すみれ、しゃべる

※この話は、昭和時代(戦時中)を舞台にしたエピソードです。




 俺は新婚だ。

 親に勧められて見合いをし、トントン拍子に結婚した。

 妻になった人は、それはもう、美しくて、素敵な人だった。

 俺なんかには正直、もったいないくらいだ。

 ……でも、俺にとって彼女は運命の人なんだ!


 結婚してもう一ヶ月が経つのに、いまだに緊張してしまう。

 まともに目も合わせられないし、うまく話せない。

 毎日ドキドキして、落ち着かない。


「これ……いつ渡そうかな」


 妻への贈り物に選んだ、すみれの鉢植え。

 少しでも距離を縮めたくて、思いきって買ったものだ。

 だけど、まだ渡せていない。

 ……情けない、俺。


「よし。今日こそは渡すぞ……!」


「頑張れ、意気地なし」


「……え?」


 いま、誰かの声がしたような――。


「まったく。最初は黙って見てようと思ってたけど、もう見てらんないよ。

 ただ俺を渡すだけでしょ? なんでそんなに意気地なしなのさ」


 だ、誰!?

 慌てて周囲を見回すけど、部屋には俺ひとりしかいない。


「こっちこっち!」


 声のしたほうを向くと――手に持っていた鉢植えのすみれと、目が合った。


(……まさか)


「やっとこっち向いたか」


「うわっ!?」


 思わず鉢を落としそうになる。


「ちょ、落とすなって! 嫁さんに渡すんだろ?」


「すみれが……喋ってる……!?」


 自分の頬を思いきりつねる。……痛い。夢じゃない。現実だ。


「ふふん、やっと信じた? 本当は黙ってるつもりだったけどさ。

 あんたがあまりにも意気地なしだから、ついね」


「……花にまでバカにされてる……」


 なんだか情けなくて、どんより落ち込んでしまう。


「落ち込んでる場合? もうすぐ嫁さん帰ってくるんでしょ? そのときが好機だよ」


「え、すぐ渡すの?」


「さっさと行ってきなよ、この意気地なし! 玄関で俺を持って、待機!」


「は、はい!!」


 すみれに背中を押されるように、俺は玄関で待ち構える。

 ど、どきどきする。心臓が破裂しそうだ。


「まったく、ただ贈り物を渡すだけなのに、なんでそんなに緊張してるんだか」


「いや、だって……ちゃんと渡せるか不安でさ。

 気に入ってもらえなかったら、とか……」


「安心しなって。お前の嫁さんは絶対、俺を気に入るって。なんせ、俺だからな! あっはっは!」


 この花、どこからそんな自信が湧いてくるんだ……。

 すみれの図太さが、ちょっと羨ましくなる。


 そのとき――

 ガラッと、玄関の戸が開いた。


「ただいま……きゃっ!」


 玄関で突っ立っていた俺を見て、驚く嫁さん。

 そりゃそうだ。


「あっ……驚かせてすみません。おかえりなさい」


「どうしたんですか? あら、綺麗なすみれ……」


 俺の手元にある鉢植えに気づいた嫁さん。

 よし、今が好機だ!


「あ、あの……これ、どうぞ」


「え……わたしに?」


 そっと鉢植えを受け取る嫁さん。


「嬉しい……ありがとうございます」


「いえ……どう、いたしまして……」


 笑顔がまぶしすぎて、まっすぐ見られない。

 照れ臭くて、つい目を逸らしてしまう。

 ……ちくしょう、やっぱり俺の嫁さんはかわいい。


「ふふっ。わたし、あなたに嫌われてるのかと思ってました」


「え!? そんなわけないです!」


「だって、目もあまり合わせてくれないし、話もしてくれないし……」


 たしかに……思い当たる節がある。

 こんな寂しい思いをさせていたなんて――俺は何をしてたんだ!


「ち、ちがいます! あなたのことが好きすぎて……

 照れくさくて、うまく話せなかっただけなんです」


「……え?」


「俺は、あなたが大好きです!!」


 あー、言っちゃった!

 顔から火が出そうだ。


 嫁さんの顔も真っ赤になって、でも――満面の笑みだった。


「わたしも、あなたが大好きです」


 そう言って、嫁さんは俺の胸に飛び込んできた。

 おそるおそる、彼女の身体を抱きしめる。


 ……幸せだ。


「やっと言ったか、この意気地なし」


 嫁さんの手にあるすみれが、そんなふうに呟いた気がした。




 赤紙が届いた。

 俺は、徴兵されることになった。


「なぁ……本当に行くのか?」


 庭に植え直したすみれが、話しかけてきた。


「うん。行くよ」


「戦争って、あれだろ? 人間同士で殺し合うんだろ?

 あんたみたいな意気地なしにできるわけないじゃん。やめとけって」


「……やめられないよ。国のためだから」


「なにが国のためだよ。人間って本当にバカだね。

 同じ人間同士で殺し合って……そんなの、なんにもならないじゃん」


「ほんと……その通りだよな」


 それきり、すみれは黙った。

 そして――出征の日がやってきた。


「嫁さんのこと、頼むな」


 すみれにそう声をかけると、返事はなかった。

 俺は花びらにそっと手を添え、「行ってきます」と挨拶した。


 ――「生きて帰れ」

 そんな声が、どこかで聞こえた気がした。




「あいつ、そろそろ戻ってくるかな」


「そうね……そろそろ、戻ってきてほしいわ」


 終戦から一年。

 幸い、このあたりは空襲もなかったから、我が家は無事だった。

 庭のすみれも、変わらず綺麗に咲いている。


 でも……まだ、旦那様は戻ってこない。


「大丈夫だって! あいつ、意気地なしだけど、生命力だけは無駄にありそうだし」


「ふふっ、そうね」


「絶対、生きてるさ」


 そのとき。

 ふいに、誰かがこちらへ近づいてくる足音がした。


 振り返ると、そこには――


「ただいま、戻りました」


 涙があふれた。

 会いたかった。

 ようやく、ようやく――あの人が帰ってきた。


「おかえりなさい」


 大好きな旦那様が、ようやく、帰ってきた。


「ほらな? 言った通りだろ」


 誇らしげに、すみれの花びらが揺れた。


 小さな幸せを、これからも一緒に――

 たくさん、見つけていこう。

 

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