第8話
「深山さんがしたのは悪い事だよ」
金曜の放課後、寂れた図書室でこいつと顔を合わせるのは恒例になっていた。
「けどもう君の罪について話す余地はない。
それより、承認欲のためだけならその“完璧なゴーストライター”さんに任せるのを堂々と続ければいいのに、君がまだ自分で書こうとしてる事の方が私は気になる」
奴は白ノートをひらひらっと振った。
殺す、早く返せよ。
前回汐崎に読まれた白いノートは、文化祭以降……盗作を初めて以降も、あたしがこっそり小説を書き溜めていたものだった。それを握られているだけで、心臓を直に掴まれてるような錯覚をする。
「なにそれ、優しさですか」
「全然違う。許せないから」
「前もそういう事言ってたけど、どういう意味」
ものすごく長い沈黙が降りた。聞かれたくないのかと疑うくらい小さい声がした。
「感動したから」
へ?
「……君が原作書いた劇を観て」
「待って、あんた去年いなかったじゃん。てか読んだのは脚本って」
「いや、動画で。見せてもらって」
「そう、だったんだ」
何で最初から本当の事を言わないんだと疑問が浮かぶけど、(汐崎が素人中学生の劇を観て『良い!』ってなってるとこ想像出来ないな)と思って、それが答えなのだろうと気づく。事実、彼女は顔を見られたくないみたいに背けている。
そう、かそうか。ちょっと嬉しい。
「あんたが感動しそうな深い話じゃないけど、どの辺が良かったの」
汐崎は照れ隠しなのか本音なのか、
「話の内容は別にそこまで」
とか抜かしやがった。胸のくすぐったさが飛ぶ。
「は??じゃあどこによ」
あたしを見てるのに、まるで別の何かに焦がれるように口を曲げ、汐崎は告げる。
「深山さんの物語に感動した人が劇をやろうって言って、その劇を通じて深山さんの世界が沢山の人に伝わっていく、その姿、かな。伝染するところ」
予想外の場所を突かれて、頭が今のセリフを反芻する。その流れに洗い出されて次第に浮かんできたのは、痛く光っているそれは、袖から見た景色とその時湧き上がった熱だった。
あの時のあたしもだ。震えるほど感動してた。迂闊に思い出を開けないほどに。一緒に作ったクラスメイトや観てくれた人の柔い部分を、一瞬だけもらえた感触が、手のひらにずっと残ってたから。
喝采も栄光も、喜びでしかなかったのだ。“ただ一つの成功体験”なんて呼び方、後付けだったのだ。
「私には出来ないから羨ましいよ。それが出来た君なのに、書きたがってる自分を無視するとか……許せないの。私の心に爪立てておいて」
今の汐崎は変だ。小説を語る時の恋するような雰囲気のようで、言葉の端がどす黒く尖っている。
一方腑に落ちる部分もあった。彼女があたしの小説にあんなに興味を示した理由はこれか。
「あんただってやればいいじゃん。この前だってみんなに見せてたし」
あたしの何倍も上手いのに。
紛れもない事実なのに、未だにそれを認めるたび内臓が軋むから笑えた。
「誰かに見せたのはあれが最初で最後だよ。ずっと自分を慰めるためだけに書いてきて、誰かと共有するなんてもっての他だった」
まさか、クラスメイトに見せてたのも時期的に、あたしの──劇・“山神四中の秘密の鍵穴”を観た影響だったりする?“伝染”を自分も試みて?
あれは、汐崎の目一杯の勇気だったりする?
「他人に自分の世界の一部を渡すのは……難しい。もう出来そうにない」
心がチリチリした。汐崎のセリフはずっと(でも私の言葉で誰かを感動させてみたい)ってカッコがくっついてるみたいだ。
いや、勝手な想像だけど、だってあたしは今痛烈に、
「分かる」
勝手に口が動く。初めてこいつのこと、似てるかもって思ってしまった。重ねてしまった。
丸くなった碧い眼があたしを見ていて、こいつも驚いてるんだ、今のあたしが小説をポンポン周りに見せられるとでも思ってんのかよと思うと舌打ちしたくなった。
「あたしだって怖い!真剣に向き合って書いた物語をどう思われるかも怖いし、てか今は書こうとすること自体が怖いし。じゃなきゃアレをあんな使い方しないし、あんたにキレたり嫉妬したりとかしないから」
去年の文化祭の後に強い衝動が湧いて、劇本番の感動を小説に落とし込もうとしたのだ。最初から誰かに読んでもらうために、“鍵穴”の時よりもさらに本気で書こうとした。
けどボロボロだった。書きたいことがどんどん指の隙間から溢れ落ちていく。アイデアの手綱を握る技量がないから振り落とされる。操れるようになるまで待てば良いのかも知れない。でもこの気持ちが一番鮮明な今を逃したくない。唇を噛みちぎりそうな悔しさの波間で、ふと力が抜けた時思ってしまった。
あたしは下手だ。なら自分は満足して書けたとて、“鍵穴”みたいなこと、滅多にあるわけない。
イマイチって言われれば?あたしの魂の欠片が誰にも届かなければ?
想像して初めて、ああ、創ったものを手渡すのは丸裸の自分を手渡すことなんだと突きつけられた。
いつかみたいに、「自分の物語で誰かを楽しませたい、動かしたい」とか、素直に願うのも怖くなってしまった。
その上あたしは愚かで、外から“書ける人”って見られる事実は欲しくて堪らない。
文化祭の後から「小説書いてよ」ってリクエストされ始めた。こんな状態なのに、絶対書けないのに、真夜中のお菓子みたいに逆らえないぞくぞくした甘さで心が満ちた。
本気で書くこともそれを読まれることも怖くなっちゃったくせに、ただ一つ生まれた「誰にも負けない事」の種を手放すのは耐えがたくて。
そんな時、スマホの中で絶好のゴーストライターと出会った。
気づいてしまった。気づきたくなかった。
最初から存在しない奴に書かせれば、傷つくことも悩むこともなく、“四中の小説家”でいられる事に。
なのに。
ゴーストライターの完璧さも、汐崎ジェナの文才も悔しかった。
『昔のより今の方が上手いね』って言われるたび、本物のあたしの物語を見せる勇気が潰えてしまってそれが悲しかった。
「何でまだ望んでんだ」
そう零していたことに気づいて意識を引き戻す。
心に刺さった汐崎の言葉がさらに食い込む。『君がまだ自分で書こうとしてる事の方が私は気になる』。
「深山さんもなの?でも、」
「劇で“鍵穴”をやる前は違ったけどね。昔は気楽にやってたから」
その分向上心も無かったのかもな、と、言いながら初めて思った。もしあの時感じたのが、いやたった今も感じてるのが、真剣に何かと向き合うためには避けられない痛みだとすれば。
「散々偉そうに言ってくれるけど、あんたも大概自分の本心無視してるよね」
不思議だった。最初はサラサラで隙がないように見えた薄い色の髪だって、先っぽは傷んでるように見えてくる。
汐崎ジェナも、矛盾も抱えながら傷ついてきた、泥臭い人間だということ。
当たり前の事なのに。こいつに分かるはずないと、悩んでるのはあたしだけだと、勝手に遠ざけていたのかも知れない。その方が楽だから。
思ったよりずっと、あたし達は近い。同じ願いを殺したくて、殺せない。
「“自分が創り上げたものを通して他人の心を動かしたい”んでしょ」
汐崎の破裂しそうに強く結ばれた唇、涙の出る数秒前みたいだ。
「でも出来ない。弱っちいね、あたし達」
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