第二話 集い

 ファランジュから出発し、ネストの外に出るまで丸一日を要した。木々の隙間、木陰の中、そこから感じ取る魔獣達の視線。二人の身は森を出るまでその気配にさらされ続けていたが、結局実際に襲い掛かってきた魔獣は一匹としていなかった。

 やはり村を出てはならないと言う先人達の言い伝えは杞憂に過ぎなかったのだろう。そんな事を考えていたその時、永遠に続くかと思われた木々の景色が遂に終わりを告げた。

 最初に彼らを迎え入れたのは、眩しすぎる程の真っ白な光。段々と目が慣れてきて、その次に目に映り込んだのは――広大な草原。地平線の向こうまで続いており、草や低木は風に向かって楽しそうに靡いている。よく見ると、遠くには見た事も無い建造物群。皆、似た様な赤味がかった煉瓦で構成されており、屋根はこれまた一様的な真っ黒な煉瓦タイル。恐らくアレがギャザリア、と呼ばれている街なのだろう。

 エスにとっては九年ぶりとなる森の外。メシアにとっては初めてが広がり続けている真っ新な世界。


 二人はそのままギャザリアを訪れた。何か検問や出入り制限がある訳でもなかったので楽に入る事が出来た。

 ギャザリアはネストのすぐ近くにある。なのでその街はネストの木々を伐採、販売する事で金銭を稼いでいる。また北部にあるマーナ軍事基地はマーナ兵を募集、指導すると共に街の治安維持に一役買っている。その為町全体が比較的裕福であり、治安も良い事がこの街の特徴と言えるだろう。

 ギャザリアを南側から入ると先ず出迎えてくれるのが、この町一番の大通り。その左右に展開しているのは色取り取りの出店達。フルーツ屋、洋服屋、雑貨屋、その他諸々。人通りが非常に激しく、行き行く人々でごった返している。そこら中から聞こえてくる人々の話し声は混ざり合い、意味を成さない無数の記号として二人の耳に渦巻きながら入ってきている。その為エスとメシアは互いに身を寄せ合いながら移動する事にした。

 「そう言えば俺達って外の世界の通貨を一つも持っていなかったな……それも何とかしないと」

 メシアは何も返さず、適当に近くにあったフルーツ屋の前で立ち止まった。そこでは蜜柑や無花果が籠の中で所狭しと詰め込まれている。メシアはその様な籠の奥で鎮座している店主らしき人物に軽く会釈をしてしゃがみ込むと、籠の中から林檎を手に取った。そして林檎に目線を固定したまま僅かに口をすぼめると、

 「ねえ、エス、私、ファランジュから逃げた時に『戦おう』って言ったじゃん。でもそれは飽くまでも話し合いをする為だから……今でも、殺す為に戦うのは間違っていると思ってる」

 エスは彼女の言葉を聞き分かりやすく顔をしかめると、

 「え~……やっと俺の事理解してくれたと――」

 ドン、とその瞬間エスとぶつかったのは、鼠色のフードを深く被った女性。彼女がふらついた足取りで近寄ってきて、エスと衝突したのだ。そのままその女性が姿勢を崩すとフードが取れてしまった。その中から現れたのは、大きな二つの眼と鼻筋がスッと通った端正な顔立ち。真っ黒な瞳の下には隈が溜め込まれており、髪の毛は腰に届きそうな程に長いが、一目見ても印象に残ってしまいそうな程に強くカールが掛かっている。

 「あ……ごめん、周りが見えてなかった……大丈夫か?」

 エスはそう言って彼女に手を差し伸べた。しかし、その女性の方は何もしようとしない。出された手を取ろうとも、その場に立ち上がろうとする気配すらも。彼女はただ目を大きく見開き、口をぽかんと開いている。その口の両端は少し吊り上がっており、何だか笑っている様にも見える。

 「……?あの……」

 エスがたじろいだ所でやっと、その女性はエスにぶつかった時に抜けてしまった魂が戻ってきたかの様にして表情を戻した。突如立ち上がった思うと、

 「ごめんなさい、大丈夫です」

 そう言い残してエスと顔を合わせようともせず、そそくさとその場を去った。何か都合が悪い事でもあったのだろうか、エスが何かを言う前に、彼女の後姿は人混みの中へと溶けて消えた。


 軍事基地へ向かい受付の者に兵になりたい旨を伝えると、マーナ兵申請用紙が配布された。その申請用紙には出生地を書く欄があったが、二人はそこにギャザリアと書く事にした。それを提出した所、マーナ兵の選抜試験が開始するのは三か月後であると伝えられた。どうやら今は選抜の時期ではなかった様だ。その為、その後二人は試験が始まるまでの間寝泊り出来る宿と食い繋げるだけの職を見つけ、ギャザリアで選抜開始時期までの期間を過ごした。その間に森の外について様々な事を知ることが出来た。内容は大きく分けて二つ、世界情勢と森の外にとってのファランジュについて。

 先ず世界情勢に関して。現在、この世界では森の中の絵本の内容の通りマーナの民とオルトの民が争いを繰り広げており、この戦争は数百年に及んでいると言われているが、その発端は曖昧である事。今日においてはオルト軍が非常に優勢である事。具体的に言うと、現在発見されている七体の召喚獣の内、五体をオルト国が所有している事。また、ネストの中にある要塞・『アトラス要塞』が現在オルトの手に堕ちている為、ここ数年の間は殆ど一方的にマーナ国が戦争の被害を受けている事。

 次に、ファランジュについて。昨日に起こったファランジュ侵攻の際、オルト兵はファランジュ以外の地域を攻めていない事。そもそも森の外に生きる者達は皆ファランジュと言う村の存在について知らず、その村がオルトの手により消失した事も知らないと言う事。化物が巣食う森の奥底にある秘匿の村・ファランジュ。オルト軍によるファランジュ侵攻の際にその村から抜け出せた者は、エスとメシアを除いてこの世に存在していない事。


 月日は流れ、マーナ兵選抜の時期が訪れた。

 集合場所とされたのは軍事基地内の一角。見渡す限りの地平線には一様の土が敷かれており、今、その上にはステージが自らの姿を誇らし気に見せつけている。石造りの踊り場と、その左右で舞台裏を作り出す赤色のカーテンが揺らめいているステージ。その手前にはマーナ兵志願者と思わしき者達がずらりと並んでおり、その多くが見た目からして年端もいっていない。その中に混じるエスとメシアの瞳に映っているのは、ステージ中央に佇む長い茶髪の女性。彼女はその髪を後ろで結い、顔付きはまるで敵兵を見ている時のそれだ。睨みを利かせ、口をきつく左右に縛っている。

 「皆さん、こんにちは。私の名前は『グレア』。現マーナ兵隊長を務めている者だ」

 グレアがその顔付きからは想像も出来ない程に静かな、落ち着いた声でそう言うと、皆の視線が糸を引いた様にして再び彼女に集まった。周囲を見渡してその事を確認すると、

 「明日から一週間、皆さんには選抜試験を受けてもらう。その試験に合格した者達はその後、三年間の教育・実習を経て、晴れてマーナ兵となる事が出来る。だがその試験は過酷を極める物で、辞退する者、更には命を落とす者もいるかもしれない」半ば怒鳴りつける様な声音で、「だが私達はその様な弱虫を求めてなどいない!精々お前達の本気を見せてみろ!そして見事選抜を乗り越え、実習を経て一人前のマーナ兵と成った君達と共に戦場に立つ事を私達は望む!」ここで一呼吸置き、「以上で私からの話は終わりだ」


 グレアの演説後に選抜志願者達が移動を促された先は、そのグラウンド横にあった建物。白とベージュによる縞模様のレンガ造り、薄青色の三角屋根と所々の小さな窓が特徴的だ。木製で長方形の扉がキイッと歪んだ音と共に開き内部が露わになると、そこには大量の椅子と机がずらりと。高い天井にはランタンが吊るされており、外からの光は少ないが内部は意外と明るい。それぞれの机が互いにある程度の距離を取っており、一つの机に付きその左右に椅子が三つずつ、合計六つ並べられている。その机の上には素麺に羊肉、デザートの葡萄までずらりと。全て森の中では見た事の無い物だ。成程、今から食事でもするのだろう。

 エスが座るように指定されたのは端の席だった。エスが座ると正面にはメシアが。そこが彼女の指定席だったのだろう。その机の他の四席も埋まると、そこには若干の気まずい雰囲気が流れた。エスもメシアも初対面の人と話すのに苦手意識は無いが、それでも誰かが喋り始めるのを待っている様子であった。

 自分から話題を振ろう。エスがそう思った時にやってきた人物は、その場の皆が見覚えのある人物であった。

 「やあ皆!今日はじゃんじゃん食べちゃってね!やっぱり食事は皆で取らないと!」

 先程エス達の前で演説を行っていたマーナ兵の長、グレアだ。だが彼女の表情、口調は先程までのそれとは明らかに異なっていた。まるで子供の様な屈託の無い笑顔に、怒鳴り声とは対極に位置していそうな明るい声色。

 演説時のグレアのとは似ても似つかない彼女を見て、しばらくの間その場の皆が彼女が誰かを認識する事が出来なかった程だ。グレアはそんな様子の彼らを見て、

 「……あれ?どうかしちゃった?お腹でも痛いの?」

 「ああ、いや……何だか先程までと雰囲気が違うなと思いまして」

 畏まった口調でそう言ったのはメシアから二つ隣の席に座っている、肩まで伸びた金髪で中性的な男性だった。グレアは彼を見ると納得がいった、と言いたげな大きな口調で、

 「ああ、その事ね」頬を膨らませた不満顔へ表情をころりと変えると、「公の前ではあんな感じなだけだよ。本当はあーゆーのイヤなんだけどね」

 彼女はその机の六人を見渡すと再び口の両端を上げ、自らの胸をドンと叩いた。

 「改めて、私の名前はグレア。マーナ軍の一番偉い人だよ」

 彼女はそう言うと誇らし気にフフンと鼻息を吐いた。

 エスが辺りを見渡してみると、他の机にも上官のマーナ兵がいる。一つの机につき一人の上官――もしかしたらこの人が自分達の試験官なのかもしれない。

 そう考えていたエスをグレアは指差した。

 「じゃあまず君から、名前と志願理由でも言っていこうか」

 エスは突然指名された事に少したじろぎながらも、

 「俺の名前はエスで、志願した理由は……」少し間を置いて左手へ目を移し、「オルトの奴らが二回も俺の住処を奪ってきたんだ。だからその復讐をする為だな」

 エスの右隣にいたのは、パッチリとした目元と、鼻筋がスッと通った端正な顔立ちの女性。腰に届きそうな程に長い髪は海藻の様にうねっている。

 「私の名前はアーネール。志願した理由は……強いて言うなら無くしちゃった物を取り返す為かな」

 「『無くしちゃった物』?なになに、気になるじゃん」とグレア。

 「何でしょうね~」

 普段は深く、落ち着いた声音のアーネール。しかし茶ける時はグレアに負けずとも劣らない子供のそれになるらしい。そんな彼女を見て、エスとメシアが思い浮かべたのは数か月前に大通りで出会ったあの女性。場違いな表情を浮かべた後すぐにその場を去った彼女。

 「お前……あの時にぶつかってきた奴か?」

 「あれぇ~キグウだねえ」

 アーネールは再び茶けた声音でそう言った――余り触れてほしくないのだろうか?まあ、それ程深い理由も無いのだろうが。

 アーネールの隣にいたのは椅子に座っていても分かる程に小柄な女性。白銀の髪をツインテールに纏め、真っ黒な瞳は普段から大きく開かれいる。小さなその体は常に幼さとも愛嬌とも受け取れる気を発している。

 「私の名前はフユで、えっと、志願理由は、ここなら食べ物に困らないと聞いたからです」

 人前に慣れていないのだろうか、フユはもぞもぞと世話しなく全身を動かしながら、机に目線を落としたままそう言った。

 「確かにここに住む人達には毎日三食の食事を提供しているけど……それが理由なの?」とグレア。

 「私の家族、十年位前に色々あってバラバラになっちゃって……それ以降、ずっと優しい人達の家に泊めてもらってるんですけど、皆、ご飯だけは余裕が無かったんです……」

 「ああ……成程ね」

 フユの正面の席にいたのは先程グレアの変わり具合を指摘した中性的な男性。その顔には穏やかな表情が携わっている。

 「僕はテレサです。エス君と同じで僕の住んでいた所がオルトの人達に取られちゃって……それで、何か出来ないかと思って志願しました」

 彼の声音もその顔付きに負けずとも劣らない程度に穏やかで、彼の声だけを聴くと女性と聞き間違える者まで出そうな程だ。よく見ると彼の首元には楕円形で金色のペンダントがぶら下がっており、恐らくそれを開けると写真二枚が番いになって入っているのだろう。

 「お前の故郷もあいつ等に襲われたのか……大変だったよな」と同調の声音を溢しながら言ったのはエス。

 「辛かったけど……でも、それはあの村にいた他の皆も同じ――」

 その瞬間、テレサの体の動きがぴたりと止まった。机に目を落としたまま停止したその体の中で、唯一唇だけが小刻みに震えている。

 「……?テレサ?」

 「いえ、なんでもないです」

 テレサは更に深く目線を落とすとそう言った。

 テレサの左隣にいたのは一目見ただけで分かる程に気怠く、眠たそうな顔付きをしている女性。黄金色でストレートな髪は息を呑む程に美しく、彼女の瞳も髪に似た色付きをしている。

 「私はアトリー。復讐を果たす為にここに来た」

 「えっと……復讐を果たすって事は、君もオルト軍に襲われたりしたの?」

 「言わなければならないのは名前と志願理由のみですよね?そんな事、言いたくないです」

 アトリーが突き放す様な口調でそう言うと、その場にはかなりの気まずい雰囲気が流れた。恐らく他人と共にいるのが嫌なタイプなのだろう。

 彼女の横にいたのはメシア。数多くの人々に会う事が出来て嬉しいのだろうか、いつもよりも口角が上がっている気がする。

 「私、メシア。エスと同じ所に住んでたんだけど、襲われちゃって。それで志願しました」

 「エスと同じ所に住んでいたの?」とアーネール。

 「えっと、エスが九歳の時に私の住んでた場所にやってきたの。その時期から同じ所に住んでたんだけど……そこをオルトの人達に襲われちゃって……」

 「俺、メシアに出会う前の記憶が殆どないんだ」エスは小さく溜め息を付き、「だから俺の中ではメシアとずっと一緒にいる感じだな」

 「エスの住処が二回襲われたって言うのは……九歳より前の時点でオルト軍に一回奪われたって事?」

 「ああ、そう言う事だ。俺は元々両親と姉と暮らしていたと思うんだけど、何年か前にオルトの奴等が攻めてきて……何とか必死に逃げた気がする。その時は確か、誰かが俺の事を……」

 エスが自らの頭を覗き込むと、目に見えないナイフが脳を切り刻み始めた。その痛みを抑えようと頭を抱えたが、唇が震え呼吸も徐々に荒くなっていく。

 「……?あれ、あの時は誰が……俺の……違う……俺が――」

 ぐう、とその時獣の様な低く唸った音を鳴らしたのはフユの腹だった。彼女の飢えを周囲に告げる様にして、三秒程たっぷりと声音を漏らした。

 「あ……ごめんなさい」

 そう言って真っ赤に顔を赤らめたフユを見て、グレアはクスリと笑みを溢すと、

 「他のテーブルの人達は食べ始めてるし、私達も乾杯しようか!」

 彼女がそう言って自らのジョッキに入った酒を一息に飲むと、他の者達も続々と食に走りだした。エスはまず素麺を食べてみると、汁が少し薄すぎる気もするが思いのほか喉越しが良い印象であった。次は羊肉を――牛や豚からは感じない独特の臭みがあるが、まあ食べられる。

 「ああ、言うの忘れてたけど、明日からの試験はこの六人でするよ。試験官は私が直々にしてあげるからね」

 グレアがそう言ったのは、エスがスクランブルエッグに手を付け始めた時だった。

 「試験……具体的には何をするんですか?」

 「それは明日になってからのお楽しみだ」

 彼らは食事を終えると、その後しばらく住む事になる寮へと案内された。

翌日から始まる選抜への緊張からだろうか、その六人の内ぐっすりと眠る事が出来た者は一人もいなかった。


 そして翌日が訪れた。

 エスは起床時間の一時間程前から既に目覚めていたが特に体を起こしたりはせず、すっかりと冴えてしまった脳と共に毛布とベッドの隙間にその体を挟み込んでいた。

 起床時間を知らせる軽快なラッパの音が鳴り響いた時になり、エスはようやく自らの体を動かし始めた。服を着替え、歯を磨いて扉を開けると、丁度左正面の部屋からアトリーが出てきた所だった。彼女もそこまで眠る事が出来なかったのだろうか、はたまた元からの顔付きなのか分からないが眠たそうに見える。

 寮の外に出て他の四人とも合流し、昨日グレアの演説が行われた場所へと移動すると、そこには既に彼女の姿が。

 「おはよ~。今日は早速、皆の身体能力を見させてもらうよ。着いてきて」

 グレアがそう言って歩き始めると、六人とも徐に彼女の後を追い始めた。

 エスとメシアがマーナ兵の選抜が始まるのを待っている間に夏がその実力を最大限に見せつける時期がやってきていたらしい。

 真夏の木々では蝉達が絶え間のない合唱を奏で、夜に浮かぶ星に似た煌めきが小川には流れている。蜃気楼に歪む彼方の上空では太陽の光を遮んと躍起になっている積乱雲が。

 汗にべたつく肌を感じなが歩を進めていると、グレアが重要な事を思い出した様だ。

 「あ、そうだ」彼女は皆の方へ振り返り、「本当は昨日の自己紹介の時に言ってもらうべきだったんだろうけど、皆の固有魔法は何?」

 「氷魔法です」とフユ。

 「……土魔法」とアトリー。

 「僕は炎魔法なんですけど、何だか他の人達のとは違う気がして……」

 自信が無さ気にそう言ったのはテレサ。グレアは顎に手を当てると、

 「あ~……もしかしたら『天賦魔法』なのかも」

 「『天賦魔法』……?それって何ですか?」

 「そうだね、普通の魔法使い、例えばフユみたいな氷の魔法使いなら氷の生成、又生成した氷と周囲にある非魔法の氷の操作が出来る。ただ『天賦魔法』使いは周囲の氷の操作が出来ない。その代わり生成した氷に特別な性質が宿ったり、何らかのデメリットを背負い魔法の威力が滅茶苦茶上がったりするんだ」グレアは振り返りながら自分の胸に手を当て、「かく言う私も天賦魔法使いだよ」

 グレアはそう言うとフフンと自慢げに息を吐いた。そしてエス、アーネール、メシアと目配せをすると、

 「残りの三人は?」

 「俺、そういう事出来ねえんだよな」とエス。

 「私も~」とアーネール。

 「ふ~~ん……まあ、魔法の発現時期は一般的に六歳程度って言われているけど、ある程度の個人差があるから遅いだけかな。君は?」

 グレアがそう言ってメシアへ目線を投げると、彼女は俯いたまま固唾を呑み込んだ。

 触れた魔獣を意のままに操作するという私の『魔法』。それを他者に伝えるべきなのだろうか?森から出たここには魔獣もいない為証明が出来ないし、たとえ言っても皆を混乱させてしまうだけだろう。それなら黙った方が良いのだろうか?

 メシアは重要な選択を迫られた際に他者に決定権を託す癖がある。そしてこの時もそれは同じであった。彼女はエスと目を合わせると、彼は僅かに首を縦に振った――その能力を皆に伝えよう、と言いたいのだろう。

 「私は魔獣の操作が出来ます。私が魔獣に触れると、その魔獣は大人しく私の命令を聞くようになるんです。これも天賦魔法なんでしょうか……?」

 メシアは覚悟を決めそう言ったが、そんな彼女の気も知らないグレアは顔をしかめた不思議そうな顔付きをして、

 「魔獣を……操る?何それ?そんな魔法使い、天賦魔法を含めたとしても私は聞いた事なんて一度も無いよ。面白い事言うね」

 皆も私の事を不思議そうな目で見つめてきている……こうなると分かっていたが、信じてもらえなかった。やはり言うべきではなかったのだろう。メシアは僅かに下唇を噛むと、

 「やっぱり……そうですよね」

 その様な会話をしている間に随分と遠くまで来たらしい。彼らが寝泊まりを始めた寮も今では地平線上でその姿を歪めている。太陽の光は止む事を知らず、蝉達の合唱はサビに入った様子だ。グレアはその口に笑みを含みながら、

 「そろそろ今日の試験の詳細についてでも話していこうかな。今回、皆には『獣機』と戦ってもらう。それを行動不能になるまでダメージを与えるか、その中にいる操縦者を疑似的に殺すが出来たら見事クリアだね。獣機と言うのはネストにいる魔獣の体の一部を機械にくっつけて誕生した機械の事だよ。本当は私達もそんな感じのを作りたいんだけど……作り方が全く分からないんだよね。だからオルトの民だけが獣機を作れる。今から君達が戦うのは彼らから鹵獲した物」

 「聞いた事があります。近年になって獣機が開発され、それのせいで段々とマーナ軍が押され始めているとか」とテレサ。

 グレアは大きく俯くと溜め息交じりに、

 「そうなんだよね~……ちょっと前までは私達が優勢だったのに、最近になってオルト軍が戦略を変え始めてね。まあ、その話は追々やっていくよ」

 グレア達がそんな話をしていると、遂に目的地に着いた様子だ。

 そこに広がっていたのは一見して分かる程人工的に生み出された盆地。ある地点から十メートル程地面が正方形にくりぬかれており、広さはその窪みの縁から一望できる程度。その盆地内には木々や一部が瓦解した壁、ピラミッド状に積まれた石レンガ等の大小様々な障害物が点々と設置されており、そしてその中心には――。

 「着いたね、今から君達には『アレ』と戦ってもらう」

 地上から一メートル程で宙に浮いた、鋼の様な色合いの球体。直径は目測で五メートル前後、そして最も印象的なのは、その球体の全身から接続された九本の触手。植物の茎の様な薄い緑色をしており、それぞれが本体と同じかそれよりも長い程度だ。しなやかに湾曲する触手に、それとは対極的に一切の動きを見せない鋼鉄のボディ。それら二つはチグハグ、と言うのが最適解な程互いと嚙み合っておらず、成程グレアの獣機は機械と魔獣の混合物と言う話にも説得力がある。

 「あの中にいる操縦者に負けを認めさせたら君達の勝ち。武器は人数分一通り用意してあるよ。作戦を立てたら早速戦闘だ」


 戦場の中心に佇む獣機。触手をしならせ敵を待つ。

 獣機からすると自らの触手を十二分に生かせる程の空間が四方八方に広がり、そこから少しして人工的な障害物が設置されている。その為獣機視点では二十メートル先が見えていれば上々という程度だ。

 その獣機の球体部分には数層に分かれて横線が引かれているのだが、その隙間に小型カメラがびっしりと敷かれている。それ故操縦者からは三百六十度、周囲の状況が手に取る様に分かる――今回の班は十分程度で作戦を考え挙げた様だ。先程から障害物の間隙を縫う様にして皆が移動し、自分を取り囲もうとしている。

 操縦者が右斜め後ろを見てみると、そこにはギリギリ触手が届かない立方体の上に立つメシアの姿が。

 どうやら一人は移動を完了し終えた様子だ。現在地からでは届かない程度の高度を持つ障害物の上。皆から良く見える位置。そこから全体の指揮でも執るつもりだろうか?そうであればすぐに容赦なく叩き潰すが――。

 パァン、とその瞬間どこかから発砲音が鳴り響き、それと同時に周囲の物体の裏から姿を現したのはテレサとアトリー、アーネール。獣機を全方位から取り囲む様にして出現し、テレサの手には片手銃が。残りのエスとフユは、互いが獣機を挟んで真反対に位置する障害物の裏にてその身を潜めている。

 獣機が彼ら三人の姿を視界に収めた瞬間、その触手の動きがぴたりと止まった。そしてほんの少しの間が空いて一斉に狙いだすはアーネールたった一人。九つの触手が互いに連携し合い彼女を上から、右から、左から。後方へ下がろうとしたが生憎すぐ後ろには三段に積まれた大型トラック用タイヤが道を塞いでいる。だがこれはアーネールにとって好都合であった様だ。一番上に積まれた黒光りのタイヤを両手で掴むと、その手にはずっしりとした重みが伸し掛かってきた。

 このタイヤは恐らく一つで百キロ程度であろうか。だがそれがどうした事か。この程度の事が出来なければ、私のしたい事は何もできないだろう。

 アーネールは両足をしっかりと地面につけ腰を低くすると、タイヤを浮かし始めた。流石に彼女にとってもそのタイヤは重かったのだろう、それでも雄叫びを上げながら完全に浮かしきるとそれを獣機に向かい放り投げた。獣機はその巨体では避ける事が出来ず、ぶつかった瞬間にぐらりと操縦者の視界が揺れて画面全体に走るノイズ。苛立たし気な叫び声を上げてすぐに態勢を立て直したが、その時には既にアーネールも万全であった様だ。もう一度かかってこい、と言わんばかりの笑みをその顔に携えており、もう同じ手は通じそうにない。

 操縦者が次に目線を向けた先にはアトリー。先程から彼女はぼうっと眺めているだけで臨戦態勢すら取っていない。彼女ならばすぐに倒せるだろう。

 そう判断すると再びその触手がしなり、先程と同じ様に九本の触手が一斉にアトリーに襲い掛かった。それでも彼女は動こうとする気配無く、ぼんやりと眠たいそうな顔付きを見せている。

 「私を狙っても意味ないと思うけどな……」

 アトリーがそう言うと彼女の足元が僅かに振動を始めた。すると彼女の目の前で足元にあった土が隆起しだし、あっという間に触手を含めた獣機を超す程度の高さに。厚さも二、三メートル前後で横渡りも一見するだけでも十分だと分かる程だ。

 バチン、と触手がその城壁に激しく当たってもピクリともしなかった事に、驚いた者はその場に一人としていなかった。それ程に堅固な壁を一瞬で造りだしたアトリー。彼女は未だに一歩として動いていない。

 獣機は再び苛立たし気に叫び声を上げると、最後のテレサにその刃を向けた。彼はアーネールの様に力業で切り抜けたりアトリーの様に魔法を使うのではなく、ただひたすらに走り回って触手を避けている。一度彼の頭上から迫りくる触手に当たりそうになったが、その寸前で何とか身を屈んで回避をした。

 恐らくその時、その場の中で最も緊張していた者はテレサだっただろう。彼の手は酷く震えており、気を抜いてしまえばすぐにでも銃が自分の手からするりと滑り落ちてしまいそうだ。彼は落ち着こうと、心の中で自ら考えついた作戦を頭の中で復唱する。

 先ずは僕とアトリー、アーネールが表に出て獣機と交戦をする。そしてメシアは十分に僕達が獣機の気を引いたと思ったら物陰に隠れているエスとフユに手を挙げて合図を示す。それを二人確認したら同じタイミングで現れ、獣機に向かって攻撃する。それで行動不能になる事は無いだろうが最低限、獣機に隙を与える事は出来るはず。最後にその状況下で行けそうな者が獣機上部にあるハッチから内部に侵入し、操縦者に負けを言わせる。大丈夫。十分に勝機はあるはずだ。大丈夫、大丈夫、だい――。

 「……あ」

 テレサは右脚に突然の違和感を覚えたかと思うと、急に視界が九十度回転した。ドンと脳に衝撃が走った時には地面と平行になっており、右頬と胴体にはざらざらとした土の触感がたっぷりと。

 「テレサ!」

 彼は躓いてしまったのだ。地面にうずくまり、すぐに立ち上がれそうな状況にないのは明らか。そんな彼を待つ事無く襲い掛かる触手。それをすぐ近くにある障害物の影から見守っているのはエス。緩やかな一瞬の内、彼の脳内で様々な思考が巡った。

 テレサが倒れた。触手が彼の元へ襲い掛かる前に彼は起き上がれるか?いや、間に合わないだろう。だからと言って作戦上自分が出る訳にもいかない。メシアの合図を待たなければ。考えてみればテレサが必要なのは獣機の気を引くまでだ。そしてそれも十分達成出来たと言えるだろう。彼はこのまま触手の餌食となり選抜から脱落するかもしれないが、それは仕方が無い事だ。だから俺は悪くない。よし、決めたぞ。俺はこのまま――。

 気付いた時には、エスはテレサの前に飛び出していて触手を薙ぎ払っていた。流石に触手の切断は出来なかったがそれでも勢いを落とす事は容易であった様で、何が起こったのかをテレサが理解するまでの時間はたっぷりとあった。彼はエスのお陰で首の皮一枚繋がった事に感謝しながらも険しい声音で、

 「エスが出てきたら駄目じゃないか!」

 「でも!」

 エスが出てきてしまった。私はどうするべきだろうか?

 そう頭を悩ませているのはメシア。獣機の届かない高所から思考を巡らせる。

 彼がああしてしまった以上フユ一人で獣機の不意を突かなければならない。だが肝心の彼女は状況を呑み込めていない様子だ。先ずフユに作戦の見直しを伝えに――いや、待て。エスが出てきた今が恐らく獣機の気を最も引いている瞬間ではないのだろうか?ならばこのチャンスを見逃すわけにはいかない。ならば今がフユに合図を送る絶好の機会だ。

 そう判断したメシアは勢い良く腕を上げた。するとフユは彼女の思惑通りそれを合図と受け取った様子で、その身を獣機に露わにすると同時に身を屈み両手を地面に置いた。そうした所、低めのフルートの様な音と共に青白い光を発し始めたのは、獣機の真下に位置する地面。その光は徐々に強くなっていき、周辺の風が冷気を帯び始めた。そして輝きが最高潮に達した瞬間、地面を突き破り光の中から現れたのは巨大な氷塊。獣機の足元に向かってナイフの様に鋭いその先端を伸ばし、最終的にその高さは十五メートル程に。そして獣機はその氷柱に貫かれ行動不能に――と言う事は起こらなかった。

 獣機は自らの足元が光りはじめた時点で自らの触手を一斉に地面に打ち付け、その反動で空へと逃げていたのだ。氷塊は僅かにその身を掠めはしたが、表面にほんの少しの擦り傷を残す程度に留まっている。

 しばらくして宙から獣機が帰還した時には、六人の持ちうる全ての策が尽きていていた。彼らの身を撫でる冷ややかな風に、未だ五体満足の獣機。心なしか、その姿は戦闘を始める前よりも巨大に見える。

 「……終わりだ」

 そう呟いたのはテレサ。彼の脳内で様々な案を練るが、それでも有効打になりそうな物は一つとしてない。

 全て僕のせいだ。もし、僕があの時躓きさえしなければこんな事にはならなかったはずなのに。僕のせいで皆が選抜に落ちるんだ。僕のせいで。僕の――。

 テレサがそう自責しながら俯くと、彼の首元に掛けていたペンダントが不意に視界に映った。ふらりふらりと空で円を描き、太陽の光を眩しく反射している。それを見て彼は何を思ったのだろうか、徐にその口元に僅かな笑みが浮かび上がった。

 「僕の魔法を使う。死にたくなかったら遠くに隠れて」

 テレサがそう言った瞬間、彼の周辺が真っ赤な蜃気楼に歪み始めた。皆はテレサのその姿を目に入れたるとすぐに全てを理解した様子だ。蜘蛛の子を散らす様に逃げ出し、皆が障害物で見えなくなった。それを見てテレサは安心したのだろう。大きく一息吐くと、その火力は更に強まり留まる事を知らない。極限まで乾燥した大地の様にして地面はひび割れ、その隙間から姿を現したのは灼熱の溶岩。全てを歪曲させる蜃気楼はその濃度を増し、二酸化炭素の匂いが周辺を支配する。フユが生成した氷もどろりと溶け出し、今ではすっかり水蒸気へと気化して空で歪んでいる。マグマから漏れ出た火の粉が木に燃え移り、更にその炎が周辺に伝播していく。あっという間に獣機を獄炎が取り囲み、その中心にいるのはテレサ。しばらくするとその炎が彼の頭上に集まり始めた。渦巻く様にして少しずつ巨体になっていき、その大きさはすぐに獣機のそれを超えた。

 最終的に形を成したのは巨大な龍の顔。長大な二本な髭にその顔面にびっしりと敷かれた鱗。それらに加えて二つの巨大な目玉と万物の物体を呑み込まんとするその大きな口は、不定形な炎の形ながらも明らかに見て取れた。

 「喰え、炎龍」

 獣機が事態を了解しその触手を伸ばし始めた時にはもう遅かった。炎龍は野生の獣の様な低音の呻き声を上げ、極熱の暴風は呼吸を拒み、そして――。

 それ以上何も起きる事は無かった。一秒前まで暴力の限りを振るっていた炎龍はその場で霧散し、そこに残されたのは焦土の匂い。

 炎龍は獣機に噛みつくその直前に形を崩し、生暖かい熱風へと成り下がったのだ。まるで夢であったかの様にしてその身の証明を拒み、周りにあった炎の姿はもうどこにも無い。テレサは未だその場に佇むのみで、それ以上何かしそうな気配は微塵もない。獣機も何が起こったのか理解出来なかったのだろう、触手を中途半端な位置で止めたま茫然としている。

 ガンッ、と獣機の上部で金属が何かにぶつかった音が聞こえてきたのは、その時だった。まさか何者かがこの内部に入り込もうとしているのか――そう操縦者が考え首を動かし見上げた時には手遅れだった。獣機のハッチは開けられ、操縦者の首元には刃が突き付けられている。

 「……合格だ」

 操縦者が全てを理解してそう言い、溜め息を付いた背後には、その操縦者に小刀を突き付けるエスの姿が。息を切らしてその顔中に汗を垂らしているが、それでもすぐに達成感からの笑みが彼の顔を満たした。


 獣機の討伐後、一か所に集まった六人。真っ黒に成り果てた灰に周囲を囲まれ、焦げが染みついた匂いが肺胞を出入りする。テレサの魔法のせいかその空間はやけに乾燥しており、いつの間にか地面の下から覗かせていたマグマもどこかに消え去っている。六人は特段何か話す事は無く、ただそんな場所でギリギリ燃えていなかった障害物に身を委ね、汗水を垂らして浅く早く呼吸をしている。そんな彼らの元に近づいて来たのはグレア。

 「いやー驚いたよ。まさかテレサを囮にしてエスが背後から忍び寄る作戦を、その場ですぐに思いついて共有もせずに分かり合えちゃうなんて」

 グレアがそう言って近づいて来ても誰も反応しなかった。それ程までに皆が疲弊していたと言う事だが、彼女は特に気にしている様子もない。グレアはエスに指差すと、

 「エス、君は武具の扱いに長けているね。でも後先考えずに突っ走っちゃうその性格は直した方が良いかも」

 次に指差したのはアーネール。

 「アーネール、君はどちらかと言うと自らの拳に重点を置いているのかな。勿論、実際の戦場においてそれは大切な事だけど……他の武器の扱いについてもこれから学んでいこうね」

 その次に指を移した先はフユ。

 「フユ、君の魔法は威力だけ見たら一端のマーナ兵を遥かに凌駕している。けど精密性がお座なりになっているから、それを直せたらさらに強くなれるよ。もしかしたら君に欠けているのはご飯を食べたいとかじゃない、ちゃんとした戦う理由なのかもね」

 「皆凄かったですね……僕ももっと頑張らないと」

 そう言ったのはテレサ。彼は自らの無力を呪う様にして奥歯を噛み締め、その表情は非常に暗い。グレアはそんな彼を励ますかの様に笑みを浮かべると、

 「テレサ、君は確かに他の人達に比べて身のこなし等で出遅れていると言わざるを得ない。でも君の天賦魔法も使い道は幾つもあるし、作戦にミスが生じた際に柔軟な考えで窮地を脱せていた。もっと自分に自信を持てば最高の指導者になれるだろうね」

 そう言うとグレアはアトリーに顔を向けた。

 「アトリー、君は全てを卒なくこなせる程には器用だね。特に魔法の精密性に関してはマーナ兵の中でトップクラスじゃないかな。でももう少し積極性を見せて欲しいね」

 テレサの魔法で発生した上昇気流がようやく止んだのだろうか、空からはぽつぽつと灰の雨が降り出し、焦げた匂いにも少しずつ鼻が慣れてきた。グレアはニヤリと笑ってみせると、

 「所で皆さ、さっきから何かがこちらを見ている事に気付いてる?」

 そう言って彼女が指差した先には、恐らくは元々家か何かが立てられていたのだろうか、木製の扉とその周辺の壁が少々。支えもなしに自立しているのが奇跡的な程だ。いや、グレアが指差したのは厳密にはその壁ではなかった。

 その壁の際、そこから僅かに緑色の触手が姿を現していたのだ。

 比べてみるとこちらの方が小さいが、先程会敵した獣機に瓜二つの色と形の九つの触手。しなり、曲がり、うねっている。そしてそれら触手の大元に目を移していくと、そこには薔薇に似た何かが。何層にも重ねられた真っ赤な花弁に、その中心から覗かせている真っ黒な目玉。僅かに棘の付いたその触手と薔薇に似た物体で構成されたその魔獣は、まるで典型的な宇宙人の様にも見える。大きさとしては人間よりも小さい一メートル程だろう。推し量るに、エス達が戦闘中に誰かがその魔獣をここまで連れてきたのだろう――一体何の為に?

 「もしかしたら君達の中には初めての人がいるかもしれないから言っておくけど、アレが魔獣と言う奴だ。そしてアレの成体と機械を組み合わせた物が君達が先程戦った獣機であると見ている。さて、本題について話そう」グレアはメシアに目を移し、「メシア、君の力を見せてくれ」

 彼女のそんな発言に僅かな緊張が走った。先程は冗談であると一蹴したはずだが、一体どの様な風の吹き回しであろうか?彼女はその様な皆の疑問を組んでくれたのだろうか、得意げな口調で、

 「先の戦闘では君だけが直接戦う事をしなかったけどね、もし君があの魔獣を操作する事が出来たなら君の合格を認めようかな。まあ無理だと言っても大丈夫だよ。今の私なら指パッチン一つでアレを倒す事が出来ちゃうし、何より――」

 グレアがその様な事を言っている間にメシアは魔獣の目の前まで移動していた。薔薇の魔獣はメシアへの恐怖からだろうか、その体は玩具の様に小刻みに震えている。メシアはゆっくりとしゃがみ込むと、その魔獣の恐怖は最高潮に達したのだろう、遂に自らの触手を伸ばして彼女の右腕に絡まり付いた。

 グシュっと肉が引き裂かれる音がして、メシアの腕から血が滴る。しかし、真っ赤になった自分の腕を見ても彼女は何も思わなかった。残りの左腕でそっと花弁の下辺りを触れると、小刻みに震えていた魔獣の動きがぴたりと止まった。

 「おお……」

 メシアはその魔獣をまるで自らの赤子の様にして両腕でしっかりと抱えると、皆の元に戻ってきた。相変わらず血が漏れ出たままの右腕と、そんな腕に抱かれながら穏やかに眠る魔獣。その様な光景には、どこか目が見入ってしまう様な何かがあった。彼女は魔獣に目を固定させたまま冷たい口調で、

 「これでいいですか?」

 彼女の発言でようやくグレアは意識を取り戻し、

 「ええ……ああ、うん。勿論だよ。メシア、君には凄い力がある。是非ともその力を私達の元で振るってくれ。もしかしたら君は、とんでもない化物になるのかもしれないね」

 その時のグレアの言葉に、反対する者は一人としていなかった。


 その後、グレアに連れられ六人は別の場所に移動を始めた。

 先の戦闘地点から歩いて二十分程度。そこに待ち受けていたのは、見渡す限りの墓、墓、墓。上部分が丸みを帯び腰よりも少し高い程度の墓石。それが地平線の向こうまでびっしりと覆われており、何の目印も無いその墓場では一人でいると方向感覚が働かないであろう事はすぐに分かった。僅かに霧がかかっており、生命の気配が一つとして存在していないそこの雰囲気は、俗に言う幽霊とやらが出たとしても不思議でもない情景を醸し出している。

 「ここは……」

 「今までに殉職したマーナ兵達の弔いの場だよ」

 グレアはそう言うと、徐にとある墓石の前で片膝を付いた。その墓石の手前には橙色をしたサンドラの花束が置かれており、墓には『フィリア』と言う名が刻まれている。

 「フィリアは……九年前の『ミフュース襲撃』で戦死した私の親友なんだ。君達九三期生には、彼女みたいになって欲しくないからね。これからの三年間でとことん強くなってもらうよ」

 そう言った彼女の顔は暗く、沈んだ物となっており、とても何か深く聞ける様な状態に無い事はその丸くなった後ろ姿からも見て取れる。

 どこか遠くで烏が鳴き声を挙げた様だ。しかしそんな声もすぐに空中へと溶けていき、その場に残ったのはひどく重鈍な静寂。それから更に少し間が空くと、グレアは顔色一つ変える事無く、

 「全員合格だ」

 「……え、良いんですか!?」

 呆気なく終わった選抜に目を大きくする六人。彼らの反応を予測していたのだろう、グレアはその背中を丸くしたまま、

 「うん。君達はそれぞれ強さを持っている。それに……元々マーナ軍には選抜をする程の人的余裕は無いんだ。知っているかい?マーナ兵が年齢を理由に辞める割合は、全体の一四%に過ぎないんだ。つまり残りの八六%は、戦死しているんだよ。約九割だ。昔はそんな事なかったらしいんだけどね……でも、それがマーナ軍の現状」長く、細い溜め息を付き、「嫌な話になるけど、君達も戦地でこれから多くの人を看取るだろう。そんな時私は死にゆく者達の想いを、望みを引き継ぐようにしている。そうやって彼らを紡いでいけば……私は戦える。悲しむのは、全てが終わった後で良い。私はそう思うようにしているよ」

 そう言って振り返ったグレアの顔には、笑顔が張り付けられていた。口の両端は笑っている様にも見えるが、その目は未だに沈んだままだ。誰の目にも偽りと分かる『笑み』を見て、心浮かれる者はその場に一人としていなかった。

 「ああ、ごめんね。何か……暗い話になっちゃったね。取り敢えず、今日はもう帰りな」

 心なしか、その墓場の霧が少し濃くなった気がする。


 そして、日が沈み深夜。

 皆が寝静まり、夜の空気が辺りに満ちている。アーネールが物音を立てないように慎重に寮を抜け出すと、田畑では蛍が自らの命を燃やしていた。今日はコオロギか何かのコンサートが開かれているのだろう、どこからともなく多様な唄が聞こえてくる。

 そのまま歩いて十分程度、辿り着い場所は昼間に魔獣と戦闘を行った場所。今では多種多様な障害物は撤去されおり、無駄に広い窪み地が残されている。そこで空を見上げて待っていたのはエス。

 「話って何?エス」

 アーネールがそう言うと、エスはその瞳に無数の星々を反射させたまま顔を彼女に向けた。

 「……昼の獣機戦の時に見ていて思ったんだ。アーネール……お前は俺よりも身のこなしに長けているよな」エスはペコリと頭を下げると、「だから頼む、俺に稽古を付けてくれ」

 僅かに間が空くとアーネールは目を丸くして、

 「えっと……え、それだけ?」

 「『それだけ』?……ダメって事か?」

 「……ううん、良いよ」彼女ははにかむと、「じゃあ、早速やってみようか」

 エスは安堵感とやる気に満ちた笑みをアーネールに向けると、足元に置いていた木刀を手に取った。柄の部分から先端が持ち手に比べへこんでおり、体長は六十センチ程。寮にあった物を借りてきたのだろう。それを正面に持ってきて、

 「ありがとう。手加減しねえからな」

 アーネールはボクサーの様に腕を『八』の字にして前に出し、右脚を半歩、後ろに下げた。その状態で僅かに前傾姿勢を取り重心を下げると、正面から見た時にまるで隙が無い。上から行くとそれより早く腹を、左右からでもまず脇腹か脚をもっていかれる。エスが両の手に木刀を握り締めたまま固唾を呑むと、アーネールは自信満々に、

 「安心して。私、あなたより強いから」

 エスは一度、深く息を吐くとアーネールに向かい走り出した。

 上からは駄目。左右からでも駄目。それなら狙うべき場所は一つ、足元だ。

 そんな結論に達したエスはアーネールの目の前で姿勢を低くして、彼女の足元を左から。これには対処できなかったのだろう、アーネールは刃が届く前に地面を蹴り飛ばし背後に。だがエスは追撃の手を止めない。すぐに態勢を立て直すと正面から彼女の胴体目掛けて一突き。

 「そう来ると思ったよ」

 アーネールはこの動きを読んでいた。彼女はいとも容易く右手で木刀を掴んでしまうと、その動きは完全に止まってしまった。だがエスもまた、この動きを読んでいた。彼はすぐに木刀を手放すと同時に拳を丸め、アーネールに殴りかかろうとする。しかしアーネールは更にそれよりも早く右手に握った木刀をエスの足元に叩き付けた。するとカンッ、と木と骨が衝突した音が大きく鳴り響き、エスの足元には切り裂ける様な激痛が。

 「いってぇ!」

 エスは急いで距離を置こうとしたが、気付いた時には目の前にアーネールの拳が。彼の顔面の真正面で静止したその丸められた手には、殴ろうと思えば殴れたという彼女の意思表示――つまりはエスの負け、と言う事を表しているのだろう。

 エスは悔しそうに下唇を噛むと両手を挙げ、

 「……負けたよ」

 アーネールはそれを聞くと、地面に落ちた木刀を拾い上げた。

 「やっぱりね。獣機と戦っていた時も思っていたけど、エスの動きは読みやすいね。丁寧に誘導すればそれに乗ってきてくれるし」木刀をエスの前に持ってきて、「一つの可能性に飛び込む事は悪くないよ。でもその可能性に飛び込むまでも、飛び込んでからも他の可能性を探し続けるべきだね」

 エスは木刀を受け取り、空に向かって一振りすると、

 「成程な……よし、もう一戦頼む」

 エスの瞳にはまだまだ情熱の炎が燃え滾っており、際限の無いやる気が溢れ出ている。

 「良いけど、何だか張り合いがないな」ニヘッと少し気味の悪い笑みを浮かべ、「君、姉がいるんだよね。もう一回負けたら私の事『お姉ちゃん』って言ってもおうかな」


 そうしてエスは昼に各個教練、部隊教練、指揮法、軍事講話、射撃訓練を学び、夜にはアーネールと稽古を繰り返した。また時間があると街に出て家族の捜索も行ったが、一切として有益な情報を得る事は無かった。

 そして、三年が経過した。

 エス達九三期生はもうすぐ訓練兵としての教育を終え、実戦にも投入される計画が立てられていたそんな日だった――マーナ軍の上層部を揺るがした、『とある事件』が起こったのは。


 カーテンが閉ざされた薄暗い会議室、緊迫した空気の中にいるのはグレア含むマーナ軍幹部達。部屋の真ん中には縦長の机が二つ繋がれて置かれており、それを取り囲む様にして幹部の人数八人分の椅子が。

 彼らの中で鉛の様に重たい口を開けたのは、カーテン側の椅子に座っているグレア。

 「マーナ軍事基地内において殺人、及び重要資料紛失が起きた。当時の状況からして――」一呼吸置き、「九三期の中に、裏切り者がいる」

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