第14話「一つ目小僧と秘密の取引」

 つむぎの工房で、祖父ぬいぐるみが古い薬草の本を整理するのを、紡が手伝っていた。埃っぽい紙の匂いと、乾燥した薬草の微かな香りが混じり合う。その傍らで、あおいがお茶を飲みながらのんびりとその様子を眺めていた。


「へえ、おじいさん、お薬にも詳しかったんだ。裁縫だけじゃなかったんだね」


「うむ。山に籠もる者にとって、薬草の知識は己の身を守る術じゃからな。それに、良い染料になる草もある」


 祖父の言葉に、葵が何かを思い出したようにポンと手を打った。


「そういえば、八王子には一つ目小僧の伝説があるよね! 毎年決まった日に現れて、会うと病気になるってやつ! あれも薬と関係あったりするの?」


 祖父は呆れたように、ふんと小さな鼻を鳴らした。


「俗説じゃな。あれは全くの逆じゃ。話が歪んで伝わっておる」


「え、逆?」


「一つ目小僧は、災厄ではない。この地を古くから巡回する、腕利きの薬売りじゃよ。玄関先に籠を吊るすのも『魔除け』ではなく、『取引』の合図。籠を伏せておけば『薬は不要』。上向きにしてお代の豆腐を入れておけば、どんな病にも効くという万能薬の丸薬と交換してくれるのじゃ」


「へえー!豆腐がお代なんだ!ていうか、めっちゃいい妖怪じゃん!会ってみたい!」


 葵の目が、好奇心でキラキラと輝き始めた。紡は、その表情を見て、また厄介事が始まる予感に小さくため息をついた。



 その夜。葵の家の玄関先には、軒下に豆腐が一丁入った竹籠が吊るされていた。伝承の裏話に好奇心を刺激された葵が、「うちで試そうよ!伝説の真偽を確かめるのは、私たちの使命だよ!」と紡を半ば強引に巻き込んだのだ。

 葵と紡は、葵の自室の窓から、息を殺してその様子を張り込んでいる。


「本当に来るかなあ…」


「……静かにしてないと、逃げるかも」


 しばらくすると、月明かりの下に、ぽてぽて、という可愛らしい足音と共に、小さな影が現れた。

 噂の一つ目小僧だった。しかし、その姿は恐ろしさとは無縁だ。身長は五十センチほどで、麦わら帽子にオーバーオール、長靴という、まるで絵本から飛び出してきたような出で立ち。大きな赤ちゃんのようなずんぐりむっくりした体型で、顔の真ん中にある一つだけの目は、くりっとした大きな瞳で純粋な光を宿していた。


 一つ目小僧は、吊るされた籠を見上げる。しかし、葵が吊るした位置が少し高かったらしく、懸命につま先立ちになり、短い腕をめいっぱい伸ばした。


「んーしょ、とれない…とれないぞ…」


 その健気で愛らしい姿に、窓から見ていた葵の理性のタガが、ぷつんと音を立てて外れた。


「か、可愛い〜〜!!」


 葵は、無言の叫びと共に窓から飛び出すように玄関へ走り、背後から一つ目小僧をガバッと抱きしめた。


「ひぃっ!?」


 突然の出来事に、一つ目小僧はカエルのような声を上げて大パニック。手足をジタバタさせて抵抗するが、葵の愛情のこもったホールドからは逃れられない。


「かわいいかわいいかわいい…!ふわふわしてる!」


「は、離すんだぞー!人攫いならぬ、妖怪攫いだぞー!」


「こら、小娘!無礼であろうが!その方を誰と心得る!」


 祖父の呆れ果てた声に、呆然としていた紡は我に返り、必死に二人を引き剥がした。



 解放された一つ目小僧は、ぜえぜえと肩で息をしながら、少し涙目で葵を睨んでいる。


「お、おいら、こんな手荒い歓迎は生涯初めてだぞ…。いつもは塩をまかれるくらいなのに…」


「ご、ごめん…あまりにも可愛かったから、つい…」


 ぷんぷんと怒りながらも、仕事はきっちりこなすらしい。一つ目小僧は籠から豆腐を取り出すと、代わりに小さな丸薬を一つ、コトリと置いた。

 取引を終えた彼が、ふと紡の懐にいる執事ぬいぐるみに目を留める。


「…おや?あんた、月影のじいさんじゃないか。ずいぶんと可愛らしいなりになっちまって。何があったんだい」


「一つ目殿か。久しいのう。まあ、色々とあってな」


 祖父と一つ目小僧は、生前の薬草取引を通じての旧知の仲だったようだ。祖父がこれまでの経緯と、紡が後を継いだことを手短に説明する。


「そうかい。このお嬢ちゃんがねえ。跡継ぎは骨が折れるだろう。…よし、これは餞別だ。うちのじい様も、月影のじいさんには世話になったからな」


 話を聞き終えた一つ目小僧は、そう言うと懐からキラキラと虹色に光る、特別な「霊糸」の束を取り出し、紡に手渡した。それは、ただ美しいだけでなく、触れた指先から温かい力が流れ込んでくるような、不思議な糸だった。


「腕利きの織紡師なら、こいつの価値はわかるだろ。大事にしな」


「あ……ありがとうございます」


 一つ目小僧は満足げに頷くと、夜の闇にぽてぽてと消えていった。

 紡は、手にした霊糸の不思議な温かさと、祖父が築いてきた人ならざる者たちとの縁の深さを、静かに感じ取るのだった。






***

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