第二章 樹海

空港から4時間。

レンタカーを走らせてなんとかたどり着いた。

東京とも大阪とも違う喧騒の飛び交う街、博多とは全く違う。

ゾッとするような静かさと、頬を撫でるような木々の香り。

その中をオレンジのミニバンが走る。

「しかし、大丈夫スかね。」

「何がだよ」

「久々でしょ、運転」

「心配すんなって。死ぬ時は一緒だからな」

「…これ、座席が飛びててパラシュートがついてる仕様じゃないスよね」

ガードレールが文明を感じさせるが、奥に行けばやがてそれもなくなるだろう。

「いやー、こうして緑の中にいるとやっぱ自然は素晴らしいと感じさせまスねー」

「なら手に持ったスマホを置け」

「いや…。ポケポケでリーフィア使ってますし」

犬鳴村。

諸説あるが、伝説はこうだ。

* 犬鳴族と呼ばれる近親者のみの一族がいる。

* 老人が一人で住んでいる。

* 日本国憲法が通じない地域である。また、その看板がある。

* 訪ねた者は鎌やオノを持った男に追いかけられる。

* 地図に載っていない。

* 伝染病が流行った時、患者を隔離した村である。

* 武器を持った青年が村人を惨殺して廃村になった。

(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/犬鳴村伝説)

馬鹿馬鹿しいほどのどこにでもあるフォークロア、といったところだが。

ちふの言ったアイディア。それが正しければ行ってみる価値はあるんじゃないだろうか。

季節外れのバカンス…。にしてはあまりにも禍々しい土地だが。

「お?」

「んー、なんスか?」ちふがスマホからまったく目を離さず返答する。

店だ。

路面に店がある。

店、というよりほとんど小屋に近い。カビた板で作られてはいるが、自然の中で人が生み出したものである事は間違いない。

「ちふ、行くぞ」

「えぇ〜、Dさん行ってきてくださいよ〜」

「何言ってんだ。人への聞き込みも大事だろ」

「この暑さでクーラー効かない外へ出す気っスか。人殺し。ブラック企業。1280のフォロワーが黙ってないスよ」

「…。」

こいつは地縛霊より動く気配がない。一人で行くか。

「エナドリで」

「スタッフをパシらせる立場か」


心配なのはガソリンだ。

この山の中で立ち往生すれば、村人に襲われなくてもジ・エンド間違いなしだろう。

それ以外には必要なものは特にない。食用も水もバッチリだ。

あとは、情報のみ。

小屋をそっと開ける。

商売どころか、人が存在したんだろうかと思うほど、小屋の中は寂れていた。

かつて商品が積まれたことを思わせるトレイ。光の加減からか、こちらに微笑を向けたように思わせる昭和のキャラクターの人形。

使えるかどうかわからないガスコンロ。

やはり、誰もいないか。

「どうもー」

顔を向ける。60いくつだろうか。

山男らしい、かくばった顔、白い眉。ポロシャツ。

「あぁ、お店の方ですか」

「店と言えるもんでもないがな」

「助かりましたよ。この辺じゃ人の気配がまるでないから」

老人はそれには答えず、じっと頑なにこちらをみる。

表情は笑顔を浮かべる。しかしそれはどこか卑屈なものを感じた。

「あんた、変な気起こさないだろうな」

「変な気?」

「たまにいるんだ…。山の中に入って行って薬飲んだり首つるやつがな」

あぁ。

「ご安心を。まだ世を儚んじゃいません」

「…やるならいいが…他所でやってくれや。腐った肉を求めて色んな動物が出るんだ」

「ここじゃ人間も自然界の一部というわけですか」

またそれには答えず、ゆっくりこちらへ向かう。

「欲しいもんはあるか」

「ガソリンかなんか、ないですよね」

「待ってろ」

外に置いているらしい。

物置から持ち出してきた携行缶を机に置く。

「まぁ、何もないところだが向こうに行けば近道にはなる」

「ありがとうございます。ところでー」

俺はスマホの録音ボタンを押す。

「犬鳴村ってご存知ですか?」


時計の秒針が6回音を立てた。

「聞いたことないな」

「妙ですね。ここは稲木村。普通なら言い間違えたと思うんじゃ?」

「聞いたことがないと言っとるだろ。用がないなら帰れ。店じまいだ。」

「このお店は長いんですか?」

「…最後にもう一度忠告しておくがな、妙な事は考えるな。黙ってとっとと帰ることだ」

「分かりました。ありがとうございます。」

ガソリンを手にし、立ち去る。

答えを聞いたのと同じことだ。

「これが本当の最後だ。言っておく」

車に乗り込む。

「覚えておけ。犬の声を聞いたら気をつけろ」


道路は砂利道になった。

「なんでエナドリ買ってきてくれなかったんすか」

「ガソリンでも飲め」

「私はエナドリがガソリンなのにー」

がたつく道を進んでいく。

かなりひどい道だが、進めなくはない。

対向車も数十分に一回程度は来る。

やはりここも犬鳴村ではないと言う事らしい。

「あ」

「ん?どうした」

「そこ」

左側の木々の間を見る。

何もないー、いや、違う。

不条理に植えられた森の中に一箇所だけ、均一的に植えられた木々がある。

周りはグレーの森の中にひときわ。

一切の反射を許さない、夜が存在した。

「行きまシょう」

「おい、待て」

ドアを開け、歩いて行ってしまう。

周りをみる。よく見ると車がギリギリ通れるほどの坂道が見えた。

ゆっくり、ゆっくり…。

まだ15時だが、ライトをつけざるを得ない。

暗闇の中を進みだす。

枝がぶつかる。

落ち葉が散らされる音がする。

3kmは過ぎただろうか。

間違いない。感覚で確信する。

進んでいくと、人影が見える。一瞬怯むが、よく見ればちふの姿だった。

何かを見て、立ち止まっているようだった。

軽くクラクションを鳴らす。

「おい。なにしてる」

動かない。

外に出た途端、ゾッとした。

瘴気。ムッとする森の匂い。ぺたりと体中に纏わりつく湿気。辺り一面で鳴き散らす蝉の音。

そして、それが一瞬止まり、遥か彼方まで気配を感じさせない、死のような静けさを感じる。

耐えられない孤独だ。

「おい…。ここ、まずいんじゃないか」

「着いたっス」

指さしているところに、1メートルほどの板が土に埋まっていた。

赤錆に覆われたその銅板は筆だろうか?かなり太い字で記載されていた。





コノサキ ニホンコクケンポウツウヨウセズ







今、稲木村ー、いや、犬鳴村へとたどり着いた事が分かった。

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