第8話:燃える鍋の新星


夜の帳が降り、屋台の灯が小さく瞬くころ。

鉄鍋の中には、今日も静かにだしの波が広がっていた。


だしの香りはやさしく、けれど、その奥にほんのわずかな緊張が漂っている。


「……そろそろ、出番だよ」


がんもどきが、湯気の向こうで赤く染まった小さな背中に語りかけた。


「ボク……できる、ガンモ?」


「できるさ。お前には、熱がある」


その言葉に、赤いウインナーは胸を張った。

ちょっと皮が裂けかけていたけど、目は真っ直ぐだった。


「いくよ、プチ・レッド……燃えてこい」


 


プチ・レッド。

かつて朝食プレートの主役として日々焼かれ、ある日コンビニおでんの大鍋に落とされ、そのまま転生した変わり種。


熱には強い。

でも、仲間を守る強さは、今ここで手に入れるしかない。


 


「守る……ボク、鍋、守る……!」


だしの波が、プチ・レッドの決意に呼応するように、ぐつぐつと静かに音を立てた。


 


「串の動きが止まってから、何日経った?」


黒はんぺんが、鍋の隅でぽつりと呟いた。


「五日目だな」


こんにゃくが応じる。


「何も起きないのは、逆に不気味ってやつだ」


 


刺されたちくわの消滅。

そのとき現れた“串”の存在。

誰もが忘れてはいなかった。


がんもどきは、静かに視線を落とした。


「今、鍋の“底”にいる奴らの気配が強まってきている」


「底……?」


しらたきが、鍋の中心を見やった。


「ああ。うちらの仲間とは、ちょっと毛色の違う連中だ」


がんもどきが言う。


「刺激的で、クセが強い。変わり種ってやつさ」


 


まさにその瞬間だった。


鍋の底で「パァンッ!!」という、破裂音のような小さな音が響いた。


「わっ、なに今の!?」


「来るぞ……」


がんもどきが構える。


ぐつぐつとだしの表面が泡立ち、何かが浮かび上がってきた。


赤い影。丸いフォルム。つるつるした肌……その上に、焼き目がついている。


「なにあれ……?」


「目玉……?」


違う。


「たまごだ。 いや……目玉焼き、の転生か……?」


ふわりと姿を現したのは、ゆでたまごと見せかけて、**“半熟煮卵”**だった。

黄身がとろける寸前で止まっていて、なまめかしい光沢を放っている。


「わたしの名は、ラン」


たまごは柔らかな声で名乗った。


「この鍋に、革命を起こしに来たの」


 


「……おい、またクセつよいの来たな」


こんにゃくがこそっと言う。


「歓迎するよ」


がんもどきは微笑みを浮かべる。


「これで鍋は、また一歩“進化”する」


「進化……」


しらたきが呟いた。


「そんなもの、鍋に必要なの?」


「必要だよ」


プチ・レッドが前に出た。


「みんなが力を合わせて、誰も消されない鍋にする。そのためには、変わらなきゃいけないんだ」


 


「いいこと言うじゃない」


ランはやさしく笑った。


「なら、私も力を貸すわ」


 


そのとき、鍋の外で、かちゃりと金属音が響いた。


屋台の主が、おたまを鍋に突き入れようとしていた。


串ではない。が、選別は始まった。


「誰か……選ばれるのか!?」


一同がざわついた。


おたまがすくい上げたのは──こんにゃく。


「え、俺!?」


 


すくわれた瞬間、こんにゃくの目が見開かれる。


鍋の中から見たその景色は、まるで異世界だった。

きらきらとした提灯の灯り。お客の顔。熱気。会話。酒。


──そして、「いただきます」の声。


その瞬間、彼の中に何かが流れ込んできた。


だし。言葉。思い。願い。


食べられるという行為が、ただの終わりではなく、“繋がる儀式”であることを。


 


ぷすり、と音がした。


そして、こんにゃくは消えた。


 


鍋の中、しんと静まり返る。


誰も言葉を発せなかった。


がんもどきは、ただ目を閉じる。


「……まだ、間に合う。鍋は、進化してる」


「……でも、串じゃなかったのに……」


しらたきの声が震えていた。


「串だけじゃないんだよ」


プチ・レッドが答える。


「おたまも、菜箸も、お客の目も──ぜんぶ、この世界の“運命の手”なんだ」


 


だしがぐつぐつと再び煮えはじめる。


変わり種たちが次々と現れる中で、鍋は確実に新たなフェーズへと突入していた。


やがて、遠くでまた、雨の音が聞こえ始めた。


それは何かを洗い流すように、静かで、優しい音だった。


 


「この鍋は、もう止まらない」


プチ・レッドの目が、赤く小さく燃えていた。

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