第三章 偽・乙女恋戦鎮魂曲 その八
彼女の正体に、俺は目を疑った。メメと過ごした出来事の一部、もしくはその全てが、目の前でハンチング帽を被る彼女との思い出だったかもしれないという事実に、俺は息を呑み、おそらく次に彼女が発するはずの経緯に全神経を集中させていた。
「その様子だと、わたくしの正体に気付いてくれたみたいですね」
彼女はハンチング帽を目深に被り直した。
「……ああ、ハンチング帽を被っている時は全て君がメメを演じていたのか?」
「そうです」
彼女は静かに頷く。
「駅ビルのカードゲーム大会で闘ったメメも、温泉街の混浴風呂を訪れたメメも――その正体は偽りのわたくしがお兄様を演じていたに過ぎないのです」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことを言うのだろう。俺が路地裏で阿呆面を晒していると、彼女は不安げな顔でそわそわとし始める。
「あの、怒ったりしないのですか?」
「正直なところ、驚いた。生きていれば、日々いろいろなことを経験するものだが、親しい友人が別の誰かに入れ替わっていることはさすがに想定外の出来事だ。だが、これが君やメメに対し、感情的になる理由にはならない」
俺が答えると、彼女は安堵して胸を撫で下ろした。
「その言葉を聞いて、とても安心しました。元々わたくしは、坊君を騙すつもりはありませんでしたから。ですが、結果的にそのような形となってしまったことは謝罪します。わたくしは聖クレア女学園に通っていますが、実は時々、お兄様の姿に変装して、ゲームセンターのような、男の子が集まる場所に通っていたのです」
「そうか……では先日、ゲームセンターでリーゼント頭の不良に絡まれていたのも――」
「わたくしです。あの時、坊君が庇ってくれたおかげで、わたくしは本当に救われました。自分一人だけでは解決できない問題でしたから」
自分の秘密の全てを俺に打ち明けたおかげなのか、彼女は少し落ち着いた表情で感謝の言葉を述べてみせた。
「メメはこのことを知っていたのか?」
俺は聞いた。
「いえ、僕も妹の事情を知ったのは、つい昨日のことです」
「そうか。しかし、これで得心がいく。ヘッドという不良に目を付けられたのは、メメではなく、変装をして街を出歩いていた彼女だったというわけか」
ようやく事の真相を理解した俺は腕を組み、感慨深く頷いてみせた。
「この件に関して、お兄様に非はありません。悪いのは全て、自分の正体を偽っていたわたくしです」
彼女はメメの正当性を訴えると、彼が陸上部で日々努力を重ねていることや、明日の総体に必ず参加してほしいことを、まるで自分事のように語ってみせた。
「そうか」
俺は頷く。
「メメ、お前は良い妹を持ったな――メメの妹よ。君の願い、必ず叶えてみせよう」
俺の言葉に緊張が解けたのか、ようやく彼女は素直な笑顔を見せてくれた。
「では、そろそろ帰路に就くとしよう」
辺りはすっかり夜になり、俺は、電車で帰宅する彼らを見送るために駅ビルの方へと歩き出した。
「――あの!」
俺の背後で叫んだのは、メメだった。立ち止まる俺に、彼は続けざまに言葉を続ける。
「重要な話はこれだけじゃないんです! 僕も! 僕からも! 坊君に伝えなければならないことがあります‼」
「何だ?」
「……坊君は乙女がこの世界に存在しなかったら、どうしますか?」
……あいにくそれとまったく同じ質問を反抗期の妹から受けたばかりだ。
そして、その質問に対する答えは単純明快、分かり切った話だ。
「……今ここで、僕は正直に告白します! 実は、坊君が捜す乙女の正体は――」
「いたぞ! ひっ捕らえろ‼」
二人の背後で突如として焚かれた白いヘッドライトは俺たちを標的としていた。バイクの唸るエンジン音、台数は二台、それは猛速度で接近し、俺たちの側方を横切った。
その刹那、俺は見開いた目で、ネイキッドバイクで先頭を行くヘッドと、それに続いてサイドカー付きのバイクを運転するヒョロ、サイドカーに鎮座するブッチを捉えた。
「キャアアアアア‼」
走り去るバイクと共に遠のく悲鳴はメメの妹が発したものだった。
「「ヒャッハー‼」」
奴らはヘラヘラと雄叫びを上げる。
「ザマアミロ! 工業高校のアホザル! メメは俺たちがちゃんと可愛がってやるぜ‼」
奴らが運転するバイクは突き当たりの駅ビルを左折し、ヘッドの捨て台詞だけが路地裏に反響した。
「坊君、まさかあの人たちは……」
メメは駅ビルの方を向いたまま狼狽した。
「ああ、奴らが脅迫状の送り主だ。リーゼント頭のヘッド、それから、取り巻きのヒョロとブッチ」
「ど、どうしましょう。僕の妹が……」
ヘッドは攫った相手を廃工場のチャッピーの下へと運ぶつもりだ……このままでは彼女の身に危険が及んでしまう。
「案ずるな。メメは妹との約束を守ることに専念するのだ」
「ですが、僕一人だけ家に帰るなんて……」
「メメ、明日の総体には必ず出場するのだ。奴らの思い通りになど、させてはならない」
俺は、不安になるメメを諭すと、腕を組み、駅ビルの照明を見上げた。ぐるぐると勘案する俺の思考とは裏腹に、屋上の大観覧車は呑気な回転で街を見下ろしていた。
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