とかく、不運というのはまとまってやってくることが多い気がする。
人生には得てしてそういう時期があるのかもしれないが、その痛さと苦さは当人でなければわからない。
しかし、何気なく踏み出した先に明るい答えが待っているということがあるのも……面白いことに、これまた人生というものである。
それぞれが不完全な家族。しかし、手持ちの心(カード)を持ち寄ってみたら案外いいデッキが組めるかもしれないのだ。
可能性は、可能性でしか無い。
しかし、それを否定したら未来は訪れない。
進んだ先に光があるなら、こんな物語を夢想してみるのも良いものだと、今心から思う。
円満家族。
それは文字通りの誰もが羨む花丸家族であろうが、そんな家庭は数えるほどしかこの世にはない。
どんな家族であってもどこかしら、何かしら、欠けており、日々、小さなものから大きなものまで問題が発生し、それを補い合って乗り越えることもあれば、互いを責めることもあるだろう。
そのユニットで生きていくか否かを、家族は絶えず突き付けられている。
大人になると分かることだが、親だって、「頑張って親のふりをしてまーす」というだけのただの個人なのだ。だが、子どもにはそんなことは分からない。
幼い子どもがいるのならば、親はたとえ仮面夫婦であっても子どもが自立するまでは親の演技をしろよ、サンタクロースになれよと思うのだが、そんな余裕などまったくないほどに破綻している夫婦だってある。
作中の娘・愛生(めい)は、力のない子どもの頃に親になれなかった親からのしわ寄せを浴びている。
暴言でも暴力でもないが、それは子どもの心を壊すには十分な仕打ちで、重たい十字架を背負わせている。
小学校の途中で学校に行くのを止めた愛生は、一度も登校しないまま、中学一年生になっている。
その娘に父親は食事をつくって置いておく。
父親もまた少し変わった生育史をもっており、それは不幸なものではなかったにせよ、人がきけば「珍しいね」と云うはずだ。
父親にとっては母、愛生にとっては祖母の訃報が届く。
喪服のかわりとして、不登校の娘ははじめて中学校の制服を身にまとう。
彼らが駈けつけた先には、父親の兄にあたる冬人(ふゆひと)が待っていた。
がたがたであっても、桜のかたちが美しいように、家族は作れる。
部屋にこもって俯いていた娘が伸ばしっぱなしのぼさぼさの黒髪を切ることにしたのは、誰かの髪を整えてあげたいと願ったからだ。
遠く隔たっていた家族は、古い想い出を手で寄せ集めるようにして、新しい家族をここに始めることになる。
「春隣」このタイトルが意味深。
弟の秋生・兄の冬人ときて、耐えた季節の次にくる花ひらく春。
その訪れを、この物語の中の誰かが切に願っていたような気がしてならない。