第10話 偽者令嬢と鉄道計画1

 

 カミーユから連絡が入ったのは、夜明け前のことだった。例によって紙飛行機だ。

 俺の寝ていたベッドの上に、窓からスッと滑り込んできて、額にクリーンヒット。寝起きに痛い思いをさせられるのは勘弁してほしい。

 俺は朝イチで銀の盆に手紙を載せて、エレオノーラ様の部屋の戸を叩いた。

 誰何すいかの声の後、カチャリと戸が開いてアリスが顔を出す。

 中ではヴィヴィアンがエレオノーラ様の髪を梳き、クロエが朝食の準備をしていた。

「エレオノーラ様、またカミーユからです」

「ふふ、楽しみだこと。今度はどんな事件かしら?」

 エレオノーラ様は、俺の手から紙飛行機をひょいと取って、テーブルの上に広げる。

 朝食のスクランブルエッグとベーコン、トースト達はクロエによってササッとどかされた。

 相変わらず寝起きとは思えない完璧な美貌と、無駄のない動き。俺なんてまだ目が開ききらないってのに、この人は一体どうやって生きてるんだろう。

 昨日だって、遅くまで灯りを消さずに書類を書いていたのを俺は知っている。

「“東の国境の町で、エレオノーラ様の偽物が現れた。違法薬物『天使の唇』も蔓延し始めている。急げ”……ね」

「エレオノーラ様の偽物ですか? エレオノーラ様をかたるとは、また命知らずというか何というか」

「それって褒めているのかしら?」

「当然じゃないですか。それにしても、厄介なものが出てきましたね」

「あら、面白そうじゃない? わたくしに似ているのかしら? ワクワクするわね、是非とも見てみたいわ」

 エレオノーラ様の目がきらきらしている。俺は思わずため息をついた。どうせまた、俺が振り回される未来しか見えない。

 朝食もそこそこに、俺たちは車を走らせて東の国境の町を目指した。

 途中、例によってアリスやヴィヴィアンたちメイド部隊は別行動だけれど、また必要なときにはどこからともなく現れ、諜報やエレオノーラ様の身支度なんかをちゃちゃっとこなしてくれるだろう。当初主従二人旅の予定だったはずだけれど、気づけば大所帯になっているのは、もう突っ込まないことにした。


 ◇◇◇


 国境の町、カリュスト。帝国との交易で栄えたはずのこの街は、今やどこか荒んでいた。石畳の広場には浮浪者や失業者が増え、空き店舗の窓には「閉店」の張り紙が目立つ。

 そんな中、探すまでもなくひときわ目立っていたのが、公爵家の紋が入った金色の馬車と、黒服の従者を何人も連れた美少女――エレオノーラ様の偽物だ。

 ……いや、見た目だけなら確かにエレオノーラ様に似ている。長い金髪に紫がかった瞳、贅沢な青色のドレス。王太子殿下の目の色だ。王都にいた頃、あれとほぼ同じドレスをエレオノーラ様が着ているのを見たことがある。王太子殿下の誕生日パーティだったか……つまり、あらゆる貴族に見られていた場所で、だ。

 エレオノーラ様を知らない平民どころか、エレオノーラ様を遠目にしか見たことがない貴族だって、あの少女が公爵家の家紋入りの馬車で現れたら、とても偽者だと疑うことはないだろう。

 それくらいよくできた偽者だった。

「わたくしの名で買い物をして、支払いを踏み倒しているという話だったわね」

 エレオノーラ様は、眉ひとつ動かさずに言った。

「俺たちが本物だと証明するのは、面倒そうですね。うちの車は、中身こそ最新モデルの高級車ですけど、長旅のせいですっかり傷だらけですし。あっちはあんな派手な公爵家の家紋入り」

「いいのよ、わたくしの名なんてどうでも。わたくしの名が落ちてソフィアがやりやすくなるなら、むしろ歓迎だわ。でも――民が困っているのは、見過ごせないわね」

 俺は内心、感動しかけてから……ちょっと心配になった。

 エレオノーラ様は傲慢で高慢に見えるけれど、根っこの方はとても優しい。守りたいと思っている人々に意味もなく嫌われて、傷つかないはずはないのだ。

 見た目と言動にまっっっっったく表れないのが、玉に瑕だけれど。

 ◇◇◇

 街の商店街を歩いてみると、どの店も浮かない顔だ。

「公爵家の令嬢様に売ったはいいけど、支払いがなくて……」

「『後で払うわ』っておっしゃるが、その『後』がいつなんだか」

「うちも、もう店を畳むしか……」

 宝石店も薬草屋も、布屋も工芸品屋も、みんな同じように嘆いている。

「アハト、手持ちの現金を全部出して」

「え、偽者の散財を、エレオノーラ様が払うんですか?」

「そんなわけないでしょう。わたくしはわたくしの買い物をするのよ」

 俺は財布を差し出した。エレオノーラ様は、それを持って次々と店を回り、高価な宝石や薬草、布地や工芸品を買い漁った。しかも、現金一括払いだ。

「エレオノーラ様、これじゃとてもじゃないけど足りませんよ」

「大丈夫よ。アハト、アリス達がもうじき追いつくから」

 エレオノーラ様は、俺の心配などお構いなしに、次々に「わたくしの買い物」を済ませていく。

「これで、一通り回ったわね。最低限の生活費は確保できるはずよ」

 見かけ倒しの偽物と違って、本物のエレオノーラ様は、ちゃんと現実的な救済策を考えている。

 ……でも、これじゃあ財布がいくつあっても足りない。

 ◇◇◇

 「このままじゃ一時しのぎ、焼け石に水ですよね」

 俺がぼやくと、エレオノーラ様はニヤリと笑った。

「そうね、だったら、もっと大きなことをやりましょう。アハト、地図を出してちょうだい」

「地図ですか?」

 エレオノーラ様は、街の地図と、国内の地図、それからアロガンテ公爵家が関わっている鉄道網の資料を広げる。

「この町、元々は隣のイェシル帝国との交易拠点として栄えていたはずなのに、数年前に国境の大橋が落ちたせいで、物流が滞っているのよ。今は山越えの道で、細々とした交易が続いているだけ。未来への展望が見えなければ、人の気持ちも落ちる。でもこの地には、他にはない需要と勝算がある。なら――」

 エレオノーラ様の目が、鋭く光る。

「『道』さえあれば解決する話よ。帝国へつながる新しい鉄道を敷設する。公爵家の資金と名で、帝国側と交渉し、物流と人の流れを一気に活性化させるの。失業者や職人たちを雇って、駅舎や線路の建設にも関わってもらう。この街の未来を、変えてやりましょう」

「また壮大なことを……」

 でも、この人の“やる”って言葉は、絶対だ。

「分かりました。全力でサポートさせていただきます」

 せっかく恭しく久しぶりの執事らしい台詞を言ったってのに、エレオノーラ様は感動するでもなく「ふぅ」とため息をついた。

「イェシル帝国との道を開く前に、違法薬物――『天使の唇』を何とかしなくてはね。あんなものが隣国に流れ込んだら、悪くしなくても国際問題よ」

 ◇◇◇

 その日の夕方、広場で偽物エレオノーラが護衛の募集をしているという噂をアリス達が聞いてきた。

「アハト、行くわよ。中から黒幕を探すの」

「……エレオノーラ様ご自身が行かれるんですか? アリスとかヴィヴィアンに潜入してもらえば……」

「アリス達の戦い方は暗器ですもの、人に見せるのには向かないわ。虎穴に入らずんば虎児を得ずっていうでしょう」

「無茶しないでくださいね」

「何を言っているの。あなたも一緒に行くのよ」

 言うと思った。言うとは思ったけど。

「知ってます? 俺、執事なんですよ」

「貴方は万能執事でしょう? 護衛くらい朝飯前よね」

 エレオノーラ様は、さっさと応募用紙に偽名を書き、俺の分も勝手に書き込んだ。


 他の応募者たちに混じって、変装した俺たちは領主館の広間に通された。

 エレオノーラ様は金髪を茶色に染めている。

 偽物エレオノーラ様は、公爵令嬢の権限で領主の館に居座っているらしい。領主の館自体は、さすが国境の街というか、石造りの堅牢で質実剛健な造りだったけれど、偽物エレオノーラ様が住んでいるらしい一角だけが、なんだかキランキランしている。

 これ、領主も迷惑してるんじゃないかなー。

 領主の館には不釣り合いに飾られた広間では、金髪の美少女が贅沢な椅子にふんぞり返っていた。

「わたくしの護衛を、平民なんかから選んであげるのよ。感謝なさいね」

 ……ああぁぁぁ。なんだろう、多分この子、貴族出身じゃない。貴族令嬢ってのはそれこそ生まれたときから指先に至るまでマナーとか姿勢とかたたき込まれるから、脚を組んでいてもどこか優美さがにじみ出る。高位貴族になればなるほど、それが顕著だ。

 街で見たときにはよくできた偽者だと思ったけれど、こうして実際に接してみると、急ごしらえ感ていうか、違和感が酷い。

 よく領主までだませてるな、これ。

 ってかエレオノーラ様って、他の貴族に何だと思われてるんだろう。急に心配になってきた。

 頭を抱える俺を横に、エレオノーラ様はまったく気にする様子もなく、堂々と偽物の前に立つ。

「二人とも腕には自信があります。雇っていただけますか」

「ふーん、剣士と女戦士のバディってわけ? そんなに自信があるなら、腕を見せてちょうだい」

「そのへんの先輩方を叩きのめせば合格でしょうか?」

「あなたたち二人で模擬戦をして見せてよ」

 偽物エレオノーラ様が興味津々に声をかけると、エレオノーラ様は静かに頷き、レイピアを手に取った。一瞬驚いたものの、俺も長剣を手にし、エレオノーラ様に向き合う。

「ふふ、久しぶりね」

「どうぞ、お手柔らかに」

 次の瞬間、エレオノーラ様がしなやかに踏み込み、銀の軌跡を描いてレイピアを突き出す。普通の相手ならかわせないだろうそれは、俺には馴染みのある動きだ。幼い頃から何回何十回、何百回、エレオノーラ様の練習に付き合わされたことか。

 俺は素早く身をかわし、長剣でその刃を弾いた。金属と金属が澄んだ音を立てる。

 エレオノーラ様の動きは華麗で、まるで舞うようだった。俺もまた、その動きに何とかついて行っている風に見えるだろう。

 俺たちの攻防は何度も繰り返してきたがゆえに完成されていて、偽物エレオノーラ様達は目を丸くして見入っている。

「すごい! きれい……戦うのがきれいだなんて、初めて思ったわ。合格、二人とも採用よ!」

 はしゃいだ声で偽物エレオノーラ様が告げて、俺たちの模擬戦は終了となった。

 控え室を与えられた俺たちは、いったん部屋に引っ込む。

 男女なのに同じ部屋なのは、カップルか何かだと思われたのか――まあ、エレオノーラ様が気にしてないみたいだから、よしとしよう。俺だけ意識してるってのも、なんかシャクだしな。

「エレオノーラ様、この先どうします?」

「しばらく『お仕え』して様子を見るわ。公爵家の家紋付きの馬車なんて、平民の女の子がおいそれと用意できるものじゃないもの。裏にいる“大人”を探るのが先決よ」

 その時、領主館の兵士の一人が戸を叩いた。

「大変です、広場で暴動が……! ご協力を願います!」

 ◇◇◇

 広場には怒号が飛び交っていた。

「金をよこせ!」

「騙しやがって!」

 失業者や偽物エレオノーラ様に踏みにじられただろう人々が、あるいは物を破壊し、あるいは立ち並ぶ店から強奪を始めている。中には「天使の唇」を求めている者もいるようだ。

「天使の薬をよこせ……!」 「もう薬がないんだよぉっ!」

 中毒者の一人が、俺たちの方へふらふらと近づいてくる。目が血走り、手が震えている。

「アハト、下がってちょうだい。ここはわたくしが」

「いやいや、俺もいるんで! 多少はアテにしてくださいよ!」

 俺はエレオノーラ様の前に立ち、短剣を構える。

 けれど次の瞬間、エレオノーラ様は茶色の髪を翻し、腰に差していたレイピアを静引き抜きながら俺の横を駆け抜けていた。その動きは、貴族の嗜みなどという生易しいものではない。鋼の刃が夕焼けを反射しきらりと光る。

「エレオ――じゃない、レオ、殺しちゃダメですよ!」

「分かってるわ。けど、傷つけないようにっていうのは、ちょっと難しいわね」

 その言葉と同時に、中毒者がナイフを振り回して襲いかかってきた。

 俺は素早く間合いを詰め、男の手首をひねり上げる。ナイフが地面に落ちた瞬間、エレオノーラ様のレイピアが迷いなく男の脇腹へ突き込まれる。だが、一度引き抜かれたはずの刃は鞘に収められていて、局所的な打撲に収まったようだ。それでも男は呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。

 けれど、周囲にはまだ何人も中毒者がいる。

 俺はエレオノーラ様と背中合わせに、次々と襲いかかる男たちを制圧していく。殴りかかってくる腕を受け流し、足払いで転ばせ、時には短剣の柄で意識を飛ばす。

「レオ様、後ろ!」

「任せてちょうだい」

 エレオノーラ様をエレオノーラ様と呼べないのがもどかしい。

 けれどつい小さい頃の愛称で呼んでしまったからか、エレオノーラ様は上機嫌にレイピアを振るい、華麗な足さばきで男たちを蹴散らしていく。

 一本の細剣が、まるで生きて踊っているような軌跡を描く。突進してきた男の棍棒を、レイピアの鍔で弾き、逆手に持ち替えた瞬間、相手の肩口を的確に突く。もう一人が背後から抱きつこうとしたが、エレオノーラ様は体をひねり、レイピアの柄で相手の顎を打ち上げた。男は白目をむいて倒れ込む。

 三人目がナイフを持って突っ込んできた。エレオノーラ様は一歩下がり、ナイフの軌道を見切った上で、レイピアを引き抜き男のズボンの帯を切り裂く。落っこちたズボンに足を取られ、男は盛大にスッ転んだ。

「ふぅ……」

 気づけば、広場には呻き声だけが残っていた。

 領主が派遣した兵士達が、とりあえず片っ端から暴れた者達を捕縛していく。

 俺は乱れまくった息を整えつつ、エレオノーラ様に声をかける。

「やっぱり、暴力は最終手段ですね」

「必要な時は、遠慮なく使う主義よ」

 レイピアの刃先を軽く払う仕草すら、優雅で隙がない。貴族の令嬢でありながら、女戦士を装ってもこの違和感のなさ――まさにエレオノーラ様の真骨頂だ。

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