第一章 1

 南中央署管内で男性が一人亡くなった。人手が足りないので応援に行って欲しい。係長の溝口はそう言った。それを聞いて箕島の眉間に深い溝が刻まれた。

「──ずいぶんまどろっこしい言い方っすね。ガイシャはどこかの構成員っすか?」

 いや。溝口はそう言って言い淀んだ。断定的な物言いの多い溝口にしては珍しかった。

「コロシだったら一課に奴らに行かせればいいじゃないすか。なんで俺らが」

「仕方ないだろッ! 鈴木課長直々のご指名だぞ。それに、その──コロシと決まったわけじゃないというか」

「はあ?」

「先輩、気持ちは分かりますがもう少し穏やかに事情を聞きませんか」

 箕島と一緒に呼ばれた加藤はそう諌めた。箕島は面白くなさそうに加藤を一瞥したが、そのまま口を噤んだ。

「鈴木課長のところはこの間まで大きな事件を追っていてな。その、一人がインフルエンザに罹ってしまったがために蔓延しちまってだな」

 箕島は口こそ挟まなかったが舌打ちするのを忘れなかった。

「鈴木課長と無事だった数人は後処理に追われている。そこにお前らに手伝って欲しい案件ができたってとこだ」

「でも僕達もそこそこ仕事を抱えてるっていうか。林原課長は許可したんですか?」

 加藤ができるだけ穏やかに尋ねた。

「ああ。お前らが断ったら課長が出張って行くって言ってたぞ。そういうわけにはいかんだろ」

「ですねえ」

 加藤は箕島が口を開く前に食い気味で答えた。箕島なら課長を行かせればいいと言いかねないからだ。溝口はその答えを聞いて安堵したように手にしていた資料を二人に渡した。箕島はざっと資料に目を通すと口を開いた。

「ガイシャがどこかの組の構成員だった可能性は?」

「まあ、限りなくゼロに近いだろうな」

「先輩、注目すべきはそこじゃないでしょう?」加藤は呆れたようにため息をついた。「病死、もしくは事故死で処理すべき案件ですよね? 司法解剖から死因もはっきりしてる」

「そうなんだよな」溝口は困ったように頭を掻いた。しかも救急車も呼ばれ、救急隊も対応している。

 事件性はなさそうであった。だが鈴木課長が何か引っかかった案件に違いない。箕島はやっと自分が呼ばれた意味を理解した──つまり挙げられるか挙げられないか微妙な件であることを。



「──で、どうして俺が運転してるんだ?」

 信号待ちをしながら箕島は苛ついたようにそう言った。

「僕より南中央署への行き方に詳しいからですかね」加藤は資料から目も離さずにそう答えた。

「ナビが付いてるだろうが」

「そのナビのせいで遠回りさせられて私有地に入り込んで怒られたばかりじゃないですか」

「それはたまたまだろ。そうあってたまるか」

「先輩は運転するのが嫌なんですか?」

「そりゃ、まあ」

「下手な運転に隣で苛々されても鬱陶しいだけなんで勘弁してください」

 下手な運転と自分で卑下したかと思えば鬱陶しいとはどういうことだ。箕島は一瞬声を荒げそうになったが、すぐに加藤の言葉でその思いもかき消された。

「箕島先輩はもう理解してるんですよね? 僕らが呼ばれた意味を」

 加藤は顔を上げてまっすぐに箕島を見つめた。

「まあ、な」

「で、嫁に目星をつけてます?」

 箕島はそれには答えずゆっくりとアクセルを踏んだ。

「第一発見者というだけだ」

「第一発見者が最も怪しいっていうじゃありませんか」

 それはそうだ。箕島もそう教わってきている。だが今回のケースがそれに当てはまるかどうかはまだ分からなかった。

「──とはいえ保護責任者遺棄致死、過失致死傷それとも救護義務違反ですか? まさかとは思いますけど殺人で挙げようとか」

「先走るな」

 箕島は急ハンドルを切った。二人の身体は大きく揺れた。

「先輩」

「とにかく話を聞いてみないと分からない。思い込みは足元掬われるぞ」

 加藤がそれ以上話を進めることはなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る