第二章 偽・乙女湯煙夢想曲 その十一

「……混浴って、デブは入れへんのか?」


 口火を切ったのは、野球部ピッチャーのタイガだった。どうやら彼は体重計に乗る気満々だったらしく、虎柄のボクサーパンツ姿で呟いた。


 抜けた床がパタリと元通りに閉じた。自分の体型に不安のある奴らが揃って生唾を飲み込む。


「紐なしバンジーなんて……あの番頭、もしかして俺らを殺す気とちゃうんか?」


 タイガの言葉に、同輩たちは揃って頷いた。


「こんなとこ、さっさと引き上げるで」


 タイガは、同輩のビッグベンに声をかけた。野球部でキャチャーを務める大男の彼は、タイガとバッテリーを組む間柄だった。彼はその体格に見合わない小さな足取りで出口の方へと向かい、閉じられた引き戸にそっと手をかける。


「……おい、どないしたんや」


 タイガは不安げに聞いた。


「ひ、開かない」


 ビッグベンは小さな声で答えた。


「んなわけあるかいな。俺らはついさっきここから入ってきたばっかりやないか」


 タイガはそう言い放つと、引き戸の片方に手をかけ、力尽くで引っ張ってみせる。


「ウギギギギ……な、なんやこれ⁉ 本当に開かへん……‼」


 顔を真っ赤にしたタイガは肩で息をしながら言った。


「「…………」」


 再びの沈黙。俺たちの戦意はコムスビの呆気ない退場により、完全に喪失していた。皆一様に定が記された立札に背を向け、閉ざされた出口の引き戸を呆然と見つめる――たった一人を除いて。


「……メメ」


 俺は声をかけた。皆が脱衣所からの脱出を試みる中、メメはただ一人、頑として立札を見据えていた。やがて周囲の同輩たちもその様子に気付き始め――ついに皆の視線はメメの勇敢な後ろ姿に集中した。


「お前さん、メメって言ったか」


 引き戸の前に立つタイガは言葉を選ぶように聞く。


「怖ないんか? その穴、落ちたらどこに行くか分からへんのやで?」


「……早く服を着てください」


 メメは身じろぎ一つせず、背中で答えてみせた。


「お、おう、分かった」


 タイガは若干の戸惑いを見せながらも、衣服を脱ぎ入れた棚の方へと向かった。


 この場に集結した高校男児たち――その中で最も男気のある者が、この瞬間、満場一致で決定した。


「……おい、俺たちはいったい何者だ」


 同輩の一人がドスの効いた声を上げた。レスリング部所属のビーストは丸太のような右腕を振り上げ、切れ味抜群の睨みで問う。


「学もねえ、金もねえ、彼女の一人もいやしねえ……そんな俺たちがただ一つ、絶対に負けちゃいけねえもんがあるだろうが。それは何だ」


「……早弁?」


「馬鹿野郎! 男気だろうが‼」


 ビーストは同輩の阿呆な回答に檄を飛ばす。


「見てえもんがあるなら、してえことがあるなら――」



人生は


本気で生きて


悔いはなし


おめえら今こそ


男気を見せろ



 ビーストは男の五・七・五・七・七(字余り)を叫ぶと、勢いそのまま体重計に飛び乗った。


『適正体重ではありません』


「キャー!」


 ビーストは華麗に散った。


「「ビーストオオオオオ‼」」


 同輩たちは真っ暗な穴に向かって叫んだ……この際、ビーストの情けない悲鳴には目を瞑ろう。同輩たちは皆、男気ある彼の退場に涙した。


 ――その後の展開は語ろうと思えば際限なく語れるのだが、あいにく俺は乙女との再会を急いでいるため、今回は要約して事の顛末を振り返ることにする。


 ビーストが奈落の底に落ちた後、やはり俺たちは目の前の試練に挑むこと以外にこの場を脱する方法が思いつかず、結果として、覚悟の決まった者から順に体重計に乗ることになった。この試練の不合格者は全部で七人。機械音声が伝える通り、適性体重でない者はデブもガリも有無を言わさず、抜けた床から暗闇の中に落ちていった。ビッグベンが退場した時はタイガとの熱い友情に皆が感涙したり、映画研究会のザ・リトルは痩せ過ぎが理由で失格となったが、「われらが桃源郷を永久のものとしようぞ!」と退場の間際でビデオカメラを同輩たちの下へ放り投げるも、皆一様に「そこまで落ちぶれてはいない」とまもなくそれは穴の中へとかえっていったり……不合格者の中には、肥満とは無関係な筋肉ダルマのような同輩もいたが、どうやら審査基準に体脂肪率は組み込まれていないらしく、身長と体重だけで挑戦者の体型を測っているようだった。


 この試練が混浴に入るための試練だということは確かなはずだが、果たしてこれが厳格なのか適当なのか、いかんせん判然としない。


 しかしながら、この試練を超えた先に黒髪褐色の乙女がいて、しかも、それが合法的に裸体を拝める混浴風呂という舞台ならば、俺は、是が非でも前進しようではないか。


『――適正体重です』


 最後に体重計に乗ったのは、ハンチング帽を被るメメだった。彼は同輩たちの顔を何度も見回し、自分がしんがりを務めるのだという気概で試練に挑んだ。


 大方の予想通り、メメは無事に試練に合格した……しかし、陸上部で活動している割に、彼の体重は――。


「メメ、少し痩せ過ぎではないか?」


 俺は言った。


「う、うるさい!」


 メメは顔を真っ赤にして叫んだ。


「運動をしているなら、もっと飯は食った方がいい。それに心なしか、顔色がいつもと違う気がするのだが――」


「……こ、これは、今日は少し調子が悪いだけ。ボクはメメだよ。正真正銘の」


 なるほど。『男メメ、ここにあり』というわけか。さすがはこの試練に唯一身じろぎ一つしなかった男だ。面構えが違う。


 メメの言葉で皆の士気が上がったころ、脱衣所に新たなアナウンスが鳴り響く。


『身体測定に合格された方は脱衣所で一つだけ衣服を脱ぎ、次の部屋に向かってください』


 俺も含め、そのアナウンスを聞いた者たちは揃って首をかしげた。次の部屋とはいったい……脱衣所の向こう側にあるのは、浴場と相場が決まっているだろうに。それに衣服は、もれなく全て脱がなければ入湯できないではないか。


 指示の内容が理解できない俺たちだったが、このまま呆けているわけにもいかず、ぞろぞろと棚の方へと移動すると、ある者はブレザーを、ある者はズボンを――皆思い思いに自分の衣服を用意された籠の中に放り込んでいく。


「……メメ、服を脱がねば、風呂には入れないぞ」


 ブレザーを脱いだ俺は、棚の前で立ち竦むメメに言った。


「わ、分かっているよ。そんなこと」


 メメはしばらくの間、難しい顔で空っぽの籠を覗き込んでいたが、ようやく考えがまとまったのか、右足を後ろ側に上げ、片足立ちで靴下を脱ぐと、ぽいとそれを籠の中に放り込んだ……彼は混浴を足湯か何かと勘違いしているのだろうか。


 皆が一つだけ衣服を脱ぎ終え、俺は、本来なら浴場があるはずの次の部屋に向かうため、脱衣所の引き戸を開け放った。

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