「君のためのヘッドライト」

志乃原七海

第1話「……もう、終わりにしようか」





第一話「君を照らす光になりたい」


フロントガラスを叩きつける雨は、まるで世界から音を奪うかのようだった。

ワイパーが懸命に腕を振り、視界の闇を払いのけようとするが、その動きは虚しく、車のヘッドライトが照らし出すのは、濡れた路面に乱反射する絶望的な白線だけ。その光が届くわずか数メートル先は、再び深い闇に飲み込まれている。


「……もう、終わりにしようか」


助手席で窓の外を見つめたまま、友梨が呟いた。その声は、降りしきる雨音にかき消されそうなほどか細く、けれど航大の耳には、割れたガラスのように鋭く突き刺さった。


航大はハンドルを握る手に力を込めた。何も言い返せない。

ここ数ヶ月、二人の間には、この車内を満たす重い沈黙と同じ空気が流れ続けていた。些細なことで口論になり、お互いの言葉の棘で傷つけ合う。会えば会うほど、心の距離は遠ざかっていくようだった。


理由がわからない。いや、わからないふりをしていた。

いつからか、友梨は航大の前で心から笑わなくなった。その瞳の奥には、いつも得体の知れない翳りが潜んでいる。航大がその翳りに触れようとするたび、彼女はまるでハリネズミのように心を閉ざしてしまう。


「航大には、もっといい人がいるよ」

友梨は、航大の方を見ないまま、言葉を続けた。

「私じゃ、航大を幸せにできない。航大の隣にいる資格なんて、私には……」


「そんなこと、お前が決めるな」

航大は、苛立ちを隠せない声で遮った。

「資格ってなんだよ。俺は、お前がいいんだ」


「どうして……? 今の私、嫌いでしょう?」

「嫌いになんて、なれるわけないだろ!」


感情的な声が、狭い車内に響く。だが、その言葉は友梨の心には届かない。彼女の周りには、まるで分厚いガラスの壁があるかのようだ。


クリスマスイブの夜。

街が一年で最も輝くこの夜に、自分たちは終わりを迎えようとしている。ヘッドライトが照らす光は、すぐ先の路面を映すだけで、その先にどんな道が続いているのか教えてはくれない。まるで、自分たちの未来そのものだと思った。


航大は、路肩にゆっくりと車を寄せ、エンジンを止めた。

雨音だけが、気まずい沈黙を埋めている。


「……本当に、終わりでいいのか」

航大は、絞り出すように尋ねた。


友梨は、ゆっくりと航大の方へ顔を向けた。その瞳は潤み、長いまつ毛が震えている。彼女は何かを言おうとして、しかし言葉にできずに唇を噛んだ。その姿が、たまらなく痛々しい。


「終わりたくない……」

やっと聞こえてきたのは、本心から漏れ出たような、震える声だった。

「でも、どうしたらいいのか、わからないの。航大と一緒にいると、自分がどんどん嫌いになる。自分が汚くて、惨めで……」


「友梨……」


「航大は、光の中にいる人だよ。でも、私はずっと暗闇の中にいるの。航大が眩しすぎて……苦しいんだよ」


その時、友梨の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

航大は、衝動的に彼女の頬に手を伸ばし、その涙を親指でそっと拭った。強がりの鎧を脱ぎ捨てた、彼女の剥き出しの心が、そこにあった。


「だったら」

航大は、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。

「俺がお前のヘッドライトになる」


「え……?」


「お前が今いる暗闇が、どんなに深いのか俺にはまだわからない。でも、俺が隣にいて、前を照らしてやる。道が見えないなら、俺が光になる。だから、俺から離れるな」


それは、不器用で、格好のつかない、けれど航大の全てを込めた告白だった。


友梨の瞳が、驚きに見開かれる。そして、その瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女は、航大の胸に顔をうずめ、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


「……航大がいない未来なんて、真っ暗で何も見えないよぉ……」


航大は、そんな彼女の震える体を、力強く抱きしめた。

外はまだ、激しい雨が降り続いている。

だが、二人の心の中には、確かな一つの光が灯っていた。


夜明けは、まだ遠い。

だが、どんなに深い闇の中だって、この光さえあれば進んでいける。

航大は、友梨の髪に顔をうずめながら、強く、そう誓った。


第一話・了

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