夢見の聖女と滅びの国

鍵崎佐吉

第1話

 その噂を耳にした時、どういうわけだか俺は忘れかけていた何かを思い出したような気がした。それがどういう心情によるものなのか自分でもはっきりとはわからないが、それでも俺の興味を引くにはそれだけで十分だった。


 曰く「この国はやがて業火に包まれて跡形もなく滅び去るだろう」と。




 王宮においてはこういった根拠のない風説というのは案外そう珍しいものでもないのだが、どうやら今回に限ってはまるきりでたらめというわけでもなさそうだった。俺がその噂を聞いた時には既に幾人かの臣下が更迭されており、それは噂を広めた罰として父上が下したものだ。つまりその噂の真偽は置いておいても、父上はこの件に対して本気で対処しているらしい、ということがわかる。そうなれば俄然興味が湧いてくるのが人の性というものだ。罰を受けた者の中に馴染みの名を見つけたので、俺はさっそく会いに行って話を聞くことにした。


「それで、いったいどういうことなのだ? ただの妄言というわけでもあるまい」


「いや、しかし、陛下からこの件について口外するなと言われておりまして……」


「父上が知っていることをなぜ俺が知ってはいけないんだ。それとも俺などには教える価値がないということか?」


「そ、そのようなことは……!」


 俺は親しい友人に語りかけるようにゆっくりと言葉を投げかける。


「考えてもみろ。気分屋の父上のことだ、このままお前を切り捨てることだって大いにあり得るだろう。そうなれば当然お前にも悪い噂が立つ。……そうなった時、後ろ盾になってくれる人間は必要だと思わないか?」


 実際そうなる可能性がどれほどあるのかは定かではない。しかし一度蒔かれた不安の種は深く心に根を張り容易には取り除けなくなる。いくらかの躊躇いは見せたが、やがて男は口を割った。


「……聖女様が夢を見られたのです。この国はもうお終いだ。嘆かわしいことです」




 聖女と言えばこの国ではただ一人、王宮の最奥にある聖域、そこにいる夢見の聖女様のことを指す。聖女の役割はただ一つ、その名の通り夢を見ることだ。そして聖女の見た夢は寸分の違いなく現実のことになる。数十代に渡って受け継がれてきたその力は幾度となく王国の危機を救い、今なお王族に次ぐ重要人物としてその地位を保証されている。数年前に代変わりしてからは先代の孫である少女がその役割を果たしているはずだ。その聖女様がこの国が滅ぶ夢を見た、というのがどうやら例の噂の出どころだったようだ。しかしそうであるなら事態はより一層深刻だ。父上が躍起になって口止めをするのも頷ける。

 俺は初めて噂を聞いた時に感じた妙な感慨を思い出していた。災害にしろ戦乱にしろ、この国が滅べば当然王族も滅ぶことになる。ただのごく潰しだとしても第三王子であるからには俺も無事では済まないだろう。だがどういうわけか恐怖とか焦りとか、そういった感情はどれだけ待っても湧いてこなかった。まるで自分はずっとこの時を待ちわびていたのではないかと、そんな錯覚すら起こしそうになる。だからというわけではないが、この不吉な予言を生み出したその人にどこか親しみのようなものを感じた。


 きっと彼女も自ら望んで今の立場を手に入れたわけではないのだろうから。




 彼女のいる聖域は例え王族であろうとも気安く足を踏み入れられる場所ではない。兄たちは何度か訪れたこともあるようだが、俺にとってはずっと縁遠い場所だった。聖女の言葉を聞くことは即ち未来を知ることであり、それは国を統べる者にのみ許された特権である。そういう意味においてこの場所は極めて政治的な価値を持ち合わせている場所でもあるのだ。

 俺が聖域へと続く唯一の門の前に姿を見せると、見張りの衛兵はあからさまに狼狽えた。この非常事態の最中に新たな問題を起こすわけにはいかないが、かといって仮にも王族である俺を無下にはできないのだろう。俺はなるべく陽気に衛兵に向かって語りかける。


「そう怖い顔をするな。ちょっと聖女様にお目通りがしたいんだ」


「しかし、陛下から許可なき者は誰であろうと決して通すなと……」


「許可なら取るさ、後でな」


 俺は怪訝な表情を浮かべる衛兵に近づき、その手の中にそっと金貨を握らせる。衛兵はしばらくその手触りを確かめるように沈黙していたが、やがてため息を一つ吐くと俺に道を譲った。

 初めて訪れた聖域はいくらか想像とは異なるものだった。てっきり豪奢な装飾の施された神殿でもあるものだと思っていたが、ただ素朴な石畳が長々と続くばかりでそのようなものは見えてこない。道の脇にはありのままに近い自然が広がっており、風に揺れる木々のざわめきや小鳥たちのさえずりなどを聞いていると、ここが王宮の敷地内であることを忘れそうになる。そのままゆっくり歩いて行くとやがて開けた場所に出て、そこに古めかしい屋敷が一つ建っていた。近づいていくと幾人かの侍女たちが物珍しそうに視線を投げかけてくるが、怯えたり慌てたりする様子もなく意外なほど落ち着いている。その中の一人に声をかけてみる。


「少しいいか。夢見の聖女様にお会いしたいのだが」


「はい。屋敷に入ってそのまま正面のお部屋におられます」


「……変なことを聞くようだが、見知らぬ人間をそう簡単に通していいのか? もちろん俺は賊などではないが」


「今朝、聖女様がおっしゃったのです。そのうち若い殿方が一人訪ねてくるだろうからお通しするように、と」


 つまり俺の来訪は既にお見通しだったということか。別に聖女の力を疑っていたわけではないが、いざそれを目の当たりにすると何か胸の奥をそっとつつかれたような不思議な心地がする。言われた通り屋敷の中に入ってみると確かに奥の部屋の扉が開いている。俺は一つ呼吸を整えて、その部屋の中へと足を踏み入れた。

 どうということもない質素な家具が並ぶ中、窓辺に一人の少女がたたずんでいた。歳は十五ほどだろうか、どこかあどけなさの残る面持ちをしているが、その表情からは凪の海を思わせるような静けさを感じる。少女はゆっくりとこちらを振り返ると、表情を変えることなく俺に一礼した。


「お待ちしておりました、ザレウス王子」


「これは……どこかでお会いしたことがありましたか」


「いいえ。ただ夢で見たのは初めて会う方だったので。三人いる王子の中で、ここを訪れた事がないのは貴方様だけですから」


「……なるほど。ではこれから起こることもすべて知っているわけですか」


「それはわかりません。私が夢を見られるのはとても短い時間だけなので」


 年齢にそぐわない落ち着いた物言いだが、特にこちらに委縮したような様子は見受けられない。それは父上や兄に比べて俺を軽んじているからなのか、それとも由緒ある聖女の末裔としての威厳なのか。だがどちらにせよ俺が招かれざる客であることは確かだし、ひとまず拒絶されなかっただけ良しとすべきだろう。俺は改めて目の前の少女に問い直す。


「この国が滅ぶ夢を見られたというのは本当ですか」


 聖女は一度視線を逸らし、そしてまた静かに語り始めた。


「それは……少し違います。きっとどこかで話が大袈裟に伝わってしまったんでしょう」


「というと?」


「今から七日前、私はこの王宮が焼け落ちる夢を見ました。陛下はそれを国が滅ぶ予兆だとお考えになったようです」


 確かに国の中心である王宮が焼け落ちたとなれば、国が滅びたと言っても差し支えないかもしれない。しかしそこには微妙な違いがあるようにも思える。


「焼け落ちる、というのは他国に攻められ火を放たれたということでしょうか」


「そこまではわかりません。確かなことは王宮が燃えるという結果だけで、その原因は定かではないのです」


「……ふむ、どうもあなたの見る夢は俺が思っていたよりもいくらか曖昧なもののようですね」


 するとずっと凪いでいた聖女の表情に少し変化が生じたように見えた。彼女の言葉にもやや力がこもる。


「そんなことはありません。聖女の見る夢はいつか必ず現実になります。……この国が生まれてから三百年、ずっとそうだった」


「俺のような凡才には今一つわからないのですよ。あなたにはいったい何が見えていて、何が見えていないのですか」


 しばしの沈黙の後、少女は一つ呼吸を置く。おそらくだが自分の感情を表に出すことにあまり慣れていないのかもしれない。まあ彼女の置かれている立場と年齢を考えればそれも当然のことではあるが。


「……私にできることは夢を見ることだけです。普通の人が見るよりもずっと短くて、鮮明な夢を。あの日の夢で、私は燃え上がる王宮を遠くから眺めていました。辺りは夜だったのでそれ以外のことは暗くてわかりませんでした」


「ではこの国が滅ぶ様を直接見たわけではないのですね」


「そういうことになりますが——」


 少女は一度言葉を区切ると、俺の眼を見て再び口を開く。


「王宮が燃えてしまったのでは、貴方にとっては同じことでしょう?」


 彼女の言うことはおそらく正しい。正しいはずだ。しかしどうにも他人事のように思えてしまうのは、俺の拭えない悪癖だろう。


「そうとも限りませんよ。特に私のようなごく潰しにとってはね」


 少女は何かを言いかけたがその音が言葉になることはなく、ただ緩やかな静寂が部屋を満たしていった。




 あれから臣下を使って色々と探りを入れた結果、どうやら父上は聖女の言葉を信じてはいないらしいことがわかった。王宮が燃えるなどという不吉な未来を信じたくないという心情は俺にも一応理解できる。しかし父上はそこからさらに飛躍して、この予言は聖女が国政に介入するためにでっちあげた虚言だと考えているようだった。もはや父上が聖女の言葉に耳を傾けることはないだろう。とはいえ信仰の対象でもある彼女を無暗に罰するのは得策ではないと考えたのか、今のところはお咎めもなく捨て置かれている。きっと兄たちも父上に同調し、聖女は孤立することになる。そしてそれは裏を返せば俺が彼女の処遇に関して介入する隙が生まれたということでもある。

 聖女の言葉の真偽は別としても、俺はその破滅的な未来にどこか惹かれてしまっているのは事実だった。自分の地位と生活を担保しているものの破滅を願うことなどまさしく愚者のすることだろうが、どうせ真面目に頑張ったところであの玉座に手が届くはずもない。それならばいっそこの国のすべてが滅び去るその瞬間を見てみたい。そんな倒錯した願望が心の底で静かに燻ぶっている。だからこそ聖女の言葉を知り彼女の夢を解き明かすことでそこへ近づけるかもしれない。そう考えれば次に為すべきことは自ずと定まった。




 再び聖域を訪れれば以前と変わらぬ様子で彼女はそこにいた。まあ半ば軟禁されているようなものだから当然と言えば当然なのだが。


「……まさかまたここにいらっしゃるとは思いませんでした」


「おや、あなたならとっくにご存知かと思っていたのですが」


「いつ、どんな夢を見るかは私にもわかりません。長く眠ればそれだけ多く夢を見られるというわけでもないですし」


「まあそういうことならちゃんと説明しておきましょうか」


 俺はそう言いつつ彼女に一着の外套を差し出す。やや戸惑いながらもそれを受け取った彼女からはどこか年相応の少女らしさを感じる。


「今からここを出て少し外を見て回りましょう。見張りの兵も買収しておきましたし、父上があなたへの関心を失っている今ならそう難しくはないでしょう」


 少女はしばらく呆気に取られたように俺の顔を見つめていたが、しばらくしてゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。


「それは、なぜ?」


「あなたの見た夢は王宮の中ではなく外からの光景だった。自ら逃げ出したのか追放されたのかはわかりませんが、その場所を特定できればもう少し情報を得られるのではないかと思いまして」


「確かに、そうかもしれませんが……」


 言葉を濁す彼女の表情には明らかに不安の色が浮かんでいる。生まれてこの方一度も王宮の外に出たことがないのだから無理もない。しかし俺もまったくの無策でこんな提案をしたわけではなかった。


「夢で見たものが必ず現実になるのなら、いずれあなたはここを離れることになる。そうであれば早めに外に慣れておいた方が後の苦労がなくて良いですよ」


 正直に言えば彼女が俺に協力的な態度を見せてくれるとはこちらも思っていない。今や聖女と王族の関係はかつてないほど悪化しているし、俺個人に対しても好意的である理由は何一つない。だからこそ自己保身の必要性をちらつかせて、向こうからこっちに乗ってこさせる。我ながら小賢しい真似をしていると思うが、相手が相手だけにそれ以上手の打ちようがないのも事実だ。

 少女はまだいくらか躊躇いを残しつつもやがて小さく頷いた。




 王都は今日も多くの人と物で賑わい活気に満ち溢れている。この十年ほどは大きな戦もなく治世も安定していたので、安寧の日々の中で街は拡大を続けていた。兄たちと違い物心ついたころにはこの状態だった俺には、戦乱や飢饉がどういうものなのか今一つ想像ができない。国が滅ぶと言われてもそれが具体的にどういうことなのかはっきりとはわからないし、そう簡単にこの平穏が終わりを迎えるとも思えなかった。


「あの、王子」


 隣を歩いていた聖女が喧騒の中にかき消されそうなか細い声で俺を呼ぶ。


「ここではザレウスと呼んでください。今の俺はただの遊び人で、街の者はその正体に気づいていない、ということになっているので。その方が互いに面倒がなくて良いのですよ」


「えっと、では、ザレウス様」


「なんでしょう」


「私が夢で見た場所にはこんなに人はいませんでした。この場所は違うと思います」


「そうでしょうね。まあでも、せっかくですから少し見物していきましょう」


 一応聖女の他にも二人ほど従者を連れてはいるが、護衛というよりはただの荷物持ちだ。この街の人間なら大半の者は俺の顔を知っているだろうし、いくら金を持っているからといっても王族を襲う馬鹿はいない。ましてごく潰しの三男坊など殺したところで権力の座に近づけるはずもないのだ。俺にとってはむしろ王宮の連中より街の者の方が信頼できる。彼らは金さえ払えば最上のもてなしをしてくれるし、少なくとも表面上は侮蔑や偏見を態度に出すこともない。しかし人見知りの聖女にしてみればここはやはり居心地のいい場所ではないようだった。


「……こういう場所、慣れているんですか?」


「王宮にいることの方が珍しいですよ。あそこにいると息が詰まる」


「そういうものですか」


「あなたの方こそ、外に出たいと思ったことはないのですか?」


「私が何を願おうと未来が変わることはありません。私にできるのはただ夢をなぞることだけ。外に出る夢を見たのでそれに従ったまでです」


「……そういうものですか」


 そうは言いつつも彼女も外の世界にまったくの無関心というわけではなく、しきりに周囲を見回しては時折驚いたような素振りを見せた。聖女の存在を知らぬものはこの国にはいないだろうが、その顔を知る者は王族とそれに近いごく一部の貴族だけだ。街の者からすれば俺がどこぞのご令嬢をたぶらかしているようにでも見えるのだろう、自ら進んで近づいてくる者は一人もいなかった。

 市場を抜け街道に沿って歩いて行くとやがて川が見えてくる。この川は王都の生活を支える水源や物流の要所であると同時に、外敵の侵攻を阻む天然の防壁でもある。敵が外から攻めてくるのであればここが激戦地となる可能性は高い。


「この場所に見覚えは?」


「……いいえ、ありません」


 この先ここで起こる出来事を知ることができれば、王宮が焼けた原因もわかるのではと思ったのだが、そこまで都合よくことは運んでくれないらしい。しかし聖女は何か思うところでもあるのか、歩みを止めて流れていく水面のきらめきを眺めている。


「川ってこんなに大きいんですね」


「これで驚いていたのでは海など見た日には気絶してしまいますよ」


「貴方は見たことがあるのですか?」


「ええ。これでも一応特権階級というやつなのでね」


「あの、本当に塩の味がするのですか?」


「さあ、それは……海水を舐めてみようとは思わなかったので」


「……そう、ですか」


 聖女はやや落胆したように視線を落とす。なんだかんだ言ったところで十代の少女が好奇心と無縁でいられるはずもない。その様子を見ていると自分が初めて街へ出て遊び惚けた夜を思い出す。いくらかの喪失感とそれを圧倒的に凌駕する解放感の中で、ただ自分の想い一つで世界は劇的に変わっていくのだということを俺は学んだのだった。


「まあこの国が滅んでまだ俺が生きていたら、その時は一緒に海でも見に行きましょう」


 軽口のつもりでそう言ったのだが、少女は無言で俺の顔を一瞥しただけだった。結局その後もこれといった収穫はなく俺たちは王宮へと戻ることにした。

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