第36話 ざまあみろ
少し前の出来事を思い出していた。
2000年4月2日。春の陽光が眩しいその日、強志が下校中に耳にしたニュース速報は、彼の日常に薄く、しかし確かな影を落とした。
「小渕首相、脳梗塞で緊急入院」
テレビのニュースキャスターが、いつになく真剣な表情で伝えている。しかし、強志の心には、特別な感情は湧き上がらなかった。政治家という存在は、彼の目には、自分たちの日常とはかけ離れた、遠い世界の住人として映っていた。
強志にとって、政治とは、常に彼らを縛り付ける「管理」の象徴だった。常総学院に導入された毛髪検査や持ち物検査は、まさにその最たるものだ。自由を奪い、個性を潰そうとする大人の都合。そして、「一七歳」という言葉で、自分たちを括り、監視しようとする社会の目。そうした抑圧の根源に、常に政治家たちの存在があった。
強志が自宅のテレビでニュースを見ていると、入院先の病院からの中継映像が流れた。憔悴しきった家族の姿。しかし、強志は冷めた目でそれを見ていた。
「別に、どうでもいい」
隣でニュースを見ていた母親が、眉をひそめた。「そんなこと言うもんじゃないわよ。国のトップなんだから」
強志は鼻で笑った。「国のトップがどうなろうと、俺たちの生活なんて何も変わんねぇよ。所詮、きれいごとばっか並べて、偉そうにしてるだけだろ」
彼の心には、政治家に対する根深い不信感と嫌悪感が渦巻いていた。言葉巧みに大衆を操り、裏では汚い手を使い、自分たちの都合の良いように社会を動かそうとする存在。それが、強志の抱く政治家像だった。
そして、一ヶ月後の5月14日。小渕首相の訃報が報じられた。
強志は、そのニュースを聞いても、眉一つ動かさなかった。むしろ、彼の口元には、乾いた笑みが浮かんでいた。
「ざまあみろ」
そう、強志は心の中で呟いた。彼の言葉は、社会への、そして政治家たちへの、静かな反抗の表明だった。自分たちを縛り付ける存在が、一人減った。そう考えることでしか、彼の心は平静を保てなかったのだ。
母親は、隣で沈痛な面持ちでテレビを見つめている。しかし、強志は、そんな母親の姿を見て、さらに冷めた感情を抱いた。どうして、自分たちを抑圧する側の人間に、そこまで感情移入できるのか。理解できなかった。
彼の脳裏には、またもや佐貫先生の死、境の不良たちとの対峙、そしてあの屈辱的な土浦での出来事が蘇る。自分たちの日常に理不尽な暴力を持ち込み、自由を奪い、心を傷つける大人たち。そして、それを黙認し、あるいは助長するかのような政治のあり方。
小渕首相の死は、強志にとって、彼ら「支配者」の一人が消え去った、単なる事実だった。悲しみも、悼む気持ちも、強志の心には一片もなかった。むしろ、それは彼の心の中に燻る、暗い怒りの炎を、さらに煽るきっかけとなったのかもしれない。
彼は、この感情を、この冷酷さを、そして政治家への嫌悪感を、いずれ自分の物語の中にどう落とし込むべきか、ぼんやりと考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます