第7話
「三章終わったからさっきしようとしてた話の続き聞いてもいい?」
ぼんやりしているうちに、本を閉じる「ポン」という音と一緒にそんな声が聞こえた。お前が遮った話か。
「えっと。その本、あたしが小説書き始めたきっかけなんだけどさ。先週の金曜、家帰ったあと、久しぶりに読んでみて」
そこでグッと喉が詰まる。話したくない。
先週の金曜浮かんだ決意、にしては絡まったものを呼び覚まして、舌にかかろうとするブレーキを振り切った。
「読んだ後、色々思い出して。あんたが言った『何で自分のために書かないの』って言葉は……そ、その、通り、だ」
奴のまつ毛が蝶のように羽ばたいた。
「だよね。やっぱり君は周りに合わせるために書きたくない話を」
「違う。あたしは誰かのために書いていたわけでもないよ」
もっと言えば、書いてすらないけど。
奴ははっとしてあたしを見る。
「それはつまり?」
胃の奥が捻じ切れそうになる。言葉じゃなくて血を吐くみたいだな。
「……褒められるためだから。誰かの好みに合わせる気持ちすらなかった。あたしは書けるんだって証明できれば書ければ何でもよかったの。
あたしにとって小説を書くことは、自分の価値を確かめるための手段になってた。でしか無くなった。それは、あの劇の後からだけど」
言っちゃった。閉じた唇がピタリくっついた時、わざと整理しないようにした頭が一気に冷めて、胃の奥が浮いた。
「別にそれでも良いと思うよ」
「え?」
「創作動機に間違いはないでしょう」
肯定されたことに意表を突かれた。
胸が救われたように綻びそうになったけど、
「そうか。でも、」
再び頭の中へ影が落ちる。汚れた承認欲が間違いじゃないとしても、やった事は変わらないよな。
「あたしは盗作をしたから」
その独白はふっと、涙みたいに落ちた。
彼女の眉間が歪んだ。一瞬だけど、鮮明に大きく。
「“鍵穴”の後の、あの赤いノートに載ってる話は全部、書き写しただけであたしは書いてない」
「……誰から?」
怯えを押し殺す。
「えー、あい。
意味、分かるでしょ」
目の前の白目が膨張した。そこの窓ガラスが割れるのを見たみたいに。それ以上汐崎の反応を見るのが怖かった。逃げるように目を離す。
「スランプの間だけ代わりに書いてもらうつもりだったけど、あんまりスラスラ“生成”するもんだから、あたしが時間かけてやってるのは何なんだろって逆に書けなくなっちゃって」
言い訳がましさに軽く吐き気がした。
「そのことが言いたくて来た。相手は別にあんたじゃなくて良かったけど、いい加減誰かに明かしとかないと気持ち悪くて。
でも、もう一生やらないから。盗作は、……小説を書くのもやめる。せいぜいそれがけじめだ」
言って、じゃりっとした。追加で放った言葉が、この後使おうとした勇気を決定的に押し込めたのは分かった。
でも話して初めて、相手の瞳ごしに自分の気持ち悪さを見せつけられて、やっぱりあたしには無理だと分からせられた。こんなことしておいてなお“書きたい”とか望む資格を、あたしは自分に与えてやれないと。
「好きにけなして」
今述べたのは全部、小説を愛する彼女にとって許しがたいことのはずだから。身構えたあたしの緊張を、
しゆっ。
何かが擦れる細い音が裂いたものだから肩が跳ねる。それは微量ながら雷鎚のように、凍てついた空気をかち割った。
汐崎が机の中からにゅっと何かを取り出すのを捉えた瞬間、音の意味を理解して血の気が引いた。
「なっ、お前!!返せっ」
脊髄反射でそれに手を伸ばすが、奴は躱しやがる。
バカ、何であたし達が向かいあって座ったテーブルの下、物を入れるスペースが貫通してるって考えなかったんだろう。
「ああああ!」
自分を呪っている間に、奴は悠々とページをめくっていた!
白ノートを、読まれた。何かががらがら崩れる幻聴が鳴る。もはや抵抗する気力は消え、あたしは発火した顔に空いた穴から間抜けな音を出す装置になった。
嫌でも内容が掴めるだろう間それに目を落としてから、汐崎はこちらを見据えた。
「深山さん、やっぱやめる気ないでしょう」
ノートが被って奴の口元は見えない。けど声が笑ってた。
「これ、私に読ませるつもりだったんじゃない?何でやめたの」
図星を貫かれる。
絶望感と羞恥心と、なぜだかほんの少し「見つかって良かった」って気持ちも混濁して浮かんだ時、
蹴散らすようにガッと戸を引く音で振り返る。
「君たち!最終下校だぞ!」
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