは、バイクのサイドカーに座るブッチという不良に担がれる形で、すれ違いざまに攫われてしまったのだ。
時が流れて、丸太のように抱えられるわたくしは、夜の車道が後方へ流れていく様子をぼんやりと眺めていた。
「――脅迫状にビビって何か企んでいたようだが、残念だったな。これはお前が舐めた態度を取った罰だ。今日は俺たちが直々に地獄へ送り届けてやる」
バイクに跨り、先頭を走っていたヘッドは、速度を緩めてわたくしの側方に車体を寄せた。きっと今日のために作戦を用意して、それが上手くいったものだから、こんなにも饒舌なのだろう。
「ねえヘッド! こいつセーラー服を着てるよ⁉」
わたくしを抱えるブッチは並走するヘッドに向かって叫んだ。
「まさか俺たちの目を欺くために変装したつもりじゃないだろうな? やれやれ、こいつはとことん女々しいやつだぜ」
三人は一斉に大笑いする。わたくしはブッチに抱えられたまま、ヘッドを睨みつけた。
「……おいお前、ちょっとその面ちゃんと見せろ」
「…………」
「そのしみったれた帽子を取れって言ってんだ!」
ヘッドはわたくしが被っていたハンチング帽に手を伸ばし、強引に引っ剥がした。肩まで伸びた黒髪が疾風に舞い上がる。
「ヘ、ヘッド! こいつ、聖クレア女学園のマドンナですよ⁉」
ハンドルを握るヒョロが慌てて叫んだ。
「な、何やってんだ! これじゃあ人攫いじゃなくて、人違いじゃねえか! この、アンポンタン‼」
「すまねえヘッド……だけどさ、あの帽子を被ってたら、どうしたってメメと勘違いしちゃうよお」
「ブッチ、言い訳するな! ったく、起きちまったことは仕方がねえ」
ヘッドはブッチとの話を切り上げ、わたくしの顔を覗き込む。
「聖クレア女学園のマドンナか。お前の噂は聞いているぜ……へえ、確かに、見てくれは上等だ。恋愛禁止の女学園に咲く高嶺の花――少なくとも、流星高校の野郎どもはみんな、お前のことを女神のように崇めているよ。だが、そんなお前が何でこの帽子を被っていた? あの工業高校のアホザルと一緒にいたのは単なる偶然か? さっき路地裏でお前の隣に立っていた奴がメメの野郎だったとして、奴の肩を持つ理由が分からねえ」
「……わたくしがハンチング帽を被って何が悪いのですか? 今すぐここから降ろしてください」
「女のくせに威勢がいいじゃねえか。それに比べて、こんなか弱い女を身代わりにするメメって野郎は、やはり心底、女々しい奴のようだ」
「メメはわたくしのお兄様です。それから、坊君は、決してアホザルなどではありません。彼は勇気ある、わたくしたちにとって正義のヒーローです!」
「何がヒーローだ、くだらねえ。だったら、今すぐこの状況をどうにかしてみろってんだ!」
ヘッドはヘラヘラと笑った。わたくしは彼の態度が気に食わなかったので、あかんべえで反抗してみせた。
「こ、このアマッ! 聖クレア女学園のマドンナといっても、所詮は尻の青いガキじゃねえか‼ ……まあいい。本当はメメを攫って酷い目に遭わせるつもりだったが、この際、奴に嫌がらせができればそれでいい。あの路地裏にいた以上、お前も同罪だ……今に見ていろ。お前の望み通り、死ぬよりも酷い目に遭わせてやる」
ヘッドはバイクのスロットルを回し、再び車線の前方へと躍り出た。
彼らに目を付けられたのは、わたくしが男装をして街を出歩いていたから……全ての責任はわたくしにある。最期に坊君へ秘密を打ち明けられて良かった……本当の気持ちは伝えられなかったけど。
――気が遠くなるほどに長距離を走り続けていた。わたくしは見知らぬ海沿いに放棄された人気のない廃工場で、ようやくバイクを降りることを許された。両脇をヒョロとブッチに固められたわたくしはヘッドの指示通り、その寂れた廃工場の中へと入らざるを得なかった。
「逃げようとしても無駄だ。どこを捜しても助けなんか来ねえよ」
ヘッドは鼻で笑うと、廃工場の中へと歩みを進めた。音はない。静かな月明かりが、破れた窓ガラスを通して、わたくしたちを照らしている。手が届かないほどに高い天井、用途不明の錆びついた大型機械、コンクリートの割れ目から生える雑草――そして、入口のすぐ正面に設けられた鉄製の階段を目で辿ると、上階には暗い小さな一室が設けられていた。
ヘッドは、その月明かりも通さない部屋に向かって、大声で叫ぶ。
「チャッピー先生はいますか⁉」
ヘッドがやけに下手に呼び立てたその相手は、坊君が言っていた流星高校の怪物だった。暗がりの部屋に人の気配は感じられないけど、こんな辺鄙な場所を根城にしているのだとしたら、やはりそのチャッピーという不良は頭のねじが外れてしまっている人なのかもしれない。
「――ウ、ウアア、ウウウ……」
ギイギイと鉄製の床が軋む音と、得体の知れない呻き声が聞こえる。
「俺がここに来たのは、これで二度目だ。お前の兄貴を陥れるために、チャッピーにあることないこと吹き込んでやったのさ。この廃工場に足を踏み入れて、無事だった奴は一人もいないらしい。心神喪失、しばらくはろくすっぽ会話もできなくなる……いったいどんな酷い拷問が待っているんだろうな。ええ? マドンナさんよお?」
ヘッドはにやにやと悪意ある笑みを浮かべた。
そして、上階の暗闇からぬらりと現れる、巨大な人影。
「チャッピー先生! こいつが先生のことを馬鹿にした奴の仲間です! とっ捕まえたので、後は煮るなり焼くなり好きにしてください‼」
「馬鹿になんかしてないわよ!」
「うるせえ! ここに連れてこられた以上、それが事実なんだよ‼」
ヘッドは「ヒョロ! ブッチ!」と叫ぶと、彼らはわたくしを両脇から抱え、鉄の階段を上り始めた。
「聖クレア女学園の箱入り娘さんはどうせ男と手も繋いだことがないんだろ? ヘヘ、明日の朝には迎えに来て、お前の兄貴が出場する総体で晒し上げてやる。目は虚ろになり、言葉もろくに話せねえお前を見た奴は、いったいどんな面で絶望するんだろうな? そもそもお前のことが心配で、総体どころじゃないかもしれないが」
鉄の階段が不気味な音を立てて軋む。得体の知れない怪物は、わたくしのすぐ目の前まで迫っていた。
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