九話 血の決戦前夜

 王都イグナリオの最奥、王立近衛騎士団本営。

 深夜の冷たい月光の下、重装鎧の兵たちが慌ただしく武具を磨き、

 馬車に積まれる戦斧や魔具の数々が月の光に鈍く光っていた。


 ギルゼス・ロイアンは、すでに古びた赤の軍装を纏っていた。

 その肩にかかる金糸の刺繍は、かつてレイヴァン家と盟友を誓った血の証だったが、

 今は黒く染み付き、呪詛のようにその肩を重くしている。


 「……討伐ではない。

  根絶やしにする。根絶やしにしなければ、奴は何度でも蘇る……」


 傍らに控える老近衛長が、緊張を隠せぬ声で口を開く。


 「ギルゼス様……王都の守りが薄くなります。

  もし万が一のことが――」


 「愚問だ。」


 ギルゼスの瞳は爛々と赤い炎を灯していた。

 それはかつてアルスを絶望に叩き落とした、あの夜と同じ獣の目。


 「奴を生かしておけば、王都はいつか地底から喰い破られる。

  レイヴァンの亡霊を、今度こそ俺の手で殺す……!」


 白銀の儀礼剣が腰に収められる音が、重い甲冑の軋みと混じって鳴り響く。



 一方、アルスの玉座の間は、瘴気が渦を巻いていた。

 討伐隊や冒険者から奪った命の残滓が、石壁のあちこちに埋め込まれたコアへと吸い込まれていく。


 《新たな階層を開放……進化した眷属を生成……》


 獣人の影が玉座の足元に膝をつく。

 牙の奥で、血が沸騰するように蠢いている。


 「主よ……ついに来ますか、あの男が……」


 アルスは玉座の肘掛けに指をかけたまま、

 かつて血と炎に塗れた自分の幼き日の記憶を思い返していた。


 ――父は信じた。

 ――裏切られた。

 ――奪われた。


 全てを焼いたのは、あのギルゼスだ。

 だがいま、その血と肉を喰らい尽くせば、

 自分は完全に人を超えた“ダンジョンの王”になる。


 「……ようやくか……。

  獲物が巣まで足を運んでくれるなら、俺が狩人になる必要もない。」


 アルスは玉座から立ち上がると、掌をかざした。

 石壁のあちこちに埋め込まれたコアが同時に赤黒く脈動し、

 回廊の奥で新たな魔物の卵が幾重にも孵化しはじめた。


 《生贄を取り込んだ瘴気の浄化、完了。

  新階層、迷宮都市化を進行――》


 ゴゥ……ッと地下が鳴った。

 石床がひび割れ、無数の罠と分岐路が迷宮のように広がっていく。


 獣人たちは牙を鳴らし、蜘蛛の魔物が天井から滴り落ちる。


 「来い……ギルゼス・ロイアン。

  お前を屠り、その血をすべて“この巣”に捧げる。

  俺の怒りを、二度と忘れぬように――」


 地下に響く咆哮に応えるように、

 ダンジョンの心臓は不気味な赤黒い光を放ち続けた。



 討伐軍は夜明け前に森へと集結した。

 馬車に積まれた魔法具がきしみ、甲冑のぶつかる音が冬の空気を切り裂く。


 ギルゼスの目の前に並んだ騎士団と、雇われた冒険者たちの顔は緊張で引き締まっていた。

 彼の視線は遠く森の奥――祠の地下に穿たれた、あの暗黒の穴を見つめている。


 「この戦いで、全てを終わらせる。

  亡霊など二度と蘇らせん……!」


 老騎士長が息を吐く。

 「……ご武運を、ギルゼス様……!」


 王国の旗が風にたなびいた。

 獣のような決意とともに、老貴族は前線へと歩を進めた。

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