第二十部

「父も私と同じで、ちょっと強引で、ちょっと天才。……分かってくれると嬉しいわ。」

画面の中の文字列を見つめながらも――

もう頭はそこにいなかった。

「まだ“答え”は出してないけど……

どっちを選んでも、俺は結局、君の中に巻き込まれるんだな。」

「日本を変えるためならね。」

彼女の声は――柔らかかった。

「私は、必要なことは――何でもするつもり。」

「そして先輩は……私が見つけた“最後のピース”なの。」

それは、説得でも誘惑でもなかった。

――ただの宣言。

まるで、このシナリオはずっと前から決まっていて、

今の俺は、その“台本通り”に動いているだけのようだった。

「それって……“断れない告白”みたいだな。」

「運命は――変えられないもの。」

そう言って、彼女はゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてきた。

「でも……もし“早めに気づけた”なら――

変えられる“部分”もあるのよ。」

そう、ささやくように言ってから――

彼女は俺を、真正面から見つめた。

……この距離は、“職場の同僚”としては近すぎた。

そして、この空気は――

“仕事の相談”としては、あまりにも熱すぎた。

「だからこそ……神田吉兵さん。」

「無理にとは言わない。でも……お願い。」

「私と一緒に、この国を救ってほしいの。」

……言葉が出なかった。

なぜだろう。今の彼女の笑顔は、

“首相の娘”でも、“博士号を持つ才女”でもなかった。

――ただの、一人の少女。

初めて誰かに、自分の“人生そのもの”を賭けようとしている――

そんな少女の、純粋な想いだった。

……まさか。

人生の主人公だなんて、一度も思ったことなかった俺の目の前に、

まるで小説のヒロインのような存在が――

“未来”を差し出してくる日が来るなんて。

未来を諦めかけた俺に。

「……せめて、将来“恋人”の一人くらいはできるよな?」

そう冗談めかして聞いてみた。――半分、本気で。

伊豆原は、柔らかく笑った。

その笑みは、いつもの小悪魔的なものでも、

裏に何かを隠したものでもなかった。

――ただ、あたたかくて人間らしい微笑みだった。

「ふふっ……それはね、先輩がもっと頑張ったら、かしら。」

「でも、“試験”にちゃんと合格できれば――

きっと“ふさわしい人”に巡り会えるわ。」

俺は思わず、小さく笑った。

……初めてだった。

逃げるためじゃなく、

“心からの返答”として、言葉を紡いだのは。

「本当に……面倒な女だな。」

「でもその“面倒な女”が――

誰かの運命を“あるべき場所”に導けるかもしれないわよ?」

そう言って、彼女は缶コーヒーを俺に手渡した。

軽く、カチンとぶつけ合う。

二本の缶。……二つの運命。二つの人生。

いつからか交差し始めた、それぞれの軌道。

「それで、先輩の選択は?」

彼女が――静かに問いかけた。

「……俺に、選択肢なんてあったか?」

そして――二人で、静かに笑った。

声を抑えた、けれど確かな“理解”を共有した笑いだった。

その夜のオフィスは、静かすぎた。

――大きな決断の舞台にしては、あまりにも穏やかすぎた。

でも……分かっていた。

こういう“小さな一歩”こそが、

給料でも野望でも測れない――

“もっと大きな何か”の始まりになるってことを。

……これは、もう引き返せない役割の始まり。

ヒーローでもなく、恋人でもなく。

……ただの一人の人間として、

「僕がやります」――そう言えるかどうか。

彼女をもう一度見たとき、

俺は――確信していた。

たとえ俺たちが、完璧なカップルになれなくても。

たとえ日本を、簡単には救えなくても。

……少なくとも今夜、俺たちは“共に歩む”ことを選んだ。

たとえそれが、ほんの束の間だったとしても。

たとえ――いつか世界が二人を引き離すとしても。

それでも――

東京の夜風と、コーヒーマシンのかすかな音の中で。

……“まだ戦える未来”が、確かに、そこにあった。

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静かな契約 契約は、恋よりも冷たくて、未来よりも熱い @Elnight

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