十五話 血の檻の封鎖 ― 奪還遠征軍、沈黙す

 ――夜明け前の瘴気の森外縁。

 討伐隊の残党と王都奪還を志した騎士団の生き残りは、

 腐りかけの城壁を寄せ集めた仮の砦を築いていた。


 松明の炎は小さく、血の霧の中で揺れている。

 砦の内側には、肩を寄せ合う民兵や傷だらけの少年兵の影。


 「……ここで……ここで踏み止まれば……!」


 震える声を吐き出したのは、まだ年若い新兵だった。

 血の染みた鎧は割れ、剣の柄を握る手には力が入らない。


 副将グレンが膝をつき、最後の火薬樽に火種を押し当てた。

 「ここで……ここで奴らを食い止めて……

  森の外に生き残りを送る……!」



 だがその言葉をかき消すように、

 砦の外から腐狼たちの遠吠えが木霊した。


 血の霧を裂いて進む女の影――

 それは獣姫メリアが遣わした“血の狩人”レオナ。


 赤い瞳はもう人の光を映さない。

 背後には腐狼の群れ、瘴気の根が地面を蠢いて砦を覆い尽くす。


 砦の壁に一人の弓兵が矢をつがえた。


 「レオナ隊長……!

  俺たちを……!」


 声は届かない。

 血の狩人の剣が空を裂き、

 腐狼が門扉に噛み付いた瞬間、朽ちた木壁が音を立てて崩れた。



 その奥――

 瘴気の根の中枢では、獣姫メリアが血の根を玉座へ繋げていた。


 土の奥を這う瘴気の脈動が、砦の外壁を下から蝕む。

 悲鳴が遠く遠く、血の王の玉座へ届いていく。


 「赦しも誓いも……

  全部……血に溶けてしまえばいい……。」


 腐狼の遠吠えと討伐隊の断末魔が交錯し、

 瘴気の森は赤黒い心臓のように脈打った。



 砦の裏門から、まだ幼い斥候の少年が走った。

 握りしめていたのは砦の地図――

 “外へ繋ぐ道”を示す唯一の写しだった。


 しかし――

 血の根が地を裂き、赤黒い鞭が少年の足を絡めた。


 「いやだ……!

  俺は……俺は……生きて――!」


 血の狩人レオナの影が、月光を背に滲む。

 少年の目に映ったのは、かつて誓いを与えてくれた英雄の姿だった。


 「レオ……ナ……さま……。」


 それが最後の言葉だった。

 血の根が喉を貫き、瘴気の胞子が砦の裏門を飲み込む。



 遠く王都の玉座では、

 血の王アルスが指先で魔核を撫でた。


 『奪還の誓い――

  よく喰らった。

  お前たちの火は、私の血の檻の肥やしとなる。』


 獣姫メリアの瞳がかすかに潤む。


 かつて生きるために見た希望の火は、

 今や自らの血と根で踏みにじられていた。


 「……もう……だれも……

  私を赦さない。」


 涙が瘴気の根に落ち、すぐに赤く染まった。



 砦の松明は折れ、爆薬は血の根に呑まれ、

 討伐隊の旗が血溜まりに倒れる。


 森を抜け出せた者は、誰もいない。

 赦しも誓いも、誰かの祈りすらも――

 すべて血の檻に沈んだ。



 こうして、遠征軍の奪還戦争は終わりを告げる。

 瘴気の森は完全に血の胎内となり、

 王都は玉座の王と獣姫メリアの“花嫁の楽園”として息づく……。


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