第47話 『錦市場の呪われた空き店舗』
かつて“京の台所”と呼ばれた錦市場。その喧騒の裏に、人々が足を踏み入れぬ薄暗い小路がある。赤提灯の明かりも届かぬそこは、まるで時が止まったように静まり返っていた。
その小路の突き当たりに、ひとつの空き店舗があった。間口は狭く、木製の看板は色褪せ、朽ちたシャッターの隙間からは、埃をかぶった神棚と傾いた招き猫が見えた。
地元では昔から“出る店”と囁かれていた。前の店主はある日忽然と姿を消し、跡を継いだ鮮魚店も一年も持たずに撤退。いつしか誰も近づかなくなった。
そんな場所に、数年前、ひとりの中国人経営者が現れた。リー・ジャン。北京出身の彼は、人懐っこい笑顔で「京都の伝統に感銘を受けて出店した」と語っていたが、実際は破格の家賃に惹かれての出店だった。
店は観光客向けの“高級海鮮料理店”。しかしその実態は、安物の冷凍海鮮を使い、「京の極上海鮮」と銘打って法外な値段で提供するぼったくり商法だった。
ジャンの笑顔の裏には、計算と強欲が隠れていた。
開店から三ヶ月。繁盛していたはずの店に、変調が訪れる。
ある早朝、準備のために訪れた従業員が、厨房奥の神棚の前で震えて座り込むジャンを見つけた。
「……見たんだ……あの猫が……首を、こう……」
ジャンの顔は蒼白で、手は小刻みに震えていた。
それ以来、奇妙な現象が立て続けに起こった。
閉店後の静まり返った店内から、コンクリートを引っかくような“ガリガリ”という音。
保存庫の海老や蟹は翌朝には腐臭を放ち、厨房の湯は誰も触れていないのに沸騰していた。
ある日、観光客の若い女性が食事中に突然意識を失い、床に倒れた。
救急隊が到着したとき、彼女の口元には魚の鱗のような銀白色の欠片が無数に付着していたという。
ジャンは次第にやつれ、顔色は日に日に悪くなっていった。彼の目の下には深い隈ができ、口数も減り、笑顔は消えた。
「……呪われている……あれは……ここは……」
彼は神棚の前で何度も頭を下げ、漢字でびっしり書かれた紙札を貼ったり、風水の道具を持ち込んだりした。
だが、現象は止まらなかった。
四ヶ月目のある晩。閉店後の厨房で、ジャンは倒れているのを従業員が見つけた。
彼の顔は青黒く膨れ、まるで海中で溺れた魚のようだった。目は大きく見開かれ、天井の神棚を凝視していた。
その視線の先には、埃に埋もれていたはずの招き猫。
──それが、わずかに首を傾けていた。
片目だけが、血のような赤で光っていた。
店は即日閉鎖された。
数日後、店の前には誰が置いたのか、盛り塩と枯れた榊が置かれ、シャッターには白い封紙が十字に貼られていた。
今も、通りすがる者の鼻をかすめるのは、魚の腐臭と、金属の焦げたような匂い。
地元の者は、あの店のことを語ろうとしない。
だが、観光客の中には噂を聞きつけ、「安くて美味い隠れ家店があるらしい」と探す者が後を絶たない。
そして、彼らがシャッターの前で立ち止まり、ふと中を覗いたとき──
「……あれ? 今、猫……動いた?」
誰もその先を口にしない。だが、決まってその翌日、その観光客は姿を見せなくなるという。
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