第20話-生きる理由-


     ****


「……死なせてくれよ」


 あの日、涙ながらに成哉は、そう請うた。

 だって、こんなの最悪だ。

 意識だけはもとのままで、でも、その機能は、まるっきり違う。

 十和成哉の皮を被った兵器として、

 こんな悪魔みたいな連中に使い潰されるなんて――


「まだ分かっていないようだな。すでに命を捨てる自由さえも、キミには与えられないと思いたまえ」

「なんでだよ! どうせ、十和成哉に価値なんて、認めていないくせに!!」

「そこまで追い詰めるのは、どうなのだろう」


 成哉の叫びを受けて、今まで口を閉ざしていた10人の内のひとりが口を開いた。


「たしかに、彼は我々の被造物かもしれません。でも、心がある。それを無視して事情を押し付けるのは……果たして賢いことでしょうか」

「黙れ、リー」


 一喝するのはヘクター・ベガだ。

 彼はギロリと、リーと呼んだ相手を横目に睨む。


「奴を構成する技術の殆どは儂らのものだ。口を出すのは――」

「ヘクター」


 諫めるようなシンシア・レッドフォードの一声に、ヘクター・ベガは口を噤んだ。


「失礼。それで、価値かね? とんでもない。キミを運用する上で、セイヤ・ソワの魂は大変に重要な部分だ」


 成哉に向き直り、シンシア・レッドフォードは、そう言った。


「ここにいる 12 人が何者か説明しよう。我々はそれぞれ異なる3つの世界から出向してきて、ここに集っている。我々の科学は、ついに、数多の別世界の存在を明らかにした。通常、完全に分かたれているはずの、全くの別次元――多元宇宙(マルチ・バース)。各世の英知は、その壁を取り払う術を、確立した」


 ところで、とシンシア・レッドフォードは息を継いだ。


「キミはダーウィンの箱庭を知っているかな」


 元いた世界で最も大きな湖……ヴィクトリア湖。

 アフリカに存在する、その場所には、かつて多種多様な水生生物たちが、美しい生態系を築いて繁栄していた。

 まるで世の多様性を、そのまま閉じ込めたみたいな。

 その模様を指して、人々はダーウィンの箱庭、と呼んだ。


 しかし、それは今や徹底的なまでに破壊された。

 人の手により、巨大な肉食魚が放たれたのが切っ掛けである。

 その魚は、瞬く間に数を増やし、湖本来の生態系を破壊した。

 湖の魚たちは弱く、外から侵入してきた圧倒的な力を前に敗れ去ったというわけだ。


 外来種。


 往々にして、それは元あった自然を圧倒して勢力を拡大し、環境を変えてしまう。

 日本でも琵琶湖で繁殖するブラックバスが問題になったし、タンポポは日本固有のものより西洋タンポポを目にする機会の方が増えた。

 固有種は、外来種の侵略に抗えないのだ。


「同様のことが多元宇宙に対しても言える。我々の世界がそうであるように、いくつかの世界には極めて高度な文明と、それによって発達した軍事力が存在する。もしもそんな世界の武器が、より文明度の劣った世界に持ち込まれたら、どうなるかは想像に難くない」


 ついに人類は、世界のバランスさえ崩しかねない技術を生み出してしまった――


「我々には、これを防ぐための戦力が要る。ただし、これは普通の、生きている人間ではダメだ。なぜなら世界は、そこに住み、生きる全ての命を認識している。そして本来なら、それは他の世界に渡ってはいけないのだ。もしも、その戒律を破れば、世界そのものに備わった防衛反応を刺激することになる。それを捨て置けば、いずれ恐ろしいしっぺ返しを受けるだろう」

「……じゃあ、あんたたちがここにいるのも、マズいんじゃないのか」

「マズいのは、他の世界に渡ることだ。ここに留まる限りは、影響は無いよ」


 シンシア・レッドフォードは、そう言って、杖で床を2度、打った。

 それを合図に、白張りだった壁がパッと消える。

 いや、壁が透明になって、その向こうが透けて見えたのだ。

 そうして明らかになった壁の外に、しかし地面は見当たらない。

 かといって、ここは海ではない。

 空でもなかった。

 ここは果て無き闇の中――

 時おり稲妻が弾け、冷たい白い光が蜘蛛の巣のように散る。


「ここは、どこでもない亜空間。次元の狭間だ。我々は、ここに拠点を築いて、次元間を監視している。そして異世界のバランスを崩そうとする者が現れれば、これを処断する。そのための次元間保安騎士団。この基地の名は、隔離要塞基地マウント・オリュンポス」


 そこで言葉を切り、シンシア・レッドフォードは、成哉の目を覗き込んだ。


「我々には戦力が必要だ。世界に見つからない兵士が。世界が、すでに死んでいると見做し、その認識から外している者。数多の世界を渡っても異物として認識されぬ、世界の死角に生きられる者――」


 存在しないはずの透明な人間、とシンシア・レッドフォードは囁いた。

 つまりは幽霊……

 呆然とする成哉に、彼女は、たたみかけるように告げる。


「セイヤ・ソワ、キミには我々の騎士として働いてもらう。この拠点にて牙を砥ぎ、異世界を踏み荒らそうという輩が現れたのなら、それを直ちに抹殺せよ」


 床に円形の穴が生じ、下から全長2メートルほどの鎧がせり上がってきた。

 全身は、つるりとしたメタリック・シルバー。

 頭の天辺から足の先まで、何重にも堅牢なパーツが組み合わさってできた全身鎧。

 王冠のようなツノ。

 背中の、翼にも似たスラスター。

 分厚い胸部装甲の窓には、複雑な回転機構が覗いている。


「オデッセイだ。次元跳躍を行う能力を備えた、戦闘用強化外骨格」


 これをキミに与えよう、とシンシア・レッドフォードは言った

 いや、彼女だけではない。

 ヘクター・ベガも、その他の者たちも、まるで神であるかのように傲然とした目で、成哉を見下ろしていた。


「キミはこれより組織に仕えるオリュンポスの騎士となる。

 世界を守れ、セイヤ・ソワ」


     ****


 そうだ、と成哉は深く息を吐く。


 俺もまた、罪を犯した。

 この手は血にまみれ、魂には罪びとの烙印が捺された。

 今でも悪夢にうなされる。

 俺は血の海で溺れ、圧し掛かってくる無数の死の重さに、潰されてしまいそうだ。

 俺は組織による永劫の呪いに囚われて、抜け出せないでいる。


 救われたい、と思う。


 楽になりたい、と願う。


 だけど、それは叶わない。

 俺には、もう、そんな権利なんてない。


 でも……この世界に、まだ生きている人たちは、そうじゃない。


 洋太、と彼は口の中でつぶやく。

 父さん、母さん、と呼んでみる。

 そして、妹の名前も。


 目を閉じれば、さまざまな記憶が思い浮かぶ。

 幼いころ、洋太と共に駆け回った日々。

 父と母に手を繋がれ、胸を弾ませて帰った夕暮れの道。

 母に抱かれ、すやすや眠る妹の愛らしさと、頬っぺたの柔らかさ。

 道ですれ違い、時に関わり、時に関わり合わなかった、たくさんの人々――


 愛している、と思う。


 命を失って、この世界に居場所が無くなったって、それでも、愛している。


 もう二度と会えなくて、彼らの世界と自分の世界が交わらないとしても。

 これだけはプログラムされたことじゃない。

 それだけは、かつて十和成哉が胸に抱き、そして今も抱き続けているものだから。


 愛しい人たちのことを想う。

 彼らは自分たちの世界で懸命に生きている。

 俺には、もう見ることができない景色に手を伸ばす権利を、彼らはまだ持ち続けている。


 それなら、


「俺は――オリュンポスの騎士なんだ」


 少なくとも今は。

 そう、青年は語る。

 まだまだ、この新しい運命との付き合い方は、量りかねるけれども――


「俺は力を与えられた。だから世界を守る。

 それを……十和成哉が生きる理由にするよ」


 ふたりは街の外れまで移動し、隠してあったパワードスーツを身に纏った。


 そうして、騎士は跳ぶ。

 次元の彼方、まだ見ぬ異世界へと――

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