第3話 巻き込まれ体質


「おじゃましまーす……」


 ぎいいと鈍い音が鳴る、錆のついた鉄の門扉を押すと、僕はキョロキョロ家の周りを見渡した。

 砂利敷きの上に飛び石が置いてあり、その上を五歩ほど歩いた先に引き戸の玄関がある。家に向かって右側は、石壁が一部柵になっていて、駐車スペースになっているが車はない。

 左側が庭で、植木などの植栽の他、植木鉢もいくつか並んでいるが手入れされた様子はなく、地面の雑草もぼうぼうだ。

 

 歩くと、スニーカーの底で擦れた砂利が鳴る。

 

「どなたかいませんかー?」


 控えめに声を出しながら、僕は一歩ずつ庭の方へ進む。

 ドッドッド、と心臓が早鐘を打っている。今までに感じたことの無い嫌な予感が、なくならない。気のせいならいい。けれども――と僕は庭に足を踏み入れた。


「あ!」


 玄関からは建物の陰になって見えていなかった縁側の端で、ぐったりと倒れているトワを発見した。

 慌てて駆け寄って、「天乃くん!」と声を掛けてみるけれど、紅潮した頬に苦しそうな呼吸で、返事がない。

 

「天乃くんっ!? えっと、えっと、きゅ、救急車っ!」


 制服ズボンのポケットからスマホを取り出し、震える手で電話を掛けようとするけれど、

「110? 119? どっちだった?」

 掛けたことがない僕は、パニックになる。

 

「ああああどうしよう、えっと、えっと!」

 

 僕は震えながらもなんとか電話マークをタップし、一番上にいたアンジをタップする。


『もしもし?』


 幸いすぐに出てくれたので、挨拶もせずいきなり聞いた。

 

「救急って何番!?」

『119』

「おけ!」

『おい』

 

 速攻電話を切ってから、すぐに119に掛け直す。

 たどたどしい僕の説明を、オペレーターの人は優しい口調で促してくれる。おかげで徐々に冷静さを取り戻し、話しながらリュックから取り出したプリントに書いてあった住所を告げ、十分ほどで救急車がやってきた。あの赤いランプとサイレンでホッとする日が来るなんて、思ってもみなかった。

 

 救急隊員の人たちはテキパキとトワをストレッチャーに乗せ、車内へ運び込む。それから一人が受け入れ先の病院を電話で探している間に、もう一人の救急隊員がざっと家の周りを見て戻って来る。

 

「うーん。家の人、いないみたいですね」

「そう、ですか」


 僕もインターフォンを鳴らしたが、誰も出なかった、と話す。

 

「ちなみにあなたは?」

「あ、僕、高校のクラスメイトで。プリント届けに来て、見つけて」

「そうでしたか……」

 

 救急隊員さんは、眉間にしわをきゅっと寄せた。

 

「あの? 天乃くんは」

 と尋ねた途端、遠くから声がする。

「おーい! 受け入れるって」


 救急車の中から、電話を終えた救急隊員さんが大声で呼んだのを聞いて、小走りで救急車へと戻る。

 幸いトワが持っていた財布にあった診察券で、市立病院にかかっていることが分かり、主治医の先生が応対してくれたようだ。

 

「市立病院ですね。あの、僕、担任の先生に伝えときます!」

「はい。もう大丈夫ですから。安心してくださいね」

「……はい」


 ストレッチャーの上でぐったりしているトワのことは、あまり見ないようにした。

 後から僕に見られたと知ったら、気分のいいものじゃないだろうと思ったからだ。

 市立病院は市内で一番大きな病院だから、きっと隊員さんが言う通り大丈夫だろう。


 救急車がサイレンを鳴らして走っていくのを見送ってから、握り締めていたスマホを持ち上げ、高校の代表番号へ電話を掛ける。

 担任の橋本先生はもう帰宅していたので、出てくれた先生に伝言を頼んで、ようやく僕は息を吐く。


 そのまま自転車を引いて歩いて――動揺でフラフラしていたので、乗るのは躊躇した――帰宅してから、プリントを置き忘れたことに気づいた。

 

「あーしまったー……」

 

 自分の部屋に荷物を置くと、全身から力が抜ける。

 トワの、儚いけれど強気な目線を思い出して、ぶるぶると手が震えた。


(勝手に家、入っちゃったなあ。天乃くんが助かったんなら、余計なお世話って言われないよね。言われないといいな)


 ぐるぐる考えながらご飯を食べてお風呂に入って、僕にしては寝つきが悪かったけど、いつの間にか寝た。

 頭が疲れすぎていてネトゲにログインしなかったから、フレンドから大量の愚痴メッセが届いていて(デイリーミッションもログインボーナスも逃したから)、あとから鬱になったけど。


   †


 翌朝、ホームルーム開始前に、念のため職員室の橋本先生のところに寄った。

 

「矢坂……大変だったな」

「ええ。天乃くん、大丈夫でしたか?」

「ああ。ついでに顔見てきた」


 そうか、市立病院は先生の娘さんが病院しているところか、と思い至る。


「矢坂に頼んで正解だったな」

「なぜです?」

「親切で、ちゃんと責任持って行動できるから」

「そんなの、普通ですよ」


 僕の返答を聞いた橋本先生は、なぜか思いっきり溜息を吐いた。


「……とにかく、ありがとう。これ、天乃の病室」


 その後で、苦笑しながら小さなメモ用紙を差し出してくる。

 

「え?」

「気になるだろ。見舞い行けばいい」

「はあ」


 メモには、病室の番号が書いてあった。


 僕は別に行く気はなかったけれど、情報を渡されたからには、行かねばならないのだろうかと考えながら教室へと戻る。

 すると廊下で、背後から声を掛けられた。


「おい、ユキナリ」


 アンジが仏頂面で上から見下ろしてくるのを見て、ようやく僕の意識は現実に戻ってくる。

 

「おはよ」

「おう。昨日、大丈夫だったか?」

「え? あ~。あ~! ごめん!」


 救急って何番? だけで電話を切った後、なんのフォローもしていなかった。

 悪いことをしてしまったと慌てて頭を下げる。

 

「いやいい。焦ってたんだろ」

「うん……お昼、話させて」

「おう」


 アンジの表情は全く変わらない。それがつまらないとか怖いとか言う人の方が多いけれど、僕は逆に助かっていた。

 変な期待も鬱陶しさもないことが、僕にとって気楽で良い。


 教室にあるトワの机の中には、授業のプリントが無造作に突っ込まれていて、僕はそれが気になって仕方がなかった。

 連絡プリントを預かっていることだし、それらもまとめて病院へ持って行けば、お見舞いの口実になるかな、と考えながら、自席に着いた。


    †

 

 午前の授業を終えると、僕らはいつものように体育館裏のベンチに腰掛けた。

 九月とは思えないくらいに気温が高く、垂れてくる額の汗を手の甲でぬぐう。

 制服は、まだ夏服。それでも結構暑い。

 

「……救急搬送? それは大変だったな」

 

 アンジの今日のお昼は、サンドイッチとクリームパンらしい。しょっぱいのから甘いのにいくのは、彼の鉄則のようで、外したのを見たことがない。

 僕のお弁当には、白身魚のフライが入っている。唐揚げほどじゃないけれど、好きなおかずだ。なぜって、タルタルソースが付いているから。

 

「うん。僕そんな電話掛けたことなかったから、パニックになっちゃって。ごめんね」

「気にするな。それで、行くのか?」

「お見舞い? うん。一応ね。気になるから」

「ふむ……俺も行こうか」

「来てくれるの?」


 はああ、とアンジは深い溜息を吐く。

 僕は今日だけで二回も人に溜息を吐かれてしまった。イラつかせてしまったかな、とそろりと様子を窺うけれど、アンジの表情は変わらない。


「病院て、ひとりで行くの嫌じゃないか?」

「あー。うん。嫌ですね……」


 滅多に行かないから、いざ行くとなると無駄に緊張してしまう。

 

「なんで敬語なんだよ」


 ふは、とアンジが笑ってくれたので、僕はようやくお弁当を食べ始めることができた。

 無意識に気を張っていたのに気づいて、礼を言う。


「ありがと」

「いや。俺も気になるし。ユキナリはとにかく無駄に面倒に巻き込まれる奴だからな。先週も三ツ矢のゴタゴタがあったろ」


 三ツ矢は、前の席の僕の頭を理由もなくポカポカ叩く。どうやら三ツ矢の隣の、気合の入ったギャルである『白崎さん』の気を引きたいようだ。

 そしてそれを見とがめた姫川さん(巫女だけでなく学級委員長でもある、才女だ)が注意して、ひと悶着。さらに、高校生にもなって、とか周りの女子に言われる。

 

 そりゃそうだ。叩かれるのが嬉しい奴なんていないだろう。抵抗すればいい話だ。でも僕は、それ以上に揉めたくない。

 

「いつものことだし」


 動揺したせいか、大好きなタルタルソースが、口の端にべったり付いてしまった。

 ここにはアンジしかいないので、遠慮なく指で拭ってぺろりと舐める。するとものすごく冷たい目で見られていた。

 

「はいはい、どうせ僕は食いしん坊ですよ」

「巻き込まれ体質も否定しないんだな」

「巻き込まれ食いしん坊です」

「だな」

 

 本日からオフィシャルになってしまった。悲しい。

 

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