第2話

 始業式から二週間経って、新しいクラスにも慣れた気がする。今日は一人きりの帰り道、あぜ道を背景に傘に春雨が弾ける。

 雨は好きだ。

 例えば、空想してみる。

 雨の国があったら、美しいだろう、と。

 大地の街で、雨が降らなくなっちゃって。人々の心は洗い流されなくなっちゃって、汚れがたまっていった。見かねたその街の子供は、雨の国へ通じる扉を探して、


 小説にしたら、楽しいかな。

 かぶせるように心が言った。しなくていい、想像してみろよ。こんな子供っぽいのみんなに笑われちゃうに決まってるでしょ。誰にも見せないにしても、あたしの技術じゃ完成もしないゴミになってしまう。

 てか、『楽しい』とかウケる。唇を噛んだ。

 しておいて、よくもまだ言えるよね。


「深山さん?」

 名前を呼ばれて、背中がぞわっとすくんだ。

 光を帯びた髪色、灰青の目、白い肌。


 今まさに思い浮かべていた人間が、涼やかなオーラをまき散らしながら真後ろに立っていた。

 肝を冷やさせるのも大概にしてよと思いながら、あたしは生唾を飲み込む。

「こんにちは……汐崎さん」

「今日、一人なんだ」

「うん」

 そういえば、この女と二人きりになるのは初めてじゃないか?

 適当に雑談を交わしながら、フラッシュバックするのはあの日のことだった。

 一週間前。初対面から数日後、何とあたしは汐崎ジェナが書いた小説を読んだのだ。


 休み時間にクラスの女子が奴の机を囲んで、「すごいね」とか「語彙力やばあ」とか言い合ってるのが聞こえてきて、あたしの背中は跳ねた。

 奴がみんなに小説を見せているのだと確信した。だってみんなの反応、あたしの小説を読んでいる時とそっくり同じだったんだもん。

 砂利を噛まされているように悔しさが広がる。

『汐崎さんの方が文章上手そう』

 奴の実力を見るのは怖かったけど、それ以上に居ても立っても居られなくて、「あたしも混ぜて」って輪に入れてもらった。

 タイトルは、“日速三メートルのことば”。

 そして、読み終わって。

 ふらふら目眩がした。目の前のそいつが、澄まし顔でぶん殴ってきた。

 それは短編小説だった。舞台は現代、主人公は中学生の少年で、大切な人に伝えたい想いを言えずに思い悩む姿が描かれる。

 あたしが一番衝撃を食らったのは筆致の美しさだ。読んで頭に広がる情景の、画質が高いのだ。心情を綴る手も丁寧で、気づいたら主人公の心の中へ飲み込まれている。展開も先へ先へと急がせるものがあって、ラストは心にじわりと残る。

 気づけば、原稿用紙の端を歪むほど握っていた。


 ……でもでも。ちょっとだけほっとしたかも。堅いんだ。こいつの文体。

 上手いけど大人っぽすぎるっていうか、中学生が読むには渋いんだよね。それにこの言い回し、いかにも自分に酔いながら書いてそう。

 よかった、よかった。それにこいつはあんまり他人にどう思われるかに興味なさそうだ。「四中の小説家」の座を取られる可能性は低そう。

 だから、想像してたよりなんともないの。


「そういえばさ。先週、深山さん私の小説読んでくれたことあったでしょ?実は私もあの後、深山さんが書いたっていう劇の脚本、読んだ」

 引っ叩かれたように乱暴に意識が引き戻された。

 今なんて?汐崎ジェナがあの脚本を読んだ?それはつまり、間接的に原作の小説を、“山神四中の秘密の鍵穴”を読んだって言えるんじゃないか?

 こいつがあたしの小説を読んだ。しかもよりによって、を。

 鼓動がバクバク暴れ出す。動揺してるのを悟られないよう、にっこり笑顔、笑顔。

「そうなの〜?あれ一年くらい前に書いたから荒くなかった?あたし的には自信ないから、どう思われたか不安だな〜」

 今の、嘘。“山神四中の秘密の鍵穴”は、今まで書いてきた中で一番満足できた小説だから。荒いのは事実だけど。

 でもこうやって予防線貼っとけば下手なくせに自信持ってやんのとは思われない。いつも使うやり方だ。


「そう思ってるんだ?」

 あれ、と思った。生まれた間には何かが滲んでいるようだった。

「……良かったよ。すごく」

 呟くような声。思わずそいつの顔を確かめたあたしは、今度は驚きと戸惑いで目を見開いた。


 あの薄笑いが引っ込んでる!!おまけにこっちを見ていない!

 こんなこと、初めてだ。

「えへへ、あ、ありがとう!」

 アイスブルーの瞳の奥で奴が考えていることは、依然読めない。でも直感がある。あたしは一瞬だけ、こいつのツラの皮を引っ剥がしたんじゃないか?

 こいつの笑顔の奥の、深い深いところで動いてる何かと目が合ったんじゃないか。でもこの感覚、前もどこかで。

 あ。こいつが書いた小説を読んでいた時も、知らないこいつを見ている気がしたんだっけ。

「私。興味が湧いた」

「へ?」

「深山さん。君の書いた小説、もっと読ませてよ」 

 あ。戻った。笑ってるし、目も合わせてる。

「え、あ、うん!光栄だよ!こちらこそぜひ!」


 こいつ今、あたしの小説を読ませろって?

 ゾッとした。嫌な想像が頭を覆う。どうしよう、なんでいいよって言っちゃったんだよ……。

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