第九話 廃村急襲

 「どうしたんだよ、テレサ。突然俺とグレアさんに話したい事があるとか言い出して」

 アトリーへの疑惑が抱かれ始めたのは、三日程前のテレサの発言からだった。彼は用事がある、と言ってエスとグレアをミランダ中央にある建物の適当な空き部屋に呼んだのだ。

 実際にエスとグレアがそこに行ってみると、待っていたのは奥歯に何か物が挟まった様な神妙な面持ちをしていたテレサだった。エスが口を開けてからも彼はしばらくの間俯き、沈んだ表情を見せていたが三十秒程してやっと少しずつ喋り始めた。

 「確証がある訳では無いんだけど……オルトから来た残りのスパイを見つけたと思う」

 彼の発言を聞きエスの顔がさっと真剣な物に変わった。僅かに口をすぼめると、

 「……残りのスパイ?」

 「アトリーが……スパイじゃないかって思っているんだ」

 エスの耳に入った言葉は初め、脳が意味を理解する事を拒んだ。

 そんな訳が無い。アトリーが……スパイだなんて。

 「はあ……!?何でだよ!?アイツは確かに無口な奴だけど……俺達を裏切る様な奴じゃ無いだろ!?」と気付いた時にはエスは半分怒鳴る様な口調で口を開けていた。

 相も変わらずテレサは目を伏せたままだ。エスのすぐ横にいるグレアも顎に手を置いたまま、何も喋らずテレサと似た様な表情を浮かべている。

 「僕だって信じたくないよ……」顔を下に向けたまま目線を窓の方に投げかけると、「でも……もう、そうとしか……」

 エスはいつまでも曖昧な事しか言わない彼に堪忍袋の緒が切れた様だ。苛立たし気に頭を掻き毟り、

 「ああ、もう、はっきりしねえな。何でそう思うんだよ」

 「……最初は些細な違和感だった。要塞攻略が終わった後、僕が岩に押し潰された誰かの死体を見つめている彼女に近寄った時に……微かに、タイタンとイフリートの残穢を彼女から感じたんだ。僕は召喚士じゃないからちゃんと感じ取れた訳じゃ無いんだけどね……分かってると思うけどそれだけで彼女をスパイだと思ってる訳じゃ無い。次に引っ掛かったのが、彼女の発言だった」恐る恐ると言った感じでエスと目を合わせると、「ねえ、エス。僕達がメシアを見舞いに行った時、彼女が僕に何て質問したか覚えてる?」

 「確か……どうしてバハムートが要塞を破壊した時に、テレサは俺の元に駆け付けに来たのか、だったよな。それがどうかしたのか?」

 「どうしてアトリーは僕がエスの元に駆け付けに言った事を知っていたの?彼女と僕は殆ど同時に持ち場を離れたから、彼女はそんな事を知っているはずがないのに……勿論、誰かから聞いたって事も考えたけど、グレアさんは情報の共有を禁止する旨の通達をしていたし、どこかにスパイがいると分かっているこの状況でそんなに軽々しく教える人なんているはずが無いんだよ。実際に僕は彼女に何が起きたのかを語っていないし……」

 テレサはもう一度エスと目を合わせた。今度は先程と違いはっきりと彼を見つめている。

 「エスは、彼女にその事について教えたの?」

 エスは彼の意図を汲み取れずに茫然と彼を見つめ返した。

 彼女がそれを知っていた所で、何だと言うのだろうか――。

 「教えてない……」

 そう言ったと同時にやっと彼が意味する事が分かった。僅かに息を詰まらせ目を開くと、

 「なあ……お前、もしかして、アトリーはタイタンを召喚していたからそいつを介してお前の動向を知ったって言いたいのか?そんなの俺とお前以外の誰かから聞いただけなんじゃないのか?」

 「うん、勿論その可能性もあるよ。でも……」テレサは再び目線を下に落とすと、「エスはさ、アトリーの固有魔法が何か知ってるよね」

 「……土魔法」

 「タイタンの固有魔法も知ってるよね」

 「なあ、テレサ、お前――」

 「テレサの言いたい事は分かった」

 エスの言葉を遮ったのはグレアだった。その声にはかなりの厚みがあった為、最初エスとテレサはそれがグレアの声だと分からなかった。二人が彼女に目を向けると、彼女は珍しく真剣な顔付きをしている。テレサの言葉に乗った――と言う事なのだろう。

 「そしてアトリーがスパイの可能性がある事も大いに理解した。彼女がオルトから来たスパイなのかを判断する為、彼女に関する調査とカマかけが必要そうだね。後は私が何とかする。兎に角君たちは、アトリーにこの事を悟られない様に振舞ってくれ。そして何か怪しい動きを見せれば、すぐに報告するように」

 「グレアさんまで……!」とエスは焦った口調で言った。

 「大丈夫だよ、エス。アトリーがスパイじゃなかったら私達全員で謝ろう。そしたらまた元の関係に戻れるさ」

 グレアは彼に笑顔を投げかけそう言ったが、未だに彼の表情は曇ったままだ。


 太陽が地平線の向こう側に落ちかけ、夕暮れ。周辺を徐々に影が覆い始め、ミランダの窓に星が灯る。特段明るい光を放っているのはミランダ中心の建物・ハリス。長期間に及び人間による手入れがなされていなかったにも関わらず問題なく使えているのは、当時の建築家達による涙ぐましい努力と閃きによるものだ。

 そんな建物がたった今――。

 「来なよ……タイタン!!」

 たった今、崩壊を迎えた。

 元々上向きに湾曲していたハリスの天井。それが更に上向きの圧力がかかり、耐えきれなくなり至る所で亀裂が生まれ始めたのだ。まるで北極の海上にて激しくぶつかり合う氷の様に天井の木材が上向きに折れ、あちらこちらからミシミシと木々の軋む音が。それでも下からの力は止まる事無く、遂に一か所が耐えきれなくなり木屑と共に木片となり爆発四散した。そこから顔を覗かせたのは、召喚獣・タイタンの頭部。その頭を中心として天井の他の部分も耐えきれず、ドミノ倒しの様にしてその建物は崩れ始めた。

 天井だけでなく、窓、柱、人間――彼らが悲鳴と共に地面に向かって落下を始め、タイタンはそんな落下物からアトリーを守る為自らの両手で彼女を覆ってしまった。アトリーが最後、タイタンの指と指の隙間から見えたのはテレサの表情だった。大きく目を見開き、下唇を強く噛み締めている。目の下は大きく腫れており、もしかしたら泣き出しそうになっているのかもしれない。

 何故彼はあの様な表情をしているのだろうか――アトリーがその事を理解する前に、彼女の身は完全な暗闇に囚われてしまった。タイタンの手の中は案外ひんやりとしており、一秒前まで聞こえていた騒音はどこかに置いてけぼりになった様だ。


 タイタンはアトリーの安全を確保すると、その場にて起立を始めた。背筋を伸ばすと腰を上げ、膝を真っすぐにする。それと同時にハリスの崩壊は更に広がり、大地震の様な振動が周辺に伝播した。タイタンが完全に立つとその腰辺りにハリスの天井だった部分が来ており、何となくだかハリスが小さく見えてしまった。

 タイタンが見据えるはミランダの北部、その地平線。その召喚獣は足元のハリスと他の建物をまるで蟻を潰すかの様にして歩き始めた。その胸元ではアトリーを大切そうに抱えており、タイタンが走ってその足が地面に接地する度に、周辺には思わず飛び立ってしまいそうになる程の振動と衝撃音が。

 そんな災害もタイタンが遠ざかるにつれて徐々に小さくなっていった。少しずつ小さくなっていくタイタンの背中を見て多くの者が助かったと安堵したが、たった一人、この状況を許さない者がその場にいた。

 「逃がすと思ってんのかァ!!?」

 レイだ。彼は正しく鬼神の様な表情をその顔に浮かべると、大きく地面を蹴った。レイの近くにあった窓は割れ、瓦礫は遥か彼方に飛ばされ、彼の残像が所々に。タイタンのそれと張り合う程の衝撃を周辺にばら撒きながら、顔面に打ち付ける風圧を物ともせず殺意一心で音速に近い速度で追いかける。

 大丈夫、タイタンは歩幅が大きいが動きは緩慢としている。大した事は無い。このままいけば十秒で追いつく事が可能だ。そしたらタイタンを四肢を捥ぎ、完膚なきまでにズタボロにして――。

 「待て、追いかけるな!」

 そうレイに向かって叫んだのはグレア。何故かその声は焦燥を孕んでおり、彼女の意図も良く分からない。何故俺を止めようとする――タイタンに向いていた憤怒が若干グレアにも分かれてしまった事を意識しながら、レイは彼女の方へと振り向いた。

 「邪魔ぁすんなよ!俺は今――」

 「レイ……上を見るんだ」

 グレアが半ば茫然とした様な口調でそう言った時、レイはとある違和感に気が付いた。

 誰も、タイタンの事など見ていなかったのだ。グレアも、エスも、フユも。レイを除く全マーナ兵が見つめているのは――上空。ただその一点のみ。まるで皆が魂を抜かれたかの様にして茫然と、口をポカンと半開きにして。

 少しずつレイの頭の血が下がっていき、ふと耳に入ってきたのは轟々とした低音。獣の威嚇音の様な唸り、曲がった音。そして先程から周辺の地面に映った巨大な影にもレイは気付いていた。先端が細く、胴体が太い『何か』の影。そのシルエットはまるで魚の様でもあり、弾丸の様でもある。言うまでも無くその影の元凶は皆が見ている上空にあるのだろう。レイも覚悟を決め、空を見上げた。そこには――。

 「いやはやまさか本当に……」

 膨らんだ真っ白な船体と、その表面で夕日を反射する銀色の帆布。側面で回転する小さなプロペラに、その先端は風を切り裂かんと尖った設計になっている。全長百メートルを超えた、空を泳ぐように設計されたその機械。

 その名は、『飛行船』。

 「空から来るとは……」


 空を漂う二一の飛行船。その陣形は先陣を切る飛行船が一つに、その後方には他の飛行船が五段の扇状に広がりながら続いている。一ミリの狂いも無く先陣の後を続くその飛行船の群れからは、否が応でもオルト軍の高い技術力を見せつけられている様であった。その中の先頭を遊泳する飛行船、その側面に備え付けられた扉。その扉が空気の抜ける音と共に上下に開いたその瞬間、そこから現れた男はその場の誰もが会いたくなかった人物であった。

 外から空気が入り込み、ゆらりと靡きながら広がる彼の長い金髪。彼の頭部を除く全身を覆うは、紫色の帯が入った黒を基調とした甲冑。その後ろに備え付けられた同様の色使いをした彼の身長並みの大剣。その紫の両目には、これから殴殺する者々の姿が反射している。

 「久しぶりだなぁ、レイ」

 そう言って引き裂けんばかりに口の両端を上げた彼の声は、途方もない透明感を持ちながらもどこか神聖さも兼ね備えている。レイはそんな姿の彼を瞳に入れた瞬間、心臓の奥底がドクンと持ち上がった。舌を打ち、何らかの形を形成してこの世に生まれ落ちん程の殺意をその声音に込めながら、

 「アーク……!!」

 マーナとオルトの異能が幾年ぶりの邂逅を果たしたその瞬間、地上と飛行船の間の大気に閃光が走った。バチバチと帯電したかの様な音を響かせ、水溜まりには凍り付いた鏡面の様な青白い輝きが乱反射する。天空に斑に散らばるその光の玉はまるで白龍の鱗が太陽を跳ね返しているかの様であり、最終的にその光が収まるまで三十秒程掛かった。それでもマーナ兵の瞳の奥には強い残照が残され、そんな彼らを待つ事無く別の物が襲い掛かった。

 空から降り注ぐ氷柱の雨。閃光の中から現れた氷結の霰。無数の雹は地面に落下するとまるで隕石の様に地面を抉り取り、その奥底にめり込んでいく。

 もしこれが私達の身に当たったら――その氷柱の雨を見上げてその危険性を感じ取ったグレアは急いで声を張り上げ、

 「全員何かの建物の下に逃げろ!」

 マーナ兵達はその指示に従い、半ば転げ落ちる様な態勢で何とかハリスの瓦礫の下に身を隠す事が出来た。しかし氷柱の雨が降り注いでいる間にオルト兵達は着陸し、ミランダの包囲を完了した様子だ。

 建物の殆どはタイタンの召喚時に破壊されたが、その瓦礫は大勢の人間が身を隠すのには十分であった。そんな瓦礫の隙間からグレアは顔を出して周囲を見渡すと、オルト兵達は早くも展開を完了しており、ネストの中で規則正しく並び銃口をこちら側に向けている。まだミランダまで攻め込んでくる雰囲気はなく、アークの命令を待っているのだろう。

 グレアは渋い顔を見せると、

 「さて……どうしようかな」

 そんな様子の彼女の元にフェルトが近づいて来た。彼女は南の方を指差し、

 「見た所、戦場を指揮するアークは北にいる。それなら南側に穴をあけてそこから一斉に抜け出すのが一番良いんじゃないか?幸い召喚士のエスがいるから魔獣の襲撃は考えなくて良いが……アーネールの救出に時間がかかるのだけがネックだな」

 そんな事を言ったが、グレアはキョトンとした顔付きをしている。そのまま当然ではないか、と言いたげな口調で、

 「ああ、いや、逃げはしないよ。私達も攻めてアークの首を狙う。もしここでアークを倒す事が出来たら彼の正当な後継者を決めていないオルト国は一気に混沌に包まれるだろうからね」

 フェルトはそんな言葉を聞くと言葉を失った。しかしすぐに彼女の胸倉を掴み上げ、

 「馬鹿野郎が!そんな事出来る訳――」

 「あの……提案があります」

 そう言って二人の元に屈みながら近づいて来たのは、テレサであった。


 場面は変わりミランダの北側。そこにはなだらかな丘が面しており、その天辺に降り立ったのはオルトの王・アーク。激しく身を焼きながら赫色に光る夕焼けに、その夕日によって作り出された細長い影。オルト兵も、マーナ兵も、アークも、周りの木々すらも、皆が平等に地面に影を落としている。

 アークの隣に『とある人物』が歩いて来たのはその時だった。水色模様のコートのポケットに手を入れ、見つめるは瓦礫と化した廃村。フユの様な白色の髪の毛を横に流し、真っ黒な瞳は夕焼けを反射している。アークはそんな彼に目を移すと、

 「フブキ、良くやってくれたね。ありがとう。君に氷の召喚獣・『シヴァ』を任せて正解だったよ」

 続けざまにアークの正面に現れたのはタイタン。その召喚獣が歩を進める度に周辺に地鳴りをもたらし、地面を真っ新にしている。そしてタイタンがアークの目の前で右手を差し出すと、そこから出てきたのはアトリー。彼女は地面に降り立つと同時に片手と膝を付き、彼に頭を垂れた。

 「君もお疲れ様、アトリー」

 「オーディンとバハムートを入手するのに失敗しました……申し訳ありません」

 アークはフッと微笑み、

 「いや、良い。君のお陰でこの様な村の存在と攻め込むべき日時を知る事が出来たのだからな。残りは私達に任しておけ」

 アークが今一度廃村を見渡すと、マーナ兵達は山の様に積み重なった瓦礫に身を隠し、何か作戦を共有している様子であった。隣の者から作戦を聞くと、それを更に隣の者へ。

 向こうも何かを隠し持っている。これ以上彼らに時間を与えても無駄だろう。

 そう判断したアークはわざとらしくオホンと咳き込むと、喉がはち切れそうになる程の大声で、

 「全兵に次ぐ。私達の目標は召喚獣・バハムート及び召喚獣・オーディンの回収。この戦いでその二体の召喚獣を入手できれば、私達オルトの民の勝利は盤石な物となる」

 彼が演説をしている内に、マーナ兵の方も作戦を共有し切ったのだろう。皆がグレアの方を見つめている。

 作戦の成功率は低いと言わざるを得ないだろう。全ては『彼女』の双肩に掛かっており、もし怪我をしたり、戦闘不能になればマーナは一巻の終わりだ。それでも賭けるだけの価値がある。

 自らを鼓舞したグレアはアークに負けずとも劣らない様な声量で声を張り上げ、

 「皆に次ぐ。我々の目標はアーネールの死守及びオルト国皇帝・アークの殺害。この二つの目標を達成できた暁には、我々マーナの民はこの戦争の勝利に大きく近づく」

 皆を平等に照らす赫の夕日に、彼らを静かに見守るネストの木々。数多の戦士の思惑が重なる場所は、廃村・ミランダ。

 「銘々、これは歴史を変える出来事となる事を心に刻み戦闘をするように。では――」

 「つまり、この戦いで長年に渡る戦争に決着が付くと言っても過言では無い。では――」

 マーナの長とオルトの王の声が鳴り響いたのは同時であった。

 「「戦闘開始!」」

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