鯖と蒲鉾
taiyou-ikiru
第1話
「おおい、重夏、ちょっとお酒のつまみにな。鯖と蒲鉾を買ってきてくれないか?」
ある日の窓から大海原と斜陽が覗くぐらいの頃。父さんから一つのお使いを頼まれた。自室の私は「分かった。」とだけ言い。リビングに召集される。
「あの、お金は?」
「別にお小遣いから出せばよかろう。後で金なんぞは払う。」
父さんはこちらを振り返らず、テレビにゾッコンの様で、お酒を一杯呷る。コクリと喉仏が反応を示し、姿勢を崩す。最近は父さんの酒中毒もひどくなって、その一家としての威厳と権威はより強くなっている。その様子がどうにもおぞましくて父さんはただ苦手だ。別に気を悪くされてもいいことなんぞはないので、(それにちょうど暇だったから)有無を言わずに(いや、うん。とは言ったが)部屋まで戻って適当な小銭をぽっけにいれて、父さんの横を静かに通り、下町の商店街へと足を誘う。
ミンミンゼミの特有の声が夏の日暮れの静けさにちょうどいい。夏だと言えど夜は涼しい。そのアンバランスが特に魅力だ。下町へと道を幽かな足取りで歩く。
商店街は多彩なイルミネーションで門を飾って、その中の陰気な空気感と対比になっている。いつもの光景に安心しながら、目的の万事屋へと向かう。万事屋は地味な外装で至って馴染んでいる。店の中に入るとクーラーの空調でより一層肌に寒気を感じる。そうして、鯖と、蒲鉾を探していると(あっ新発売のチョコばーだ。気になるなぁ。)そうひかれるが、目的はそうじゃない。後ろ髪を引かれる心持で雑念を振り切るために目的のものを探す。(鯖と、蒲鉾か。)そうやって最良の商品を選ぶと至って無の気持ちで会計へと向かう。
ぴっぴっと2点、効果音が鳴り、
380円となります。
と言われる。モニターに表示されている値段と差異はない。そうして、ぽっけから硬貨を取り出して、出す。そして安堵の心持で硬貨を見ると
しまった!そう気づいた。100円だと適当につかんでいた硬貨が実に50円玉二枚だったからである。(あと100円足りないじゃないか。)胸が張り裂ける思いだった。定員さんから、「あの足りません。」と言われると、その事実が確定されているみたいで泣きたくなるぐらいの、責められているような気持で居心地が悪い。「あ、すみません。お魚の方を返してきます。」そう卑屈に相槌の様に打ちながら、棚へと返す。
このとき、心の内は混乱していた。 そうして、蒲鉾だけぽっけに詰めて、店からそそくさと出る。
困った。どうしたらいいだろう。このまま帰ってしまったら父さんからどんな怒声を浴びられるか分かったものじゃない。それになにをされても文句は言えない。だってこちらの間違いで、私と言う悪を倒す大義名分は依然としてあちらにあるのだから。
困った。困った。そうして、街中で一人悲しく蹲る。なんで私はいつもこう。おっちょこちょいなんだろう。本当に良くない。そう自己否定のフェーズに入るがしかし、このままうじうじと悩んでいてもどうにもならない。一抹の打開策に掛けて辺りを彷徨うことにした。
もしかしたら歩いているとなにか良案が思いつくかもしれない。先ほどまで涼しく聞こえていたミンミンゼミがいつしか父さんの怒声のように聞こえていた。
(はぁどうしようか。)悩むが、足はなんとなく空地へと向かっていた。お金を貸してくれそうな友達を一人知っていた。(もしかしたら夏杞ちゃんならお金を貸してもらえるかもしれない。)そう淡い期待を抱いていた。夏杞ちゃんとは親友関係で、大抵の場合空き地でお友達と野を駆けているのだ。外交的で天真爛漫だから決して家にはいないだろう。そう決めつけると途端に足は軽くなって、親友と会うことが楽しくなった。
幾分か風を切っていると空地へ着いた。遊具などない寂しい空地には夏杞ちゃんは意外にも居なかった。その代わりにクラスのいつも口煩い子たちが仲良く遊んでいた。私はがッくしと肩を落とし、少し、俯いた。そして気を取り直し、そーっと歩いていると。
「あ、重夏じゃん。」
彩針君が私に向かって指を指していた。自律神経が変に昂る、心臓の鼓動は早く動いた。私がその子の方を向くと、すでに近くに駆け寄っていた。
「え、何してんの?奇遇だね。」まだ前の興奮が収まっていない様で息を荒げながら話掛けられる。
「いや、ちょっと家族のお使いで、お金が足りなくて、その、そこら辺をぶら、ぶらと歩いていたの。」
挙動不審に答弁する私。無理もない。私を囲う様に皆は扇形に並んで刑事が問い詰めるように私を見ているのだもの。なんと思われるか分からない、不審な懐疑心が心を巡り回る。
「へー」と彩針 君は興味なさげに呟いた後に「おめーバカだなぁ余分に持ってけばいいじゃんかよ。」他の男の子が野次を入れると途端にドッと嘲笑が伝染し、あざ笑う。私はその正論にとても恥ずかしくて、委縮して、俯く。でも心の内の奥の部分ではもしかしたらお金を分けてもらえるかもしれない。そう思った。
だから意を決して
「あの、だからお金を貸してくれない。急で悪いけれども。お金を」
そう言うと皆静まり、きょとんとした顔で私を見る。私は逃避願望が非常に強くなっていることを感じた。その後皆は互いに顔を見合って、○○が代表して、「いや、ごめん。貸せるほどお金持ってきてねぇや。」と言うので、私は落胆して「そっか。」と返し、「ありがと、」と言うと傷心の気持ちでその場から別れる。
また、辺りをぶらつくことになった。恥ずかしい気持ちは蜃気楼のように今は消え失せて、新たに疲れが入ってきた。ミンミンゼミももう鳴いていない。寂しい道路をゆっくり歩く。
(次はどうしたらいいのだろう。)
そうして辛い気持ちで道を歩む。その足取りで道を真っすぐ向かっていると私は見た。そこに自動販売機が置かれていることが見えた。途端に良くない思いつきが頭に浮かぶ。中のお釣りを取れば、お金が手に入るじゃないか。そう思ってしまった。だけれどそれは、浮浪者や醜いものがやる下衆な行動だと知っていた。だけれどこんな心持で帰ることは精神衛生上よくない。だけれどもし、そこにお金があって、買ってしまっても私は一月ほど浮浪者のレッテルで過ごさねばならない。どうしようか。自販機は徐に佇んでいる。
ただその自販機を見ているとなんだか魔性の魅力と言うか、そういう類のものがある気がして、どうにも下衆な方に心の振り子が傾いている気がする。よくない。よくない。と思うが、しかしその振り子の重みは段々と斜めに斜めに傾いて、動悸がする。
ひとまず唾を飲み込むと、辺りを見渡してしまう。それが追い詰める行為だと知っていても 中を覗いた。
しかしお金は入っていなかった。
安堵と悲しみを得た。
そうして、逃げるように歩いていると、途端に虚しい気持ちで氾濫した濁流を流しながら、へたり込む。斜陽は半分隠れて日が浅い。もう夜だ。帰ろう。
傷心の心で泣きながら辺りをまた、彷徨う。
家路の道中の 空き地には、もう誰もいなかった。唯一の遊具である○○に腰掛けながら辺りをぼーーっと見る。仕方ないから帰るほかない。ただ諦めたくない気持ちももうない。しょうがない。帰ろう。そう思い立ったは良いが都合よく足は動かない。
そうしてぼーっと風景を見つめた後、徐に立ち上がり再び家路を重い足取りで歩く。
そうだ。謝って、また買いに行けばいい、 ふと、心に浮かびあがってきた。それ心で反芻しながら無量大数に思われる長い、長い道を不規則な足取りで幽かに歩く。足取りは依然として重いままだった。ミンミンゼミは無情になく
家がどうにも大きなお城の様な気がして、前読んだ西欧の童話の話に似て仕方ない。納税する庶民の趣はこんな感じだろうか。そう胸のつっかえが膿を生んでいる。重い木製のドアを開け、なにも必死に感じない様、動悸をひたすら抑えることを望んで、家へと戻る。
父さんはまだお酒を飲んでいた。私は、後悔と罪悪感を感じながらも、父さんに全てを話した。
「あのね、あのね。お父さん。さっき、買いに行ったんだけどね。 お店のが壊れててね、清算できないから、これを一つだけ買えて、。それで、それでね。あの、高くて。買えなかったの。 だからね。今から買いに行くから、ちょっと待っててね。ほら、でも一つは買ってきたんだよ。これ、 うん。買えたの。」
そこまで言うと父さんの顔から完全に逸らし、俯く。すると父さんは言った。
「いや、今母さんにお酒はやめなさいと言われてな。ちょうどやめようと思っていた所だったんだ。」
そう言われて、父さんの方を向くと、父さんは朗らかな顔で私の方を見つめていた。それを見るとすーーっと心の内が軽くなって、楽になった。かと思えばまだ心のつっかえが取れていないことに気が付いた。だから自然に言葉は紡げ、言った。
「ごめんね。お父さん。私、嘘ついちゃった。本当はね200円しか持って言ってなかったの。」
「おお、そうか。」
私は、お父さんに久しぶりに感心した。
ミンミンゼミは軽佻に鳴いた。
鯖と蒲鉾 taiyou-ikiru @nihonnzinnnodareka
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