第二十三話:夜明けの告白と残された謎

朝の光が、侯爵の寝室を静かに満たしていく。

昨夜の死闘が嘘のように、部屋の中には穏やかな空気が流れていた。侍医たちは、侯爵の奇跡的な回復に驚嘆の声を上げた後、彼の安静を確かめて王宮へと戻っていった。セバスチャンとリヒトもまた、安堵の表情を浮かべながら、主人のそばを離れてそれぞれの仕事に戻っている。


静寂の中、私と侯爵は、ただ、見つめ合っていた。

彼の手は、今も私の手を固く握りしめたままだ。その温もりから、彼が確かに生きているという事実が、じわりと伝わってくる。


「……すまなかった」


先に沈黙を破ったのは、彼だった。

その声は、まだ少し掠れていたが、以前の氷のような冷たさは微塵も感じられなかった。


「私は、お前を、そしてエリアーナをも、誤解していた。自分の過去のトラウマに囚われ、お前を信じず、鳥籠に閉じ込めてしまった。……私に、お前を『盾』として使う資格などない」


彼の瞳には、深い自責の色が浮かんでいる。

私は、そっと首を横に振った。


「いいえ。あなたは、私を守ろうとしてくださった。ただ、その方法が、少しだけ不器用だっただけです。……エリアーナ様も、きっと、あなたを許しておられるはずです」


私の言葉に、彼は苦しそうに顔を歪めた。


「アリア。私は、お前に、礼を言わねばならん。命を救われたこと、そして、エリアーナの真実を、教えてくれたこと。……本当に、感謝している」


彼が、これほどまでに感情を露わにするのを、私は初めて見た。その姿に、私の胸は締め付けられるように痛んだ。

私が彼を救ったのではない。彼が、そしてエリアーナ様が、私を救ってくれたのだ。絶望の淵にいた私に、生きる意味と、戦う力を与えてくれた。


「侯爵様」


私は、意を決して、彼の手を握り返した。


「私からも、あなたに、お伝えしたいことがあります」

「……何だ」

「私は、もう、あなたに守られるだけの存在ではいたくありません。あなたの『目』として、そして、あなたの隣に立つ『戦友』として、共に、この国の闇と戦わせてください」


私の瞳を、彼はまっすぐに見つめ返した。

その藍色の深い湖の底で、様々な感情が渦巻いているのが分かる。


「……お前の力は、あまりにも危険だ。禁書との契約は、お前の魂を少しずつ蝕んでいく。私は、お前を、エリアーナと同じ目に遭わせたくはない」

「私は、エリアーナ様とは違います」


私は、きっぱりと言い切った。


「私には、あなたがいる。あなたがくれた、この腕輪がある。そして、あなたと共に過ごした、温かい記憶がある。それが、私の『盾』です。……私は、もう、独りではありませんから」


その言葉に、彼の瞳が、大きく揺れた。

彼は、何かを言おうとして、唇を開きかけ、そして、また閉じる。そんな葛藤を数度繰り返した後、やがて、観念したように、深く息を吐いた。


「……分かった。これ以上、お前の意志を、私の我儘で縛ることはすまい」


彼は、ゆっくりと私の手を、自らの額へと持っていった。騎士が、主に忠誠を誓うかのように。


「アローア。これからは、私がお前の『剣』となろう。お前を傷つける全てのものを、この手で切り払うと、エリアーナの魂に誓う」


それは、新たな契約の瞬間だった。

守る者と、守られる者ではない。互いを支え、共に戦う、対等なパートナーとしての、魂の誓い。

私の頬を、温かい涙が、一筋、伝っていった。


その日の午後、体力が回復した侯爵は、すぐに執務へと復帰した。

私もまた、彼の書斎で、今回の襲撃事件に関する資料に目を通していた。


「……やはり、プラチド殿下の行方は、ようとして知れませぬか」

「ああ。奴は、完全に姿をくらました。だが、必ず尻尾を掴んでみせる」


侯爵は、机に広げられた報告書を睨みつけながら言った。

その時、不意に、私はある違和感に気づいた。


「侯爵様。捕らえた庭師とメイド……彼らは、どうなりましたか?」

「……それが、妙なのだ」


侯爵が、眉をひそめる。


「二人は、地下牢で厳重に監視していたはずが、昨夜、私が襲撃されたのと、ほぼ同じ時刻に、牢の中で死体となって発見された」

「死体……!?」

「ああ。外傷は何一つない。ただ、まるで魂だけを抜き取られたかのように、眠るように死んでいたという。……おそらく、プラチドがかけた、口封じの呪いが発動したのだろう」


あまりにも、非情なやり口。プラチド殿下は、自らの手駒を、躊躇いなく切り捨てたのだ。

これで、彼に繋がる手がかりは、完全に絶たれてしまった。


(……待って。本当に、そうなのだろうか)


私の脳裏に、夜会の記憶が蘇る。

あの時、プラチド殿下は、侯爵を牽制するために、私という「魔女」の噂を流した。

そして、私を誘拐するために、庭師とメイドを使った。

だが、そのやり口は、あまりにも直接的で、そして、杜撰すぎるように思える。用意周到な彼が、こんな分かりやすい手を打つだろうか。


まるで、誰かが、意図的に「プラチド殿下こそが黒幕だ」と、私たちに思い込ませようとしているかのような……。


「……侯爵様。襲撃の際に、プラチド殿下が残したという、あの置手紙を、もう一度見せていただけますか」

「置手紙? ああ、これか」


侯爵が、金庫から羊皮紙の巻物を取り出す。

私は、それを受け取ると、インクの文字ではなく、その羊皮紙そのものに、意識を集中させた。


鑑定士の力と、禁書の術を、同時に使う。

『記憶の残滓』を、より深く、鮮明に読み解くために。


すると、見えてきた。

プラチド殿下の魔力の痕跡。その下に、ごく微かに、だが確かに存在する、もう一つの、別の魔力の痕跡が。

それは、蛇のように執念深く、そして、底知れぬ悪意に満ちた、女の魔力。


(この魔力……どこかで……)


記憶を探る。そうだ、あの夜会で、私を「魔女」だと最初に罵った、あの貴族。彼の背後に、この魔力と同じ気配を持つ、一人の貴婦人が立っていた。確か、名前は……。


「……イザベラ公爵夫人」


ぽつりと、私の口から、名前が漏れた。


「何だと?」

「この置手紙を書いたのは、プラチド殿下ではありません。いえ、正確には、彼一人ではない。この文字には、殿下のものとは違う、別の、女の魔力が、巧妙に上書きされています」

「女の魔力だと……?」


侯爵の目に、鋭い光が宿る。


「その女こそが、今回の事件の、真の黒幕。プラチド殿下は、彼女に操られていた、あるいは、協力関係にあった、駒の一つに過ぎないのかもしれません」


私は、自分の推測を、侯爵に伝えた。

プラチド殿下の行動は、全て、このイザベラ公爵夫人が描いた筋書きの上での、派手な芝居だったのではないか。私たちの目を、プラチド殿下一人に向けさせ、その裏で、彼女自身が、本当の目的を遂行しようとしている。


「イザベラ公爵夫人……。古くから王家に仕える名門だが、近年、没落の一途を辿っていたはず。その彼女が、一体、何のために……」


侯爵が、唸るように言う。

その時、書斎の扉が、慌ただしくノックされた。


「閣下! 緊急のご報告です!」


駆け込んできたのは、リヒトだった。その手には、一通の、王宮からの緊急書簡が握られている。


「……今度は、何だ」


侯爵が、険しい表情で書簡を受け取る。

そして、その内容に目を通した彼の顔から、血の気が、さっと引いていくのが分かった。


「……まさか」


彼は、呆然と、呟いた。


「今朝方、王宮の地下宝物庫より、『賢者の指輪』が、盗まれた」

「……!」

「そして、国王陛下が……何者かに、攫われた、と」


最悪の報せだった。

敵の真の狙いは、侯爵でも、私でもなかった。

国王陛下、その人だったのだ。


イザベラ公爵夫人は、一体、何を企んでいるのか。

国王を攫い、そして、あの『賢者の指輪』を使って、何をしようというのか。


私たちに残された時間は、もう、あまりない。

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