第三十一話:残された毒と新たな誓い
プラチド殿下の身柄は、駆けつけたカレルとサラ、そして『遺物守り』の者たちによって、速やかに確保された。気を失った国王陛下もまた、彼らの手厚い看護のもと、安全な場所へと移される。
国立古文書館の地下広間には、戦いの後の静寂と、そして、未だ消えぬ緊張感だけが残されていた。
「……終わったのですね」
リヒトが、誰に言うともなく呟いた。
だが、その言葉に頷く者はいなかった。
皆、分かっていたのだ。これは決して、終わりなどではない、と。
「アリア。先ほどのイザベラ公爵夫人の件、詳しく聞かせろ」
侯爵が、厳しい表情で私に問う。
私は、禁書との契約で視た彼女の過去と、その真の目的――龍脈を暴走させ、王国そのものを破滅させるという、狂気の計画――を、皆に語った。
「……なんと、おぞましいことを」
カレルが顔を青ざめさせた。
「龍脈の暴走……。それは、この大陸全土を死の大地へと変えかねん禁断の儀式。イザベラ夫人は、我々が想像していた以上に、深い闇を抱えていたようですな」
「だが、彼女一人にそのような大それたことができるのか? 龍脈の封印を解くには、王家の血筋と『賢者の指輪』、そして、なにより膨大な魔力が必要なはずだ」
リヒトが疑問を口にする。
「……その魔力を、彼女は手に入れようとしているのです」
私は答えた。
「プラチド殿下は、駒の一つに過ぎなかった。イザベラは、彼が『沈黙の宝冠』の力を暴走させ、王都が混乱の極みに達した、その瞬間を狙っていたのです。混乱に乗じて、王宮にある本物の『禁書』を奪い取るために」
そう、彼女の本当の狙いは、侯爵邸にある私の魂と共鳴した、あの禁書ではなかった。
王宮のさらに奥深く、王家の人間でさえその存在を知る者がほとんどいないという、秘密の聖域に封印されているオリジナルの『禁書』。
それこそが、龍脈を操るための最後の鍵だったのだ。
「……まさか!」
侯爵が、はっとしたように目を見開いた。
「我々がここでプラチドと戦っている間に、彼女は……!」
その時、サラが懐から一羽の、銀色の羽を持つ伝書鳩を取り出した。
それは『遺物守り』たちが通信に使う、特殊な魔法生物だ。
鳩の足に結び付けられていた小さな筒から羊皮紙を取り出し、サラはそれに目を通す。
そして、顔を上げた彼女の表情は、絶望に染まっていた。
「……王宮からの伝令です」
彼女の声は震えていた。
「今しがた、何者かが王宮の最深部にある禁断の聖域に侵入。封印されていたオリジナルの『禁書』が奪われました。……そして、聖域を守護していた数名の近衛騎士が殺害された、と」
「……何だと……」
最悪の事態だった。
私たちは、プラチドという目立つ駒に気を取られ、真の敵の本当の狙いを見逃してしまったのだ。
「イザベラはどこへ?」
侯爵が低い声で問う。
「分かりませぬ。王宮は今、大混乱に陥っております。彼女は、その混乱に紛れてすでにどこかへ……」
「……いや」
私はサラの言葉を遮った。
「彼女の行き先は分かります」
私は再び目を閉じた。
そして、自らの一部となった禁書の「声」に意識を集中させる。
オリジナルと写し。二つの禁書は、目に見えない糸で繋がっている。
(……聞こえる。オリジナルが泣いている……。利用される、その悲しみの声が……)
「……王都の北。『嘆きの湿原』。その奥にある、古代の邪神の神殿。……彼女はそこで、龍脈を暴走させる最後の儀式を行うつもりです」
「嘆きの湿原……。あそこは瘴気が渦巻く魔の地だぞ」
カレルが呻くように言った。
「だが、そこしかない」
侯爵が決断の声を上げる。
その時、私は彼の体から、まだ微かな「毒」の気配が抜けきっていないことに気づいた。
『沈黙の宝冠』の呪いは私の力で浄化された。だが、彼が受けた矢にはもう一つ、別の毒が仕込まれていたのだ。
それは呪いではない。純粋な、そして非常に遅効性の、致死性の毒物。
おそらく、私が呪いを解いたとしても彼を確実に仕留めるための、イザベラの二重の罠だったのだろう。
「侯爵様……! あなたの、お体……!」
「……気づいていたか」
彼は静かに言った。
「問題ない。この程度の毒、私の魔力で抑え込める。……それよりも今は、イザベラを追うのが先だ」
「ですが!」
「案ずるな、アリア」
彼は私の肩に力強く手を置いた。
「私は死なん。お前との誓いを、まだ何一つ果たせていないのだからな」
その瞳には、私を安心させようとする優しい光が宿っていた。
だが、私には分かった。
彼は嘘をついている。
毒は彼の体を確実に内側から蝕んでいる。このままでは、儀式を止める前に彼の命が尽きてしまうだろう。
(……どうすれば……)
解毒薬はない。
私の治癒魔法も、呪いではない物理的な毒には効果が薄い。
その時、私の脳裏に再び、禁書の「声」が響いた。
『……方法ならば、あるぞ、娘よ……』
『……だが、それはお前自身の命を対価とする、最後の契約……』
声は私に一つの禁断の術を示唆していた。
それは、自らの生命力を他者へと分け与え、あらゆる毒や傷を癒すという究極の治癒魔法。
だが、術を使った者は、その代償として自らの寿命の大半を失う。
(……迷う必要など、ない)
私は心の中で即答した。
彼がいない世界で永らえた命に、何の意味があるというのだろう。
「侯爵様」
私は顔を上げ、彼の瞳をまっすぐに見つめた。
「儀式が始まるまで、あと三日。……私にお時間をください。あなたを蝕むその毒、私が必ず浄化してみせます」
「アリア、何を……」
「これもまた契約です。あなたは私の『剣』、私はあなたの『盾』。……互いを守り合うと、誓ったはずです」
私の揺るぎない決意に、彼は言葉を失った。
その代わりに、彼は私の手を、ただ強く、強く握りしめた。
それは言葉以上の、雄弁な信頼の証だった。
私たちは再び互いの魂を確かめ合った。
そして、この国の、そして私たち自身の運命を賭けた最後の戦いへと、その身を投じる覚悟を固めた。
残された時間は、三日。
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