第4話 『異世界六法全書・改とか元勇者の法廷バトルとか異世界スライム、労働基準法で会社と戦う!』

俺がこの異世界で目を覚ましたとき、最初に手にしていたのが、この一冊だった。




 ──『異世界六法全書・改』。




 表紙は黒革に金糸の縁取り、中央には“法”の一文字が浮き彫りになっており、触れるたびに微かに温もりを感じる。


 手に取った瞬間、なぜか中の文字がすらすらと理解できたのを覚えている。




 この書には、現代日本の法体系──憲法、民法、刑法、商法、訴訟法など──に酷似した章立てがなされているが、異世界独自の法も多く含まれている。




◆第一章 神聖法規(神殿・信仰関連)


◆第二章 勇者法(勇者および王命との関係)


◆第三章 貴族法(婚姻、財産、爵位の継承など)


◆第四章 魔族間契約法(異種族間契約・誓約呪文)


◆第五章 冒険者法(ギルド登録、迷宮遺跡利用、賠償責任)


◆第六章 一般民法(婚姻・相続・財産権・不法行為)


◆第七章 刑罰法(各種犯罪と処罰)


◆第八章 訴訟法(裁判手続、証拠魔法、陪審制)




 驚くべきは、その条文の正確さだ。特に“契約”や“証拠”に関する記述は、日本の民事訴訟法に近い部分が多く、俺の知識がそのまま活きる。




 一部の条文には、“閲覧することで発動する”封呪魔法が施されており、触れた者の資格に応じてページの光り方が異なるらしい。俺が触れると光るが、リリアン嬢が触れると“めまいがする”らしい。




「先生、その本……たまにページが自動で開くのですけど、あれ、何の機能なんですの?」


「たぶん、相談内容に応じて最適な条文をサジェストしてくれてる。AI法典みたいなもんだな」


「えあい?」


「──まあ、気にするな」




 この“改”とついていることから、どうやら原典となる“旧・六法全書”が存在していたらしいが、その所在は不明。




  今のところ分かっているのは──


・この本は俺にしか読めない(少なくとも現時点では)


・時折、持ち主に助言めいた反応を見せる(ページが風もないのにめくれる、文字が浮かび上がる)


・書いていないはずの条文が現れることがある(時限条文?)




 つまりこれは、単なる“本”ではない。


 この世界の“法の意志”そのものかもしれないのだ。




 俺が弁護士としてこの世界で戦えるのは、この本があるからこそ。




 六法全書・改──


 異世界における、俺の剣であり、盾である。





王都中央法廷、審議室第五号。


 その日は異例の満員だった。


 王族関係者、貴族、冒険者、市民記者、そして数多の野次馬までもが詰めかけ、「元・勇者の裁判」を見守っていた。




 被告席には、堂々と胸を張って座る金髪の男──カイン・グランフェルド。


 俺はその傍らに立ち、異世界六法全書・改を胸に構える。




「王国法務庁より、勇者特権の乱用、および王室財産の私的流用、職権濫用について正式に訴追されます」




 検察官席には、王国直属の魔導法官が座っていた。ローブの裾が炎のように揺れ、彼の後ろには宙に浮かぶ魔晶球が六つ──これが今回提出された“魔導証拠”だった。




「証拠魔晶球第一、王城地下酒場にて、勇者カインが“このツケは国が払う!”と叫びながら飲み代を踏み倒した映像」




「いやあれは──士気を上げる必要があってな!」




「第二、馬車私用記録。三ヶ月連続で城の儀典用車両を温泉旅行に使用」




「国の湯治文化の発展をだな……!」




 会場の空気がざわざわと波立つ中、俺はあえて小さく息をついて立ち上がった。




「本件において重要なのは、“勇者特権”の定義の曖昧さです。異世界六法全書・改、勇者法第七条──“必要緊急時”とは、定義のない主観に依拠する条文であり、法的に脆弱です」




「しかし、だからといって、行為のすべてが免罪されていいとは限らない」




 俺は魔晶球の一つを指差す。




「証拠魔晶球第五──民間人との口論。ここでカインは“俺は勇者だ、何をしてもいい”と叫んでいます。これは、特権を“根拠なき免罪符”と認識していた証左です」




「ちょっ……それは言葉のあやだろ!? なあ!?」




 振り返ったカインが、どこか子供のような表情で俺を見る。




「俺は……ただ、もう少し、自由でいたかっただけなんだ」




「分かってる。だからこそ、俺は“全部を否定する判決”じゃなく、“未来を残す判決”を求める」




 判事が静かに告げた。




「本件、被告の行為のうち一部は勇者特権の範囲を逸脱したものと認め、罷免および王国補助金の返還を命ず。だが、その功績を考慮し、名誉勇者の称号は維持、また一部の特権は限定的に認められる──」




 つまりは──「有罪だが、再起の余地あり」。




 カインはしばし呆然とし、やがて静かにうなずいた。




「ありがとな、先生……俺、ちゃんとやり直してみるわ」




 法廷を出た後、俺のもとに寄ってきたカインは、不器用に笑った。




「まずは、城下町の小学校で用務員からやり直すことにした。ま、剣よりモップの方が重てえけどな」




「それが正義だよ。誰かを救うのは、肩書きじゃなくて、行動だ」




 異世界六法全書は、今日も静かに佇んでいた。


 まるで「それでいい」と言っているかのように







 俺の相談所には、日夜あらゆる種族からの法律相談が舞い込んでくる。


 そして今日やってきたのは──




「す、すみません……あの、働きすぎで……とけてしまいそうで……」




 入口でピチャピチャとした音を立てながら、まるでゼリーの塊のような姿で現れたのは、人型スライム族の青年だった。


 全体は透明で、目だけがくりくりと浮かんでいる。肩──らしき部位──には、裂けた作業着がくっついている。




「お名前と、ご相談の内容をどうぞ」




「ぼ、ぼくはネリム。鍛冶工房“アイアンボルグ”に住み込みで働いてたんですが……、気づいたら一週間寝てなくて……液状化が止まらなくて……」




「……まず休め」




 俺は慌てて魔導冷却パックを渡し、床にビニールシートを敷いて彼を座らせた。




「昼も夜も炉の前で鉄を運ばされて、食事も“燃えかすが残ったら食っていい”って言われて……それっておかしいですよね?」




「おかしいどころじゃない。異世界労働基準法、通称“労基法”の出番だな」




 俺は六法全書・改の該当箇所を開こうとした──が。




「……うお、ベタベタする!」




 どうやら、労基法の章には過去の相談者(おそらく同族のスライム)が大量の粘液を飛ばしたらしく、ページ同士が貼り付いている。




「す、すみません! たぶん、親戚も相談に……」




「いいんだ。これが仕事だ」




 なんとかページをはがしながら、俺は読み上げる。




「“一日十六時間を超える連続労働は、労働魔法第八条違反と見なされる。また、液状化による体組成損壊は重労働扱いとして補償対象”──だってさ」




「やっぱり違法だったんですね……!」




「ネリム、君には“損害補償”の請求と、“強制労働による精神的苦痛”の慰謝料請求ができる。さらに、“労働環境の魔的安全基準”にも違反している可能性がある」




「わ、わたし、裁判なんて初めてで……緊張して、また溶けちゃいそうで……」




「安心しろ。俺が、君の形が戻るまで徹底的に戦ってやる」




 こうして始まったのが、


 ──“スライム VS ブラック鍛冶工房”という、異種族労働紛争史に残る戦いだった。

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