第14話 点火
1999年5月。日本は、アジア通貨危機の余波で混迷の中にあった。
――茨城県常総市・常総学園高校。
午後の教室。扇風機がくるくると音を立てる中、小池強志はぼんやりと窓の外を見ていた。ガソリン価格が1リットル=90円を割ったという新聞の見出しが、朝のホームルームで教師の口から飛び出したとき、教室の一部がざわめいた。だが小池は、むしろ別のことに気を取られていた。
「……2ちゃんねるって知ってるか?」
放課後、学食の隅のテーブル。パソコン部の部室から持ち出した中古ノートPCを開いて、親友の犬上利昭が小声で囁いた。
「なんだそりゃ。掲示板か?」
「掲示板っていうか……世界が変わるぜ、強志。匿名で全部ぶっちゃけられるんだ。この国の闇も、人の悪意も、隠せない。西村博之ってやつが立ち上げたらしい。ハッカーも政治家も、たぶんそこに集まってくる」
小池は、黙って画面をのぞきこんだ。そこには「保険金殺人」と「今治」と「塗装工」という言葉が並び、ぞっとするような書き込みが流れていた。
「これ、例の事件か? 埼玉の――」
「そう。薬物中毒で死にかけた男が、保険金殺人を告発したってやつ。しまなみ海道が開通して、観光だって浮かれてた矢先に、現実はこれだよ」
犬上の言葉に、小池は不意に昔のことを思い出す。
(中学のとき、あいつらにジャイアントスイングされて、体育倉庫に閉じ込められた夜……『生きてる意味』ってやつ、真剣に考えたよな)
**
その夜、小池は自宅でこっそり古いモデムを使ってネットに繋ぎ、「2ちゃんねる」の闇をさらに掘り進めた。
ふと、「幸福銀行破綻」「東邦生命保険破綻」のスレッドを見つけた。
> 「だから言ったろ。バブルのツケはこれから来るって」 「武蔵丸が横綱昇進してる間に、日本が沈みはじめてる」 「レギュラーガソリン90円? それでも走れない人生の方が痛いよ」
――何かが、自分の中で静かに点火した。
**
次の日、パソコン部の部室。強志は犬上に言った。
「なあ、俺たちにできることあるんじゃねえか。世の中を、少しでも暴いてやる。2ちゃんねるじゃなくて、自分たちの方法で」
「たとえば?」
「たとえば、学内のいじめ情報を匿名で集めて、それを公開する。いじめてるやつの名前も、全部」
「……それ、戦争だぞ」
「戦争だよ。最初から、そうだった」
小池強志、16歳。
彼の小さな革命が、やがて“ネットの闇に火をつける”ことになるとは、このとき誰も知らなかった――。
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