第6話「初夏」

■2023年7月22日 19:30 西新宿


 街灯が灯り出した初夏の新宿中央公園は不自然な喧騒に包まれていた。公園の各所で大勢のニシユルファンが追悼の儀式を続けており、遊歩道を歩いていた陽康と冬美の耳にも男たちの野太い声で叫ばれるMIXやコールが聞こえていた。

「あっちには行かなかったんですね」

「うん…何だかね」

「怪我の具合、どうですか?」

 陽康はギブスから出た指を器用に動かし、柄にもなく親指を立てて見せた。

「大怪我でなくて本当に良かったです」

 陽康は、右手の包帯の上で光るブレスレットについて、冬美が何か聞いてくるのではないかと身構えたが、冬美は別の方向から話を切り出してきた。

「藤本部長がね、南野さんはNIFに来るんじゃないかって。だから探しにきちゃいました」


 陽康は冬美のことを、中学生っぽさが抜けない「ちんちくりん女子」の一人としてしか見ていなかった。背格好は150cmあるかないか、目は奥二重、鼻も口も控えめで作りが小さく、どちらかと言えばのっぺりとした顔立ち、というのが陽康の冬美に対する印象だった。

 ただ、今日の冬美は少し違っていた。ポイントを押さえたさり気ないメイク、透けるような肌が覗くノースリーブのワンピース、学校ではつけていないはずの甘く香る香水。陽康はそんな冬美を見て「なかなか仕上がっているな」と、一皮剥けたアイドルを批評するときにのみ発揮されるオタク的な審美眼を向けずにはいられなかった。同時に、今までの冬美には感じたことのなかった「女っ気」のようなものに当てられてしまい、もともと近くもなかった冬美との距離がさらに遠くなっていく気もしていた。


「ライブハウスだけで12個もあるし、もしかしたら外でファンの人たちと騒いでるかもしれないし、そもそもLINEしても全然既読にならないし…先輩を見つけるの結構大変でしたよ。でも、こうしてイベント初日に会えたから良かったです」

 陽康の薄い反応を気にするふうもなく、冬美は話を続けた。

「さっきのユルノアナって、ニシユルがデビュー当時に出演してたライブハウスですよね? いいなぁーニシユルをあんなに近くで観られたなんて。私、『青年期の魔物』からのニワカだから、ニシユルのライブハウス時代を知らないんです。私もマッキーと写真撮ったり、握手したり、いろいろお話してみたかったです」


 冬美はニシユルの中でも「マッキー」の愛称で呼ばれていた渡辺蒔那を推していた。渡辺蒔那はグループメンバー五人の中でもとくに話術に長けており、ライブのMCでも中心的な役割を果たしていた。彼女一人でバラエティ番組に出演することも多く、お笑い芸人顔負けのトークスキルの高さから「グループ内でもっともテレビタレント向きのメンバーだ」と評価されていた。また、細身で身長165cm強とモデル並みのスタイルの持ち主でもあり、女性ファッション誌の仕事も数多くこなしていた。


「南野さんは昔からセラたん推しだったんですか?」

「実は…最初はノリちゃんから入ったんだ」


「セラたん」の愛称で知られていた菊池セイラは、幼少期から有名な養成所で歌とダンスのレッスンを受けてきたエリートアイドルだった。16歳の高校1年生、グループ最年少ながらも目鼻立ちのくっきりした美人顔であり、ルックスとパフォーマンスの両面でグループを支える「ニシユルのエース」として認知されていた。

 一方、 「ノリちゃん」の愛称で親しまれていた酒井紀香は、ニシユルの最年長メンバーであり、グループのリーダーだった。もっとも最年長とはいえ、19歳になったばかりで他メンバーとの年齢差はさほどなかった。身長は140cm台、小学生だと言われても違和感がないほどの童顔であり、グループ内でもっとも幼い印象を抱かせるルックスの持ち主だった。舌っ足らずのアニメ声も特徴的であったため、ファンからは「永遠の中学生」あるいは 「合法ロリ」と呼ばれることも少なくなかった。


「意外です!? 推し変ってやつですか? ずーっとセラたん一筋かと思ってました。セラたん、歌も踊りも凄いですよね。まさにニシユル不動のエース!」

 冬美はキラキラした眼差しで陽康の顔を覗き込んできた。陽康はドキッとしたが、悟られまいと平静を装った。

「別に…エースだから好きになった訳じゃないぞ」

「そうなんですか!? じゃあ何だろう? やっぱりキレイだからですかね? 女優さんみたいなお顔してるし」

「それもちょっと違うかな」

「じゃあ何でなんですか?」

 陽康は、右手首のブレスレットをチラリと見遣り、すぐに目をそらした。

「今度、気が向いた時にでも話すよ」

 冬美は少々がっかりした様子を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。

「わかりました。今度、教えてくださいね。楽しみだなあ」 

 陽康は、あっさり引き下がった冬美の対応が有り難かった。思っていた以上に大人な対応ができる女の子なのかもしれない。

「あーあ。なんで私はもっと早くニシユルと出会わなかったんだろう。南野先輩や藤本部長が羨ましいです。お二人はニシユルのみんなと握手したり、お話しできたりしたんですよね。私が好きになったときには握手会もやらなくなってたし、ライブハウスに出なくなっちゃったから…ちょっと羨ましいなぁって、いつも思ってました」

「…みんな、いなくなっちゃったけどね」

 陽康が寂しそうに呟くと、冬美は立ち止まり、真顔になって言った。

「マイマイは、まだ生きてます」


 ニシユルのメンバーうち、酒井紀香、渡辺蒔那、菊池セイラ、森高美穂の四人については、発見された6月8日のうちに死亡が確認され、葬儀もとうに終わっていた。ただ、唯一の中途加入メンバーである宝田舞は一命を取り止めていた。現在は都内の病院に入院していると報道されていたが、事件から1カ月半がたった今でも彼女の意識が戻ったという話は聞かない。SNSやインターネット掲示板では、今後も彼女の意識が戻る見込みはなく、生命維持装置につながれたまま一生を送るのではないか、といった無責任な憶測も散見された。


「南野先輩は、ニシユルのみんなが本当に自殺したと思っていますか」

 陽康は、冬美の唐突な質問に頭が追いつかなかった。冬美は陽康の返答を待たずに続けた。

「私、自殺じゃないと思うんです。やっぱり、誰かに殺されたんじゃないかって…」


 警察は、ニシユルの五人は毒物の入ったスポーツドリンクを飲んで自殺を図ったと発表していた。彼女たちの遺書は見つからなかったが、四人の遺体と瀕死の宝田舞が発見される数時間前、YouTubeに彼女たち自身がアップしたとされる動画が公開されていた。その動画の内容は、確かに彼女たちが死に向かう決意を仄めかす内容であるようにも見えた。そして、警察もその動画の最後で菊池セイラが口にした「歴史に名を刻むために、西新宿ゆるふわ組は伝説になります」という言葉を、集団自殺の動機であると捉えていた。

 一方で、テレビのワイドショーや週刊誌は「彼女たちは自殺したのではなく、何者かに毒を盛られて殺されたのではないか」と連日のように騒ぎ立てていた。

 また、SNSやネットの掲示板にも様々な陰謀論が飛び交っていた。10代の女子が集団で自殺を図る動機として、例の動画の内容だけでは不自然かつ不可解であったことは確かだ。アイドルとして絶頂期を迎えつつあった西新宿ゆるふわ組の突然の悲劇と四人の死の真相は、この1カ月半の間、政治・経済・社会・スポーツに関するあらゆるニュースを差し置いて国民的な関心事となっており、誰もが思い思いの憶測を語り続けていた。


「で、南野先輩は、どう思います?」

「…え」

「ニシユルは本当に自殺したのか、そうじゃないのか、ってことです」

 冬美の言っていることに対し、ようやく頭が追いついてきた陽康は、声を落として応えた。

「…殺されてなんかいない」

「でも、おかしいです。私もあの動画見ましたけど、普通に考えて “伝説になります” なんて理由で “よし、みんなで死んじゃお” ってならないと思うんです。前日にテレビ番組の収録もしてたし、7月からはドームツアーも始まるはずだったのに…」


 冬美の言葉は陽康をイライラさせた。

 陽康は6月8日の一報を聞いて以降、しばらくは食事も喉を通らなかった。当然、学校の授業など身に入るはずもなく、遂には「自分も後を追うしかない」という精神状況に陥り、三号館の屋上に登って事故に見せかけた自殺を図ろうとまでした。

 ただ、陽康は結局死ねなかった。

 教員が用意した競技用マットの上に落下し、右手首骨折の軽傷で助かってしまった。すぐに救急車で病院に運ばれたが、右手首の手術が終わった翌々日には家に帰された。父親はもとより、家を訪ねてきた警察官や教師、メンタルカウンセラーに対しては「屋上で踊っていたら足を滑らせただけで死ぬつもりなんかなかった」と嘘をついた。死のうと思った理由を追求されることが死ぬほど嫌だったからだ。

 その後、陽康は学校に行かず、サイトから削除される前にダウンロードしていたニシユルの最後の動画を何度も繰り返し眺めていた。

 そして陽康は、自分の推しである菊池セイラの言葉を信じることに決めた。

 彼女は「伝説になります」と宣言し、本当に伝説になったのだ。菊池セイラの言葉を信じると決めて以降、陽康の心身は少しずつ安定し始めていた。陽康が冬美の言葉に不快感を覚えたのは、セイラの言葉への信心が揺らいでしまうのが怖かったからだった。


「一昨日、宮前先生が部室に来て藤本部長と話してたんです。アイドル研究部を残しておいたら生徒に良くない影響を与えるって。だから…二学期になったらアイドル研究部を廃部にするかもしれないって。でも、ニシユルが自殺したのでないことがわかれば廃部にされなくて済むかもしれないって」

 陽康は苛立ちを隠さなかった。

「自殺じゃなくて他殺ならいいって…酷い話だよね」

 冬美は俯きながら呟いた。

「…ごめんなさい」


 遠くでは相も変わらずニシユルファンの声が響き続けている。陽康と冬美は西新宿駅の前で別れた。

 陽康が駅のホームでスマホを立ち上げると「アイドル研究部の部員へ」という件名のメールが届いていた。差出人のメールアドレスは見慣れない怪しいものだった。悪質なスパムに違いない。アイドル研究部に入るときに提出したメアドが流出したのだろう。陽康は部長の美喜雄に文句を言いたかった。


 メールの本文には、こう記されていた。

『ニシユルの生き残りは武蔵ノ宮病院の709号室にいる。彼女は7月30日に殺される。その前に病院の外に連れ出してほしい。この件は大人や警察には話すな。もし話せば、彼女をさらなる危険に晒すことになるだろう。』

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