第10話 『伏見稲荷の赤ノ回廊』

 主人公:マチルダ・シュライバー(ドイツ出身、28歳)




 日本文化に興味を持ち、京都を旅していた。


 伏見稲荷大社には、ガイドブックで“美しい鳥居の回廊”と紹介されていた。






 ある午後、マチルダは一人で稲荷山の参道を歩き始めた。




 観光客は多いはずだったが、千本鳥居の中に入った瞬間、あたりの音が消えた。






 鳥の声も、人の足音も聞こえない。


 スマートフォンのGPSが狂い、地図アプリがぐるぐると回る。






 だが彼女は、「そういうものか」と思って前に進んでしまった。




 しばらく歩くと、ある鳥居の下に小さな封筒が落ちていた。


 手紙のようだった。開いてみると、日本語でこう書かれていた:




「引き返すな。振り向くな。赤を見たら止まれ。」




 意味はわからなかったが、なぜかその文字が真っ黒ににじんでいた。


 不気味に思ったマチルダは、封筒をその場に置き、先へと進んだ。




 すると、次の角を曲がった瞬間、




 彼女の目の前に、真っ赤な鳥居が一対だけ、逆向きに建てられているのを見た。




 その鳥居をくぐった瞬間、世界の色が変わった。




 朱塗りの鳥居が、血のような濃赤に変わり、


 足元の石段は、いつの間にか湿って苔むしている。




 そして、前方に人影を見つけた。




 着物姿の女。




 だが、その足が地についていない。


 浮いているのではない。


 着物の裾から下が、存在していなかった。




 彼女はマチルダに顔を向けた。




 顔には、狐面が貼りついたまま、はがれなかった。




 逃げようとしたが、来た道が見当たらない。


 GPSは真っ赤な画面を表示し、「NO EXIT」の文字。






 息が苦しくなる。


 鳥居をくぐるたびに、世界がねじれるように変わっていく。


 後ろに戻ろうと振り返ると――




 鳥居の裏側に、自分の影が立っていた。


 影はマチルダに似ていたが、顔がなかった。




 彼女は必死に走った。




 何度も階段を転びながら、ようやく広い参道へ出る。


 そこには観光客が戻っていた。


 鳥の声、売店のざわめき、下界の匂い。




 安堵して振り返ると、さっき通った鳥居が見えた。


 だが、その一番上の梁に、誰かの手書きでこう書かれていた。




「かえして。


あなたがぬけたから、


わたしが、はいれたの。」




 マチルダはその言葉の意味を、ずっと理解できなかった。


 だがその夜、ホテルの鏡に映る自分の背後に、




 鳥居の赤と同じ着物を着た“自分にそっくりな影”が立っていた。


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