第二章 偽・乙女湯煙夢想曲 その五

「何やってんのよ、あなたたち」


 腰に手を当て、そう言い放ったのは、超喫茶エウロパの先輩メイド・ライムちゃんでした。ワタクシと同じクラシカルなメイド服を身に纏い、その名の通り、ライムグリーン色をしたショートヘアのウィッグを被る彼女――その正体はこのお店の経営者の次女……つまり、ワタクシを喫茶店のアルバイトに勧誘した清子でした。


「イチゴちゃん、もう閉店の時間のはずだけど」


 ライムちゃんはワタクシに言いました。


「はい、それは承知しています。彼はワタクシが招き入れたのです」


 ワタクシはそう言うと、彼の学生鞄から手を放します。


「彼はその……例の彼女がなくした携帯端末を拾ってくれた方で。先ほど偶然、お店の前で声をかけてくださったのですよ」


「携帯端末? ああ、先週末あなたが……ゴホンッ、あなたの友達がなくしたっていうあれね。へえ、無事に見つかったんだ。良かったじゃない」


 ライムちゃんは言います。


「じゃあ、その携帯端末はイチゴちゃんに渡してあげてください」


「……そのことなんですが」


 彼はライムちゃんの言葉に返します。


「この携帯端末は僕から直接、彼女に手渡したいんです。ですので、今ここでイチゴさんにお渡しすることはできません」


「イチゴちゃんに渡しておけば、必ず本人の下に届くわよ」


「……そうだとしても、です」


「もしかして持ち主の彼女に一目惚れでもした?」


「なっ⁉」


「分かるわあ。彼女、ああ見えて顔立ちは整っているし、モデルみたいな体型をしているし、胸なんか会うたびに大きくなっているような気がするし……性格に難ありだけど、あれはただ強がっているだけで、本当は超が付くほど純粋な乙女なのよねえ」


「……乙女ですか」


「あれ、そうは思わないの?」


「僕はどちらかというと、女神様みたいな人だなあと思っています」


「女神様ねえ……だそうだけど、どう思う? イチゴちゃん」


 ライムちゃんはそう言って、ワタクシのことを肘で小突きました。


「ワ、ワタクシに聞かないでください!」


 ワタクシは咄嗟に、持っていたトレーで顔を隠しました。


「でも、すごい偶然ね。その携帯端末の持ち主……の知り合いに声をかけるなんて」


 ライムちゃんは言いました。


「はい。ここ数日は彼女を捜すために商店街を歩き回っていたんですが……イチゴさんに出会えたのは本当に運が良かったです」


「へえ、私だったら落とし物なんてすぐ交番に届けてしまうけど、なぜそこまで直接手渡すことにこだわるのかしら。やっぱり一目惚れ?」


「そ、それは……」


 返答に困った彼は視線をそらして黙り込んでしまいました。


「彼はある人の代わりにお詫びの言葉を伝えたいそうですよ」


 ワタクシは顔を隠すトレーを少しだけずらし、視線だけをライムちゃんに送ります。


「先週末、月ノ下商店街で大騒ぎがありましたけど、例の彼女が携帯端末を落としたのは、ウエディングドレスを着た女性とぶつかったことが原因だったようです。彼はその女性に携帯端末を手渡すように頼まれたらしくて」


「頼まれたって……あなた、いくらお人好しだからって、何でも安請け合いしたら駄目じゃない」


「それが、彼はその女性のお兄様らしくて。だから、直接お詫びをするために商店街を捜し回っていたのですよ」


「……ああん?」


 ワタクシの説明を聞いたライムちゃんは明らかに敵意を剥き出しにして彼のことを睨みつけます。


「そう、あんたがあの泥棒猫の……」


「……ど、泥棒猫?」


 彼は狼狽しました。


「私もあの日、月ノ下商店街にいたのよ。あなたの妹がウエディングドレスを着て走っている姿を見たわ。それから――」


 ライムちゃんは体をわなわなと震わせながら叫びます。


「『好きだ!』と愛の告白をしながら彼女を追いかける坊お兄ちゃんのこともね‼」


 ご説明いたしましょう。何を隠そうライムちゃんはワタクシの実兄・坊に惚れているのです。とはいっても、それは一方的な片思いなのですが。彼女は兄貴……いえ、坊兄様への思いを隠すことなく、彼がこの喫茶店を訪れた時は周囲の目など気にも止めず、デレデレと猫なで声でアプローチを繰り返しているのです。


 ライムちゃんはメイド喫茶がどういうお店なのか理解しているのでしょうか。歴の浅いアルバイトのワタクシが申し上げるのもなんですが、来店されたご主人様は皆平等に接客すべきだと思います。


「あなたの妹は私の恋敵よ。坊お兄ちゃんとの付き合いは私の方がずっと長いんだから」


「わ、わあ、それはすごいですね」


 彼はそう言うと、カップに注がれたコーヒーを一気に飲み干します。


「坊君とい、妹は色恋沙汰にはならないと思いますよ。彼女、最後まで彼から逃げ回っていましたし……では、僕はそろそろおいとまさせてもらいます」


 彼はそう言うと、学生鞄を抱えて立ち上がりました。ワタクシはまだ携帯端末を返してもらっていませんし、それにコーヒーの代金も支払ってもらわなければなりません。


 逃げようとする彼、立ち塞がるワタクシ、感情的になるライムちゃん――三者三様、それぞれの思惑で動く喫茶店の様子を窓ガラス越しに覗き見ていたのは、工業高校のブレザーを着た坊兄様でした。

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