第14話
高橋君からの告白が学園内で話題となる中、私は落ち着いた日常を取り戻していた。
翌週の月曜日、教室に足を踏み入れると、クラスメイトたちの注目が一斉に集まるのを感じた。女子生徒たちの反応は実に多彩で、好奇心に満ちた目で見つめる者もいれば、なんとも言えない微妙な表情を見せる者もいる。
けれども私にとって、そうした周囲の動向はさほど気にかかることではなかった。
文化祭での成功を踏まえ、すでに次なる企画の構想が頭の中で動き始めていたからだ。専門誌での掲載についても着実に話が進展しており、模型製作に対する熱意はこれまで以上に燃え上がっていた。
「リコ、本当にハルト君を振っちゃったの?」
その時、ヒナが驚愕の表情を浮かべながら私に問いかけてきた。
「はい。その通りです」
「どうして!? あんなに魅力的な人なのに!」
「価値観の相違です。彼は優秀な方ですが、私にとって恋愛は最優先事項ではありません」
呆然とした様子のヒナは、深く溜息を漏らした。
「もったいない……本当にもったいないわ……」
それは彼女の決まり文句だったが、今回はいつになく落胆している感じがあった。
「でも」
ヒナは少し思案するような仕草を見せてから、話を続けた。
「リコがリコらしく生きるのが一番なのかもしれないよね。あなたの模型作りに対する情熱、私にはよく分からないけれど、それがあなたを一番輝かせてるのは確かだもの」
その発言は、私にとって予想外のものだった。恋愛こそが全てと言わんばかりの彼女が、私の生き方をありのまま認めてくれている。
「ありがとう、ヒナ。あなたがそう言ってくれると心強いです」
「まあ、私にはまだよく分からないことばかりだけれど、リコが幸せならそれでいいのよ。ただし!」
ヒナは人差し指を立てて、いつもの調子に戻った。
「たまには女の子らしいことも楽しんでよね。新しい服を買ったり、お化粧を研究したり。それも青春の一部なんだから」
「考慮してみます」
一方、高橋君の方は、告白を断られたにも関わらず、驚くほど自然な態度で接してくるようになった。
「桜井さん、おはよう」
彼はいつものように声をかけてきたが、その様子には以前のような特別な想いは感じられなかった。むしろ、何かを清算したような爽やかさがあった。
「おはようございます、高橋君」
「君の模型、専門誌に掲載されるんだってね。素晴らしいじゃないか」
「まだ確定ではありませんが、そういったお話をいただいております」
「友人として、君の世界を応援させてくれ。きっと素晴らしい作品を作り続けていくんだろうね」
彼のその言葉には、純粋な友情と敬意の念が込められているように思えた。告白を断られたことで、彼なりに何かを悟ったのかもしれない。
そんな変わらぬ日常を過ごしていた矢先、私のSNSには、専門誌編集部から正式な掲載決定の通知が届いた。私とソウタ君の作品が、次号の特集記事で大々的に紹介されることが決まったのだ。
その報せを受けた時、私は一人で控えめにガッツポーズをした。これで私の技術力が、専門的な領域で公式に評価されたことになる。
放課後、ソウタ君にその件を伝えた。
「専門誌への掲載が正式に決まりました」
「……そうか。良かったな」
「はい。お疲れさまでした」
「……俺も、勉強になった」
簡潔な会話。しかし、それだけで完璧だった。
文化祭が終わったあと、彼との交流は必要最小限に戻っていた。授業中に視線が交わえば軽く頷く程度で、特段の会話をするわけでもない。それが私と彼との間では適切な距離だった。
そして、この報告をもって私たちの協力体制は、この瞬間に正式に、そして円満に完了したと感じられた。
お互いに目的を達成したのだ。相互への敬意と感謝の気持ちだけを残して。
◇
帰宅してから、私は迷わず自分の部屋の作業台に向かった。
台の端では、ついに完成した姫路城の天守閣が、室内の明かりに照らされて静寂のうちに立っている。新開発の樹脂素材を駆使した窓枠や装飾パーツ、そして見事にウェザリングされた白い外壁。長い月日をかけた努力が、ついに形になった瞬間だった。
しかし私の関心は既に次なる挑戦へと移っている。机上に広げたのは、大判の白紙と、大量の参考資料。当時の呉軍港を写した航空写真、戦艦大和の詳細図面、そして造船所で働く人々を記録した貴重な写真群。新たなプロジェクトが始動していた。それは『戦艦大和と呉軍港のジオラマ』という野心的な構想だ。
文化祭の飛行場ジオラマが「平面」の美学だったとすれば、今度は「立体」と「密度」の究極を目指す。特に大和型の艦橋構造は、無数の装置が錯綜する、模型製作者にとって至難の要塞と言える。市販キットでは簡略化される測距儀や射撃管制装置の詳細、縦横に走る手すりや通信ケーブル。それらを1/350スケールで、史料に基づいて可能な限り忠実に再現したい。頭の中で青写真を描くだけで、思考回路が何段階も加速し、指先に創作欲がみなぎってくる。
港湾設備の再現も、全く新しい課題だ。巨大クレーンの鉄骨構造、燃料供給設備の配管系統、弾薬保管庫の内部構造。これらを一から手作りしていく必要がある。単純にクレーンを置くだけでなく、船体ブロックの組み立て手順や、資材輸送の流れを考慮して配置しなければ、本物らしさは生まれない。
白紙の上を、0.3ミリのシャープペンが走り始める。まずは港の岸壁の正確な寸法を算出し、大和の巨体がどのように停泊するかを確定する。水線の高さ、曳船の位置、クレーンの動作範囲。全ての構成要素が、相互に支障をきたさないよう、精密な計算に基づいて配置されていく。
この瞬間が、私にとって何よりも至福の時間だった。誰の価値観にも束縛されず、誰の感情にも左右されず、ただ純粋に、理論と技術と知識だけで、無から有を創造していく。この空間では、私が唯一絶対の創造者である。
私は自分の選択に、一片の悔いもなかった。
恋愛も友情も、それぞれに意味があることは承知している。ヒナとの友情は、私が自分だけの世界に引きこもりすぎるのを防いでくれる大切な絆だ。高橋君との出会いは、恋愛という未体験の現象を間近で観察できた貴重な事例だった。
それら全てに謝意を抱いている。けれども、それら全てを考慮しても、私にはこの机上が、この創造の瞬間が、何にも増して尊いものだった。
これからも、自分の信念に従った道を、自分の速度で進んでいこう。誰かに歩調を合わせる必要はない。私には私固有の理想がある。
図面に刻まれた線の一本一本が、私の将来そのものだった。文化祭での達成は確かに喜ばしい出来事だったが、それは一つの検証実験が完了したに過ぎない。私の目標は、もっと高次の地点にある。いつか、国際的なコンテストにも挑戦してみたい。言語が通じなくても、この精巧な模型が、私の思想と情熱を雄弁に代弁してくれるはずだ。そのためには、まだ修得すべき技法が無数にある。金属エッチングパーツの独自製作、光ファイバーを用いた照明演出、3Dプリンタによるオリジナル部品の造形。その一つ一つが、私を未知の境地へと誘ってくれるだろう。
単独で歩む道のりは、時として孤独を感じることもあるかもしれない。しかし私にとっては、自分の思考と技能だけで世界を構築できるこの時間が、最も自然で、最も心地良い生き方なのだった。
図面に新しい一筋の線を描き加えながら、私は穏やかに微笑んだ。これからも、自分の信念に沿った道を、自分の歩幅で歩み続けよう。
それが、私らしい人生なのだから。
不動の乙女 ~私はそれに興味はありません~ 速水静香 @fdtwete45
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