【第3章】~目覚めた声~

目の前でカフェラテをそっと飲んでいる彼女を、俺は視界の端で観察していた。

華奢な体つき。控えめな声。でも、その眼差しだけは、妙に底が深い。


あの目──。


俺の“奥”を見透かすような。


見ないでくれ。

覗かないでくれ。

ここには、“俺”以外の、誰かがいるから──



その日、帰り道。

伊吹さんと別れて一人になった瞬間、俺はいつものようにイヤホンを差し込み、音楽のボリュームを最大にした。


外の世界を遮断する。

いつもの防衛手段。


けれどその日は──


「……ッ!」


ふいに、喉の奥から声にならない吐息が漏れた。


鼓膜の内側で、誰かが叫んでいた。


『みつけて。』


『おいてかないで。』


『──タスケテ』


頭を抱えてしゃがみ込んだ。

でも、それは現実の音じゃない。


心の底で、ずっと沈黙していた“彼女”の声だ。


──ユメ。



俺の中にいる、もう一人の人格。

彼女は数年前まで、暴れるように自由だった。

絵を描くこと、妄想すること、自分を主人公にすること。


でも、母にバレて、スマホもタブレットも没収されてからというもの、ずっと“眠ったふり”をしていた。


そのユメが──また、起きた。


「……ひより、って子が見た?」


『みたよ。あの子……“同じ”だった』


「同じ?」


『昔のわたしと、すごく似てた』


ユメは、俺の中でただの幻聴として語る存在じゃない。

気が付けば、視界の端で見えもしないのにその“気配”を感じる。


あの子が“同じ”──?


でも、どういう意味で?



家に帰ると、母がリビングのソファに男と一緒にいた。


「おかえり〜湊。あんたさ、今日バイト代出た?」


「……まだ」


「は? またあんた、隠してんじゃないでしょうね?」


「……出てないって言ってるじゃん」


その瞬間、母の声が変わる。


「ハァ!? あんた、親に口答えする気? 誰が育ててやってんのよ!? 生活費も入れないで……!」


何かがぶちっと切れる音が、頭の奥でした。

やばい、このままじゃ“ユメ”が──


『だいじょうぶ。今日は、わたしじゃない。……あなたが、限界なんでしょ』


──そうだ。

俺が壊れかけてる。



自分の部屋に逃げ込んだ。

背中が震えてる。

息がうまくできない。


ベッドの上に横になって、スマホも見れずに、ただ天井を見つめた。


──でも、そこでまた、あの女の子の声が蘇った。


ひより。

あの子の目。


──“私、あなたが分かるよ”って、目をしてた。


誰かに見つけてほしい。

こんな自分でも、まだ“残ってる”って言ってほしい。


それはたぶん、ユメの願いじゃなく、俺自身の──

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