第23話「質問」

■2023年7月31日 20:00


 山の斜面に這うようして造られた国道を一台のワゴン車が走り抜けて行く。冬はスキーヤーやスノボーダーの車で混み合うこの国道も夏場は空いており、すれ違う対向車もほとんどなかった。

 ワゴン車の二列目のシートにはサングラスをかけた大柄な男が座っている。大柄な男の横には、静かに蹲る南野陽康の姿があった。


 秋葉原の神社を出た後、南野陽康と宝田舞は、葉月里音と一緒にいた二人の男に取り囲まれた。

 舞は男の一人に取り押さえられ、首筋に注射器のようなものを打たれた後、気を失うように眠ってしまった。

 車の中に引きずり込まれた陽康は、身長190センチはありそうな大男に胸の辺りを力任せに殴られ、まったく動けなくなった。今も肋骨のあたりがズキズキと痛んでいる。骨が折れているのかもしれない。


 車が秋葉原を出発してから2時間は経っているはずだ。高速道路を走っている間に周囲は暗くなった。そしていつの間にか山道に入っていた。

 葉月と二人の男は秋葉原を出てから今の今まで一切会話をしていない。舞は葉月と共に最後列のシートに座っているはずだ。例の注射を打たれて以降、舞が目を覚ました様子はない。舞は殺されてしまったのだろうか。


 山に入ってしばらくすると、車は速度を落として路肩に停まった。

 陽康は「いよいよ自分も殺されるのではないか」という恐怖を感じたが、いざとなると声も出なかった。

 陽康の隣に座っていた大男は、スーツのポケットから壊れたスマートフォンを取り出し、陽康に手渡した。本体が大きく変形して中から基盤が飛び出している。画面を覆っていたはずのガラスは跡形もない。彼らは暴力で沈黙させた陽康からスマホを取り上げ、その場で思いっきり踏みつけたのだった。

 サングラスの大男が陽康に言った。

「もうそれは使い物になんねえな。ただ、そうされる理由があったことはわかるよな? お前、あの子がどんな人間かわかってんだろ?」

 陽康は黙っていた。

「あの子は国民的なアイドルグループのメンバー。しかも今は病人だ。お前たちはそんな彼女を拐っていった。本当ならお前たちを警察に突き出したいところだが、俺たちも生憎時間がなくてな」

 陽康は痛む体を起こして後部座席にいる舞の姿を確認した。舞は目を閉じて葉月の肩にもたれ掛かっている。

 陽康の視線に気付いた葉月は静かに言った。

「彼女は眠ってるの。うるさくしないで」

 舞は生きているらしい。陽康の体を強張らせていた緊張が少しだけ解けた。

 サングラスの大男が陽康の肩を叩く。

「申し訳ないが、お前にはここで車を降りてもらう」

 大男は手に持っていたカードを陽康の目の前でチラつかせた。それは陽康の学生証だった。大男は陽康の財布の中身を調べていたが、その際に学生証を抜き取っていたらしい。

「天上寺学園高校2年13組、南野陽康君か」

 ワゴンのスライドドアが開いた。陽康はサングラスの大男に腕を掴まれながらも、葉月に向かって声を震わせながら尋ねた。

「ニシユルのみんなはどうして死んだ。どうしてこうなった」

 葉月は静かに答えた。

「大丈夫…彼女は大丈夫だから」

 何が大丈夫だと言うのか。舞だけは死なせないということか。陽康は葉月に聞こうと口を開きかけたが、サングラスの大男の声にかき消された。

「俺はコイツを送ってくる。千堂さん、ここでしばらく待っててくれ」

 大男から「千堂」と呼ばれた運転席の男は、大男の方を振り返って黙って頷いた。顔の皺や肌の具合から、サングラスの大男よりも年配者であることが窺えた。


 陽康たちが車を降りようとすると、サングラスの大男に向かって葉月が声を掛けた。

「広末さん、彼を送るって…こんなところで車を降りてどこまで送るつもり? 車で少し戻ればいいでしょう。まだ時間はあります」

「歩きやすい下山用の近道を知ってるんです。そこまで送ったら戻ってきます。30分も掛かりませんよ」

 葉月が「広末」と呼んだサングラスの大男は、陽康の耳元で声を落として囁いた。

「さ、行こうか」


 車から降りて歩き始めると、広末は陽康に話し掛けてきた。

「お前、ニシユルのファンか?」

 陽康はしばらく黙っていた。すると広末は、歩きながら陽康の尻を蹴飛ばしてきた。大柄な広末の足は丸太のように太く、まともに蹴りをくらった陽康は前方に吹っ飛ばされた。これ以上やられてはたまらないと思った陽康は仕方なく答えた。

「…ファンですよ。ニシユルの」

「で、誰が好きなんだ? ニシユルは5人いるよな。お前が連れ回してた宝田舞か?」

「…菊地セイラです」

「赤くて目立つ子か。お前、いい趣味してるな。じゃあ2番目に好きなのは?」

「2番目とか、そういうのは…」

 広末は再び陽康の尻を蹴飛ばしてきた。

「嘘を吐け。お前らオタクがメンバーに序列付けをしてないわけがない。じゃあ質問を変える。森川美穂は何番目だ。お前にとって森川美穂は何番目のメンバーなんだ?」

 メンバーカラーはオレンジで「ミーちゃん」という公式ニックネームを持つ森高美穂は、歌やダンスといったパフォーマンス面での見せ場は少なかった。ただ、天然ボケのキャラクターとして知られており、周りのメンバーや共演タレントから弄られることで存在感を発揮していた。その一方、ライブ中やテレビの生放送中に突然泣き出してしまうこともあるなど、ファンの間では彼女の精神的な不安定さを心配する声も少なくなかった。

 なぜ広末は森川美穂の名前を挙げたのか。ひょっとすると広末は森川美穂を推しているのかもしれない。陽康は、この質問に対してどう答えたとしても広末から尻を蹴り上げられそうな気がしていた。

「順番とかそういうのありません…ありませんが…敢えて言うならなら4番目です」

「そうか」

 陽康の予想に反し、蹴りは飛んでこなかった。ただ、広末はさらに厄介な問いを重ねてきた。

「じゃあ5番目は誰なんだ?」

「は?」

「お前にとって5番目のメンバーは? 一番気に食わないメンバーだよ」

「気に食わないって…」

 広末は陽康の尻を軽く蹴り上げてきた。質問に答えなければ思いっきり行くぞ、という脅しに思えた。

「た、宝田舞…でした」

 陽康の答えを聞いた広末は声をあげて嗤っている。

「お前にとって一番どうでもいいメンバーが生き残っちまったってことか。それはそれで気の毒だな」

 最低な相手と最悪な会話をしている。この男が森高美穂の名前を挙げた理由は気になったが、それについて尋ねてみようとも思えなかった。陽康は、また自分のことが少し嫌いになった。


 車を降りて5分ほど二人で歩いた後、広末は国道の脇にある未舗装の林道に入っていった。

「国道をそのまま降りていったら麓に降りるまでに何日もかかるが、ここを歩いていけばかなりショートカットできる」

 林道には外灯がなかった。先を歩く広末の懐中電灯がなければ、どこに道があるのかもわからない。

 広末は葉月に「歩きやすい下山用の近道を知ってる」と説明していた。広末はどこまで一緒についてくるつもりなのか。こんなところで一人にされてはたまらないが、広末のような男と一緒に歩き続けているのもいい気分ではなかった。

「おっとっと」

 2メートルほど先を歩いていた広末が声を上げた。

「おい、動くな…動くなよ!」

 広末は後ろを振り返り、懐中電灯の光で足元を照らし始めた。何か物を落としたらしい。

 懐中電灯の光は湿った雑草や塗れた土の上をゆらゆらと移動し、陽康の足元の50センチほど手前で止まった。

「あった! ふぅ…危ねえ危ねえ」

 広末は懐中電灯の光に照らし出された物体を手に取り、素早くズボンのポケットに収めた。

 陽康は確かに見た。広末の落とした物が懐中電灯の光に照らされていた時間は数秒にも満たなかったが、あれは…拳銃だ。

 広末は、陽康に向かって「行くぞ」と言ったっきり何も話そうとしない。無言で前へ前へと足を進めていく。

 どうして芸能事務所の人間が拳銃を持ち歩いているのか。それとも広末はブレインランドとは違う組織の人間なのか。そうだとすればどんな理由で葉月里音と行動を共にしているのか。考えを巡らす度に、陽康の足は竦んだ。


 林道を歩き出して10分ほど経った頃、遠くから水の流れる音が聞こえてきた。

 さらに数分歩いた後、先を行く広末が足を止めた。

 広末が操る懐中電灯の光の先に、細くて頼りない吊り橋の一部と手すりのロープが見えた。

「二人で一緒に渡ると揺れが酷くて危ない。お前が先に行け。足元は俺が照らしておく」

 幅50センチほどの細い下板が吊るされているだけの簡素な吊り橋だった。

 渡るには両脇のロープを掴みながらバランスを取って歩かなければならず、少しでも体制を崩せばたちまち下に落ちてしまうだろう。懐中電灯の光だけでは川の水面がどこにあるのかも見えない。

 陽康は広末に言われるがまま、両脇のロープを頼りに吊り橋を渡り始めた。高い場所が苦手ではなかった陽康も、周囲を包む暗闇と自重を受けてギシギシと軋み続ける下板に恐怖心を煽られた。足元からは荒々しい水流の音が聞こえてくる。その音から察するに、橋の下の川はかなりの急流だろう。

 陽康は少しずつ慎重に歩いた。広末の懐中電灯の光は陽康の進む速度に合わせてピッタリと付いてきている。

 もう半分は来ただろう。これなら渡りきれるかもしれない。陽康の心にも次第に余裕が生まれ始めていた。ただ、広末自身が渡るときはどうするのだろう? 慣れているから大丈夫なのだろうか…そんなことを考えながら歩いると、陽康の足元を照らしていた光が前触れもなく突然消えた。

「す、すいませーん。すいませーん。灯りが消えちゃいましたけど…どうしたんですか?」

 陽康は渡ってきた方向を振り返り、広末に向かって何度も声を張り上げたが反応がない。広末はこんなタイミングで小便でもしているのだろうか。

 陽康は仕方がないと思い、左右の手で掴んでいるロープを握り直し、すり足で少しずつ前に進み始めた。「焦らず慎重に…」と自分に言い聞かせながら歩いていく。

 ふと陽康は、広末が持っていた拳銃のことを思い出した。彼らは警察ではないはずだ。どう考えてもおかしい。普通じゃない。

 突然、陽康の右手が軽くなった。今まであったはずのロープの張りがない…と感じた次の瞬間、彼の体はバランスを失って漆黒の闇の中に放り出された。

 オレは落ちている。学校の屋上から落ちたときと同じだ。また、落ちている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る