第29話 二人の大聖女
アカデミーの理事長室は、豪華な調度品で彩られていた。
漆喰で塗られた書棚、細工付きの執務机、本革のソファー。陶器の花瓶には、二十四本の薔薇が生けられており、どれも一級品と一目でわかる。
室内には、二人の女性がいた。
一人は両目を眼帯でおおった女性――ラクシャーサ・アリスベータ。
その戦いで両目を負傷し、傷が癒えた今も後遺症が残っている。
類まれな身体能力とキセキの助けで日常生活に支障はないが、
ラクシャーサは窓際に佇み、校庭を見下ろしていた。
走る聖女見習いたちを、まぶしそうに眺める。
「わたくしたちも、ああしてよく競い合いましたね。昔々のことですが……」
「俺は吐くまで走らされてたぞ? 思い出しただけでむかむかする……」
もう一人の女性は、ソファーに行儀悪くだらりと腰を掛け、吐いたタバコの煙で輪を作っていた。
「あなたは素行が悪いから、罰として人の倍、走らされていただけでしょう?」
「おかげで、今でも体力だけは誰にも負けない自信があるぜ」
「歌で
「あ? 俺の全盛期が過ぎたって? ケンカ売ってる? 売ってるよな? いいぜ、言い値で買ってやるよ」
ソラ・ヘブンズリンクは、タバコの火を乱暴に灰皿に押し付け、もみ消した。
「褒めたつもりですが……耳心地のよい賞賛がほしいなら、聖女チャンネルか、あなたの
ラクシャーサはすまし顔でソラの怒りをいなした。二人は元クラスメイトだ。
卒業後も七聖女の第一位をかけて競い合った仲で、数えきれないくらい同じような会話の応酬を繰り返してきている。互いの気心は知れていた。
「人が生きるのは、過去でも未来でもない。今だ。自分に全盛期があるとすれば、常に今、この時のみ」
「だからこそ未来は尊く、思い出は美しく感じられるのでしょう? 現にソラは第三位。数字は嘘を付きません」
ソラは痛いところを突かれたという顔になって、軽く舌打ちした。
「はいはい、認めるよ……シャサと第一位を争っていた頃のパフォーマンスは、もうできない。今は現状維持で精いっぱいだ」
「愁傷ですね……」
「あいつらを見ていると、世代交代なんて言葉が浮かぶこともあるさ」
「たしかに、ずいぶん丸くなりました……」
ソラの表情は、我が子の成長を誇るようでも、苦虫を噛み潰したようでもあった。
未来のある若者と比べれば、自分の老いが浮き彫りになり、複雑なのだ。
「ここに来たのは、ケイ=ノービスの件ですか?」
「それだけじゃないが、それもある」
「寝耳に水でした。誰かさんが、彼の願書のプロフィールを偽装したせいで、ね」
「驚いたか?」
「ふざけないでください。戦闘用キセキの使えるだけでなく、実戦まで可能だとは……」
「ああ、それにも気付いたか……」
「禁忌聖典が来ました」
「……想像以上に展開がはやい……」
「本物、なのですね?」
「ああ、
「……彼こそが、神降臨に欠けていた最後のピースなのかもしれません」
「俺の弟子に、変なこと吹き込むなよ? ただでさえ、ややこしい立場なんだ」
「過保護ですね?
「違う」
ソラはラクシャーサの言葉をぴしゃりと遮った。
「本当に?」
眼帯に遮られて視線は感じられない。
それなのにソラは、ラクシャーサから視線をそらした。
「……優しすぎるのは、玉に瑕ですね……」
「あ、誰のことだ?」
「後の祭りです。すでにケイ=ノービスの存在は全都に知れ渡りました。上がわたくしの判断を黙認したのは、キセキの監視網をすり抜けるイレギュラーを下手に遠ざけ、地下に潜らせるより、アカデミーに招き入れて所在を明らかにしておきたかったからでしょう。三枢機卿それぞれの思惑もある……誰が忖度したのやら……まったく……」
「そこまでわかっていたなら、入学をはねのけたらよかったんじゃないのか?」
「わたくしの立場で、それが叶うとお思い?」
「すまじきものは宮仕え、か……」
「実戦もできるとわかった今、
「忠告しておくが、オーズ降臨のためとはいえ、手段は選べよ?」
ソラがラクシャーサをにらみつけた。
ラクシャーサは少しだけ沈黙した。
「……何のことですか?」
「この俺が、気付かないと思うか? ラクシャーサ・アリスベータ? やましいことがあるなら、今言っておけ」
「……ヒ・ミ・ツ、です」
唇に人差し指を当てて、
「おい、すかすなよ」
「あとオーズ『様』、です」
「俺は奴を手放しで信仰していない。時代遅れの無用の長物……オーズこそが諸悪の根源じゃないのか?」
「不敬ですよ?」
ラクシャーサがソラに一歩近づく。
怒りのこもった声だった。
「タカマガハラで直に、
「真実を知った聖女の反応は、おおむね二通り……信仰を疑うか、信仰を貫くか……わたくしは後者です」
「教区に来て日の浅いバカ弟子が、貫くとは限らないぜ?」
「まさか、洗脳していないでしょうね?」
「するか、
「あなたは、教えるのが下手ですから」
「うるせーよ……だから、お前のところにやったんだろ……」
「あら、意外……わたくしのことを、そこまで高く買ってくれていたのですね? 嬉しいです」
「あ”ぁ”? ぶっ殺すぞ?」
「フフっ……久々に聞きました、あなたのそれ……」
「口が悪いって説教なら、ノーセンキューだ」
「第三聖女、ソラ・ヘブンズリンクに殺されるのなら、本望ですよ」
「ぐっ――ぬ……この……ばーかばーか!」
ソラは子どものように顔を真っ赤にしていた。
ラクシャーサも子どものように笑っていた。
心を許せる、唯一無二の存在だ。
「座学は苦戦しているようです」
「あいつが都会育ちのお嬢様に
それを聞いたラクシャーサが、少しだけ身体を強張らせた。
「あら? それなら、わたくしの娘もたいしたものですよ? そうなるように鍛えましたから」
そう言う理事長の顔には、どこかぎこちない笑みが張り付いていた。
「俺のバカ弟子はまだまだだが……強いぜ? この俺の修行についてきたんだからな」
ソラはラクシャーサに不敵な笑みを返す。
「そうですか、フフフフ……」
「そうなんだよ、ハッハッハッ……」
「フフフフフフフフ……」
「ハッハッハッハッハッハッ……」
「フフフフフフフフフフフフフフフフ……」
「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ……」
見えない火花が散っていた。
ふとラクシャーサが笑うのをやめて、真顔でソラを見る。
「――明日、動こうと思います」
「お前――やっぱり……」
「後のこと、任せてもいいですか?」
「この俺を、尻ぬぐいに使うつもりか?」
「悪いとは思っています。ですが、こんなこと、あなたにしか頼めません」
「……バカが」
「お願いします……
懇願され、ソラはタバコの煙を輪にして頭上に吐き出した。
「――輪を乱す……か……」
中空に浮かんだ輪を、ソラは手刀で断ち切った。
「貸し一だ」
「ありがとうございます、ソラ」
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