第11話 偽者令嬢と鉄道計画2

◇◇◇ 

 その日も、俺たちは偽物エレオノーラ様の護衛という名目で、領主館にいた。

広間では、偽物エレオノーラ様が今日もご機嫌に贅沢三昧。俺は例によって、エレオノーラ様の隣で、警戒の目を光らせていた。

 ……いや、正直言うと、最近はもう警戒というより観察に近い。偽物エレオノーラ様の動きはほぼ毎回ワンパターンで、豪勢に買い物しているか豪遊しているかだし、取り巻きの従者たちも、甘い汁にたかりたいのが丸わかりの、衣装だけのド素人。従者としての訓練も受けたことがないだろう。

エレオノーラ様はこの街の未来のために、夜を徹して企画書を練り、書類をそろえてあちこちを回って根回しし、街の人たちを根気強く説得したり励ましたりしているってのに。この間なんて、ご自分で炊きだしにまで参加してたんだぞ。まあ料理の腕やら盛り付けやらはサッパリだけど、食材を刻むのは役立ってた。包丁じゃなく剣でやってたのは、一回目をつむろう。うん。食えりゃいいんだ。

なんか腹立ってきた。

もう、全員殴って終わりでいいんじゃないかな? 黒幕とかもうよくね? 実行犯やっつけりゃ、とりあえず終わるだろ。

 ……そう、俺が思いかけていたとき。

 領主館の執事が「エレオノーラ様、後見のマラディー様がいらっしゃいました」と報告に来た。

偽物エレオノーラ様が、パッと嬉しそうに顔を上げる。

入ってきたのは、黒い高級な服を着た初老の紳士。鋭い目つきと、無駄のない立ち居振る舞い、高位貴族に見えるが、その割にたくましく、腰には剣をさしている。

そのとき、エレオノーラ様の表情が消えた。

いや、違う。消えたんじゃない。

血の気が、スッと引いた。顔がまっしろになった。

普段は気丈なエレオノーラ様が、まるで蝋人形みたいに固まっている。

「レオ様……?」

 俺が声をかけても、エレオノーラ様は小さく震えていた。

まさか。あの向かうところ敵なしのエレオノーラ様が、こんなふうになるなんて。

マラディー? 誰だ……?

「……グリムハルト侯爵……?」

 エレオノーラ様が、かすれた声で呟いた。

その名前に、俺は思わず体を硬くする。

グリムハルト侯爵――うちのアロガンテ公爵家が革新派と呼ばれるのに対して、保守派の筆頭。いわば、アロガンテ公爵家の天敵であり、政敵だ。

 そして……公にはなっていないが、エレオノーラ様はグリムハルト侯爵に、幼い頃のトラウマを抱えている。

 しかし、紳士はエレオノーラ様に目もくれず、偽物エレオノーラ様に向かって微笑むと、優雅にお辞儀をした。目尻が下がると、今までの厳つい雰囲気が一掃され、親しみやすい好々爺然とした雰囲気になる。

「やあやあエレオノーラお嬢様、今日もご機嫌ですな?」

「もちろんよ、マラディーおじ様に会えたんですもの。この街にも少し飽きてきたところなの。王都と違って、ろくなものがないのですもの」

 偽物エレオノーラ様は、まるで恋する乙女のように紳士に笑いかけた。紳士は手を伸ばし、猫の子を撫でるように偽物エレオノーラ様の髪を撫でつける。

「それはいけませんな。エレオノーラお嬢様に気晴らししていただくのがこのマラディーのつとめ。一緒に観劇でも参りましょうか」

「嬉しいわ」

 偽物エレオノーラ様が紳士の手を取る。

 その茶番劇を見せられながら、エレオノーラ様は、直立不動のまま、微かに肩を震わせている。俺は、そっとエレオノーラ様の手に触れた。

その手は、氷のように冷たかった。

◇◇◇

 護衛の勤務が終わり、控え室に戻った瞬間、エレオノーラ様は崩れ落ちるように床へ座り込んだ。

そして、顔を両手で覆う。

「ダメね……もう、乗り越えたと思ったのだけれど」

 小さな声だった。普段の毅然とした口調とはまるで違う、弱々しい声。

「エレオノーラ様……」

「あの人……グリムハルト侯爵よ。いえ、本人かと一瞬思ったけれど、弟の一人ね。わたくし、昔からあの兄弟を見ると、震えて何もできなくなってしまって……」

 エレオノーラ様の肩が、細かく震えている。その姿は、俺の知っているどんなエレオノーラ様とも違っていた。

完璧で、気高くて、誰よりも強い――そんな人が、今はただ一人の幼女みたいに、肩をふるわせて怯えている。

俺は、そんなエレオノーラ様のトラウマの元を知っている。

「当然です。殺されかけたんですから。怖くてもいいんです。完璧じゃなくてもいいんですよ。エレオノーラ様だって、人間なんですから」

 俺は、エレオノーラ様の肩をそっと抱いた。

下僕の分際で生意気よ、なんて怒られるかとも思ったけれど、俺の腕の中で、エレオノーラ様は小さく嗚咽を漏らし、ぽろぽろと涙を流した。

 きれいだ、と思った。弱くて、強くて、本当にきれいだ。

「……アハト……ありがとう。あなたがいてくれて、良かったわ」

「いつまでも、どこまでも、俺は、エレオノーラ様の味方です」

 どんなに強がっても、どんなに完璧でも、エレオノーラ様は人間だ。それが切なくて――なぜか、嬉しかった。

◇◇◇

 翌日、街に新たな噂が流れた。

「王太子殿下が、この町にいらっしゃるらしい!」

 領主館は、朝から大騒ぎだった。

偽物エレオノーラ様は、いつも以上に浮足立っている。鏡の前で、ドレスの裾を何度も直し、落ちつかなげに髪をいじりまわしている。

「どうしよう、どうしよう……王太子殿下が本当に来るなんて! 聞いてないわ!」

 イライラと爪を噛んでいるものだから、メイド達が美しく整えた爪がガタガタだ。

 そこへ、グリムハルト家のマラディーがニコニコと笑いながら現れた。

彼は嬉しそうに偽物エレオノーラ様を祝福する。

「良かったですねぇ、エレオノーラ様。これまで頑張ってこられた甲斐があった! 王太子殿下が、わざわざこんな辺境の街まで、貴女のためにいらっしゃるというのですから!」

そこから声を落とし、偽物エレオノーラ様の耳元で囁く。

「なに、心配めされるな。貴女は実に殿下好みですよ。もともと、殿下の婚約者――ソフィア嬢をいじめたエレオノーラをこらしめ、殿下の気を引くためにやったことではありませんか。殿下に気に入られたら、側室――いや、ソフィア嬢を押しのけて王太子妃だってあり得る」

「王太子妃? このわたくしが? 今みたいな贅沢が、ずっとできるってことですのね?」

大きな笑顔でマラディーが頷くと、偽物エレオノーラ様は、急に目を輝かせてウキウキとやる気になった。

「王太子殿下をお迎えするのに、パーティを開いてもらいましょう! 誰か、領主に命じてきてちょうだい。盛大なパーティよ! ああ、新しいドレスを作らなくちゃ。王太子殿下はいついらっしゃるのかしら。急がなくちゃ間に合わないわ」

……なんだか頭が痛くなってきた。なんなんだこの娘は。単純すぎる。自分が何に巻き込まれてるのか、分かってるのか? 公爵家の家紋を偽造しただけでも、終身刑レベルの重罪だぞ?

マラディーは、そんな偽物エレオノーラ様を一瞥し、薄く笑った。

◇◇◇

 そして、運命の日がやってきた。

 ジュリアン王太子殿下と、その婚約者――ソフィア嬢が、領主館を訪れる。

街中に旗が掲げられ、広間には豪華な宴席が設けられた。

領主は、緊張した面持ちで王太子殿下を迎え入れる。

「ようこそお越しくださいました、王太子殿下。お待ち申し上げておりました」

「ご苦労さま。今日は迷惑をかけるね」

 淡い金髪に青い目の、いかにも王子様然とした王太子殿下は、爽やかな笑顔を浮かべている。その隣には、栗色の髪に焦げ茶の瞳の可憐なソフィア嬢。

二人の姿は、まさに絵に描いたような美男美女カップルだ。

 偽物エレオノーラ様は、緊張と興奮で顔を紅潮させながら、広間の中央に進み出る。

領主が、得意げに紹介する。

「殿下、エレオノーラ公爵令嬢がご挨拶申し上げたいと」

 けれど王太子殿下は偽物を一瞥し、首を傾げた。

「……誰だい君は? 僕はエレオノーラに会いに来たんだけど」

 場が、一瞬で凍りつく。

「えっ……?」

領主の顔色が、音を立てるように真っ青になった。

「え、ええと、こちらがエレオノーラ公爵令嬢では……?」

 ソフィア嬢が、王太子殿下の袖をそっと引っ張る。

「殿下、この方はどなたでしょう?」

「分からないな。僕はこの人に会ったこともない」

 王太子殿下は、冷たく言い放った。

「僕は君を知らない」

偽物エレオノーラ様は、ぎこちなくなりかける笑みを精一杯張り付かせて、王太子殿下にしなを作った。

「王太子殿下、お慕いもうしあげておりました。ソフィア様を虐げた悪人をこらしめるためにこのようなことを致したのです。ソフィア様の次でかまいません、お側に置いていただけませんか」

 偽物が、王太子殿下のマントへと手を伸ばす。

けれど王太子殿下はその手を払い落とした。

「王族に無断で触れるのはやめたほうがいい。僕は君なんて知らないし、エレオノーラがソフィアを虐げた? そんな事実無根な話、吹聴しないでもらえるかな。むしろ、エレオノーラは潔く身を引いてくれた。だから僕は、ソフィアと一緒になれるんだ」

 偽物エレオノーラ様は、完全に血の気が引きガタガタと震えだした。

「で、ですが……わたくしは、王太子殿下のためだと聞かされて……」

「騎士たち、どうした。エレオノーラ公爵令嬢の名を騙る偽者だ、捕縛せよ」

「きゃあっ!」

 騎士たちが一斉に偽物を取り囲み、腕をねじ上げて拘束する。

広間には、ざわめきと驚きの声が広がった。

 領主は、顔面蒼白で王太子殿下に詫びる。

「ご、ご無礼をいたしました! まさか、偽物だったとは……」

おろおろする領主を放置し、王太子殿下はとある一点を見て微笑んだ。

「まったく、王都からいきなり消えて何をしているのかと思えば……自分の偽者の護衛かい? ちょっと道楽が過ぎるんじゃないかな」

王太子殿下の視線の先にいるのは、護衛の女戦士――エレオノーラ様だ。

「僕は礼を言いに来たんだよ。君があっさりと婚約解消を受け入れてくれたから、僕はソフィアと結婚することができる。それなのに君は雲隠れして、ちっとも居所が分からないんだから。せっかく噂を聞きつけたと思ったら、偽者だしさ」

 エレオノーラ様は、少しだけ微笑んで頭を下げる。

「ご婚約、おめでとうございます。ソフィア様、どうかお幸せに」

 ソフィア嬢は、涙ぐみながらエレオノーラ様の手を取った。

「エレオノーラ様……本当に、ありがとうございます」

 その光景を見て、広間の有力者たちがざわざわとし始める。

その光景を見て、広間の有力者たちがざわざわとし始める。

「よく見たら、あの人……うちの店を救ってくれた貴族のお嬢様じゃないか」

「炊き出しを手配してくれたのも、確かこの方だったはずだ」

「まさか、偉そうにしていた公爵令嬢が偽者で、あの方が本物の……?」

「じゃあ、鉄道を誘致するって話も本当だったのか?」

「貧民街の子供たちに、字を教えてた」

「あたしたちは偽物に騙されて、あんな方を悪く言っていたのか……」

「そういえば最初の頃、従者の人が『この人が本物のエレオノーラ様だ』とか言ってたっけ……鼻で笑っちまったよぅ」

「俺、あの方ご自身に、貴族なんてクソクラエだって言っちまった!」

「わしらの気持ちなんぞ分からねぇワガママ令嬢だって、愚痴っちまったよ!」

 感動に頬を紅潮させる人間に、青ざめる人間に。

 いやあ、気持ちがいい。今までの鬱屈していた気分がサーッと晴れていくようだ。

うんうん、うちのあるじは格好いいだろう? 傲慢で自信満々に見えるけど、実は繊細なんだ。せいぜい感謝し崇めて、表には表さないようひっそりと落ち込んでいた気分を盛り上げてやってくれ。

「エレオノーラ様、万歳っ」

「アロガンテ公爵家、万歳っ」

誰かがひとこと言い出すと、集まっていた人々がいっせいに叫びだした。

領主もちゃっかり便乗して、誰より大きな声で叫んでいる。偽物エレオノーラ様にまんまとだまされた失敗をチャラにしようと必死なようだ。

「そんな、わたくしは……わたくしは、公爵令嬢と名乗っても誰にも信じてもらえないくらいで、その……」

 表だって褒められることの少ないエレオノーラ様が、珍しく動揺している。

 ふふ、ああいう姿を見ると、まだ小さかった頃の、初めてお会いした頃のエレオノーラ様を思い出す。

引っ込み思案で、公爵様の影に隠れていて、それでも死にかけた俺を放っておけず、拾ってくれた小さな優しいお姫さま。

エレオノーラ様が変わったのは――……そう。

あの、グリムハルト侯爵の一件だった。

ギリッ、と俺は奥歯を噛んだ。

エレオノーラ様は、お強くなった。だから、乗り越えたんだと勝手に思っていた。

それなのに……昨日の、肩を震わせていたエレオノーラ様の姿が頭をよぎる。

ずっとお側に仕えながら、俺はエレオノーラ様の何を見ていたのか。

守られてばかりで、俺は――

「私はっ、認めないわっ! 何が公爵令嬢よ! 貴女がやったのは、全部お金があるからできたことじゃないっ! 貧乏で、食べるものもなくて、お母さんもお兄ちゃんも妹も死んでいったとき、貴女は私に何もしてくれなかった! だから私は、自分で成り上がるしかなかったのよ!」

エレオノーラ様を包む歓声を押し破って、甲高い声が響いた。

「飢えて死にそうだった私に声をかけてくれたのは、マラディーおじさまだけだった! 一緒に悪い貴族令嬢をこらしめよう、って! 食事も服もくれたわ。私は良いことをしたの、それで王太子殿下に気に入られて、お姫様になれるはずだったのよ!」

縄を打たれた偽物エレオノーラ様が、ボロボロと泣きながら叫んでいた。

「黙らせろ」

王太子殿下の指示で騎士が偽物エレオノーラ様の口を塞ごうとしたのを、エレオノーラ様が押しとどめる。

「そう、貴女にも事情があったのね。ご家族が亡くなったのは、確かにわたくしたち為政者側の落ち度だわ。謝って済む問題ではないけれど、すまなかったわね、ノワ」

エレオノーラ様を睨んでいた偽物エレオノーラ様が、まん丸に目を見開いた。

「……私の、名前」

「ノワというのでしょう? ここから近いグレハムの街で商売をしていたご両親とお兄さんと妹さんがいて、それなのに悪徳商人に騙されて、お父様は自害、お母様とお兄様も亡くなった。でもね、貴女は忘れさせられているようだけれど……妹さんは、まだ生きているわ」

「……え?」

「彼らの手口よ。使い勝手の良いコマには、薬を使って思うように操るの……『天使の唇』って赤い薬よ。覚えはなくて?」

「そんな……おじさまがくれた……? ちがう、ちがうちがう、おじさまが私をだますはずがない! おじさまっ」

 エレオノーラ様は当りを見回し、首を横に振った。

「もう、いないわ。でも、貴女にはまだ妹さんが残ってる。この街の孤児院に引き取られていたわ」

「うそ……うそよ……」

偽物エレオノーラ様――ノワは呆然と顔を覆った。

「私……妹の名前、覚えてない……? お兄ちゃんと、お母さんの顔も……?」

その細い肩を、エレオノーラ様はギュッと抱きしめた。

「大丈夫よ、療養すればきっと良くなる。妹さんとも会えるわ。貴女は利用されていたんですもの」

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