第7話 補遺
駆け足で説きたので、いくつかの内容についてはまったく説明していないことがある。
今後必要になる……かはともかく、覚えているうちに、こういった内容は補遺としてその都度紹介していくことにした。
ここでは三つほど紹介しよう。
## 研究生のコーレ
コーレはミスティア学院の研究生だ。
学院では入学してから基礎課程を終えるまでを学生、その次の段階で専門を定めて研究活動を行う人を研究生としている。
さらに研究生はこの後、学院の研究発表で同じ分野の専門家である魔術教授複数人の合格を得ることで、魔術教授になることができる。
合格する者は平均して五年から六年ほどで魔術教授になるので、 セルイーラ史を専門とする道を選んで二年ほどになるコーレはまだまだこれから、という立場だ。
実のところ、出自のトラブルで肝心の一年目にあまり研究活動ができなかったため、今が実質一年目とも言える。
その上、トラブルで友人や教授にも迷惑をかけたので負い目を持っている。
ケトルカマルと学院の間には、常に一人以上の学院の者を常駐させる契約があるので、今回の遺跡調査も自分から辞退して残っていたのだが……これがその背景だ。
「そんな気遣いをするよりも、一年の遅れを取り戻すべく奮闘した方がいいと思いますが……まあ、いいでしょう。今年一年は好きにやってみなさい。その結果を見て来年からの方針を決めます」
指導教員にあたる魔術教授ウェスはそう言ったそうだ。
曖昧に笑って一歩引いた態度を示すコーレを見て、今は無理だと判断したのだろう。
これらの背景にある一年目のトラブルについて説明しよう。
コーレはレイフォード帝国の貴族の出自だ。父親が娼婦との間に作った子供で、元々は認知されていなかった。
しかしその父親が病死、妻も呪いで死んだ後、帝国貴族院による後継の調査によってコーレの存在が明るみになった。
コーレは後継者候補となり、母共々屋敷に居を移すことになった。
そして似たような立場の子供は他にも三人いた。
帝国貴族院はこの四人を競わせ、最も優秀な者に家督を継がせることとした。
最も幼く立場の低かったコーレにとって、屋敷での生活はただ辛いだけのものだった。
食事は常に毒の心配をしなくてはいけない。
側に寄ってくる人からは常に暗殺を警戒しなくてはいけない。
言葉の一つ一つに気をつけて言質を取られず、隙を作らないようにしなくてはいけない。
寝台に横たわったときでさえ本当に気を抜いていいかはわからず、かといって眠れずに弱っていることを周りに悟られてはならなかった。
そこまでしてもコーレは他の子供に比べて明らかに出来が悪いかった。
母も、そんなコーレには辛く当たった。
そんな日々を経て、彼女は家を捨ててミスティア学院に逃げ込んだ。
逃げる者は追わず、ただ失格の評価を下すだけ。
帝国貴族院の採決に従い、コーレは家督争いから抜け出すことができた。
当然、何も知らずに屋敷に残った母は放逐された。
母は恨むだろう。
だが誰も味方のいない屋敷での生活は、全てを投げ捨ててもいいやと彼女に思わせるものだったのだ。
その過去が追いかけてきたのが、去年。研究生になったばかりの一年目。
コーレは学費を払うためにも、魔術教授になるか死後契約で亡霊として学院の従業員として仕事につく必要があった。進路は明確だった。
しかしその頃、コーレが逃げ出した家の貴族がまた死んだのだ。
後継者争いで他の候補者とその係累は死んでいる。今度は生きているのはコーレだけだった。
「あなたの愚かな振る舞いを許し、貴族の立場も与えようというのです。感謝の一つも示すべきでは?」
そう言ったコーレの母は、別の貴族の妾になっていた。
……どうやら家の貴族が死んだのも、その貴族の手回しだったらしい。
母がこんな方向からのし上がるとは考えていなかったが、自分の出自を考えれば「二度目はもっと上手くやった」だけなのかと納得はできた。
ただ、それだけ。
しかしコーレに家督を継ぐつもりはなかったし、学院を出るつもりもなかった。
「ああ、この子は降ってわいた幸運を理解できていないようね」
「勘違いしては困る。其方に選択肢などない。わたしが手を回してやったのだ、素直に家督を継げば良い。あとはこちらで済ませてやろう」
母と並んでいる見知らぬ男が例の貴族だった。顔の印象はもう覚えてもいない。
(きっとこの話に乗ったら、しばらくしてわたしも母も殺されて、全てがこの男のものになるのでしょうね)
帝国貴族のやり口だ。身近な家督争いの生活だけでもそのくらい考えるようになる。
コーレは全力で抵抗した。
それからコーレは一年かけてこの貴族の誘いを拒否することになる。
結論だけ言えば、ウェス教授にも後見人に立ってもらい、帝国貴族院から正式に貴族位の辞退に成功した。
その間、例の貴族や母からの多数の嫌がら背が続いたし、コーレ自身、時には誘拐や暗殺の目にもあった。生き延びられたのは、学院の保護が手厚かったからだ。
けどその過程で友人や、同じ研究分野の先輩にも多大な迷惑をかけた。
気にしないでいいとは言われたが、気にしないでいられるはずもない。コーレはまた、人とどう付き合うべきか、わからなくなっていた。
コーレにはその負い目が影のようについて回っていたし、周りもコーレの事情を知っているせいか、付き合い方を様子見するようになった。
それを見てウェス教授は一度学院から引き剥がして目を向ける方向を変えさせようと考えた。
本来二年目から行けるセルイーラのフィールドワークにコーレが来ているのは「実際二年目なのだから構わないでしょう」という教授のゴリ押しだった。
実際コーレはこの地に来てから、地元の民相手の講座を開いたり、地道な付き合いからセルイーラ文化の調査をするようになり、少しずつ様子が変わりつつあった。
遺跡調査こそ辞退していたが、着実に心が回復し始めていたのだ。
わたし達と顔を合わせることになったのは、そんな頃のことだった。
## 近年のアルリゴ史とセルイーラ王国史
コーレからセルイーラ王国史の説明を受けたわたしは、出身地アルリゴのことを連想した。
アルリゴは正式名をアルリゴ商業連合という。
だがつい数年前まではアルリゴ王国だった。
海神より王権を与えられたという海王の一族が治める国で、わたしは呪い児とはいえ貴族、つまり一応始祖王の系譜にある。
そのアルリゴ王国は魔獣の大量発生現象、大海嘯によって滅びた。
大海嘯は過去にもあったことだが、その対処法がどんどん歪曲され、歪んでいくうちに、すっかり本来の意味を失伝していたのだ。
結果として生贄の儀式を含む多くの事柄が無意味だったり、意味はあっても効果が薄かったりするものばかりになり、大海嘯の頻度と被害はどんどん悪化していった。
そうしてついにはアルリゴ王国は滅び、今の時代に変わるわけだが……。
「大海嘯があったから、過去の再発見が盛んになってるけど、それもいつまで続くかしら? セルイーラのことを聞いてると、なんだか色々重なって見えてしまうわ」
宿に戻った後でアカリにそうこぼすと、彼女はこう返した。
「まあ、魔法使いの視点で見るとそうなるよねって感じではあるんだけど……」
「魔法使いが国を興し、魔法使いが去ることで国が滅びる、という事?」
「いや? 魔法使いがいつまでもいると思っちゃいけない。繁栄する土壌はあったんだから、そこから先、どう折り合いをつけていくかはその地で生きる人への宿題だよ。セルイーラは今宿題に挑んでいて、アルリゴ王国は宿題に答えられなかった。アルリゴ商業連合はどうなるだろうね。上手くやって欲しいとは思うけど……」
「答えは与えてあげないのね」
なんだか放り投げているだけのような。
アカリは苦笑して言った。
「与えようにも、無いものは与えられないよ。いいかいミリアム。自分がいるならこうする、という答えはある。だから、今、そこに生きている人たちだけが、答えを見つけるんだ。それは権利であり義務だ。例えばね、君の商会だって、君がいなくなった後のことは、責任を取れないでしょう?」
「あ。それもそうね」
「とはいえ、魔法使い抜きでできるかどうかはわからない。だからわたしたちは必要な時、必要な場所に現れる。大海嘯の時には、確か、灯台の魔法使いがいたって聞いたけど?」
「ええ、色々お世話になったわ。……もしかして、王様だった魔法使いじゃなければ関わっても良かったりするの?」
「魔法使いかどうかは関係ないよ。さっき言った通り、大事なのは、その時、そこで生きている人かどうか、なのさ。宿題に挑む権利がある人は、その人達だけだ」
覚えておくといい、とアカリは言った。
## 地上の禍と魔法使い
たびたび言われてきた「禍」について、少しだけ。
それはどの国でも伝わる、神話以前の時代の話だ。
かつて人々は地上に生きていたが、その果てに禍がやってきた。
禍は魔獣の温床であり、天変地異を引き起こすものであり、生き物を歪めるものだった。
他にも様々なものがあり、ありとあらゆる災厄の種が花開いた結果、地上は災いに満たされた。
人々は地下へ逃げた。禍の一つだった瘴気と魔獣の温床である地下迷宮を攻略して、住処したのだ。
迷宮の中で暮らすうちに、人々の中には闇を見通す者が現れ始めた。
あらゆることが人の常識と異なる地下迷宮を、秩序という光で照らし、導く者だった。
それが魔法使いの始まりだ、と言われている。
彼らは地下迷宮を攻略し、領地へと変え、人の生活圏をより広くしていった。
彼らは迷宮における君主であり、魔法使いならぬ者達は彼らの庇護のもとに暮らすようになっていった。
やがて地上の禍が落ち着いてきた頃、魔法使い達は民を率いて再び地上を目指した。
かつて迷宮と瘴気に挑んだように、地上に広がるより深い闇へ挑むために。
禍について伝わっているのは、そんな話だ。
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