星降る丘の魔法工房
夜歩芭空(よあるきばく)/ゆうきぼし
第1話 はじまり
28歳、独身、髪を無造作にまとめただけの彩葉は、目の下にうっすらとクマを浮かべていた。
「また残業かな…」と呟き、キーボードを叩く手が重い。そういえば、しばらくベットで眠っていない。
「昨日も疲れて床で寝ちゃったしな」
突然、頭に痛みが走る。心臓が不規則に跳ね、視界が滲む。次の瞬間、彼女は椅子から滑り落ち、意識を失った。
――目を開けると、頬に柔らかな風が触れた。鼻腔をくすぐるのは、土と草の香り。彩葉は仰向けに寝転がり、目の前に広がる星空を見上げた。無数の星が、まるでガラス玉を散らしたように瞬き、紫と濃紺のグラデーションが夜空を彩る。
「綺麗……」
風景を見て感動するなど久しぶりだった。
「これは…夢?」彼女は首を傾げ、身を起こした。足元には、膝丈の野花が揺れ、遠くでフクロウのような鳴き声が響く。
彼女のいつものスーツは、動きやすいチュニックとズボンに変わっている。ポケットを探るが、スマホも財布もない。代わりに、
「『工房魔法』および『植物共感』の付与が完了しました」
頭に直接響く声が、そう告げる。
「え? 誰?」彩葉は思わず口に出し、周囲を見回した。だが、誰もいない。掌の光はいつの間にか消え、代わりに不思議な感覚が体中に広がった。
まるで今すぐにでも、何かを作り出せそうな予感がする。
「これって異世界転移…? 冗談でしょ」
子供の頃によくやったロールプレイングゲームに似ている。まさかと彩葉は笑いそうになったが、目の前の風景はあまりにリアルだった。
そして、足元の野花が【こんにちは】と囁いた気がした。
「…え、喋った?」彩葉は目を丸くし、野花に触れる。すると、ふわっと花の記憶が流れ込む――朝露の冷たさ、陽光の暖かさ。
「植物共感って、こういうことなのかな?」
少し歩くと、なだらかな丘が広がっていた。丘の頂に、苔むした木造の小屋が傾いている。屋根には穴が開き、窓枠は朽ちかけていた。
「とりあえずはあの小屋に行ってみよう」
彩葉は自分に言い聞かせるように呟き、丘を登った。都会の喧騒から解放された安堵感と、未知の世界への不安が交錯する。だが、なぜか心は軽かった。
「戦うとか冒険とか、絶対嫌。生き延びるだけでいいよね」と彼女は笑い、小屋に足を踏み入れた。
小屋の中は、埃と湿った木の匂いが充満していた。壊れた椅子と、ひび割れた陶器の欠片が床に散らばっている。彩葉は『工房魔法』を試してみることにした。掌を広げ、壊れた椅子に意識を集中すると、指先から緑の光の糸が伸び、木材を包み込む。ガタガタと音を立て、椅子がみるみる修復され、滑らかな木目が輝き出した。
「す、すごい…!」
彩葉は目を輝かせ、次に屋根の穴を塞ぐ。光の糸が藁と木材を編み上げ、屋根に変えた。数時間後、小屋は簡素だが住める状態に生まれ変わっていた。
草を編み込み作成した簡易なベッドに寝転がる。植物の香りを嗅ぐと気分がリラックスしていく。
「とりあえず、今日のところはこれでいいか」と彼女は呟き、深い眠りに落ちて行った。
翌朝、窓から射し込む穏やかな光で目が覚めた。やはり夢ではないんだということを確信し、これからの事を真剣に考える事にする。
「案外私って神経図太かったのね。初めての場所でもぐっすり眠れるなんて」
大きく伸びをすると、きゅるるとお腹の鳴る音がして、彼女は昨夜から何も食べてない事に気づく。
「食料を探しに行かないとね」
丘の周囲には、赤い実をつけた低木や、香りの強いハーブが群生していた。彩葉は植物共感を使い、赤い実の低木に触れる。
「食べられる?」と尋ねると、低木が【甘いよ、でも種は吐き出して】と答えた。
「ありがとう。いただくわね」
彼女は笑いながら実を摘み、川で洗った。川の水は透き通り、水面はキラキラと輝く。彩葉は水筒代わりに、工房魔法で陶器のボトルを作り、水を汲んだ。
「うん。なんとか暮らしていけそう」
工房魔法は、素材を組み合わせ、道具や装飾品を作る力。植物共感は、草花や精霊と会話できる能力。戦闘スキルがないことに安堵しつつ、彩葉は「とりあえず、生きるために何かしよう」と決意する。
最初の数日は試行錯誤の連続だった。そのうち、魔法の使い方も少しづつわかってきた。集めたハーブを乾燥させ、種類別に分けていく。植物の油脂から蝋をとり、キャンドルを作る事も成功した。
「やったぁ。これで夜も灯りの心配がいらないわね」
そうして徐々に生活能力を高めてこの世界に馴染んできたある夜、丘に小さな光が漂うのを見つけ、近づくと小さなドラゴンが現れた。
「お前、何者だ? ここはオレの縄張りなんだぞ」
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