第2話:星の地下工房
次に目を開けた時、目に飛び込んできたのは、今まで見たことのない光景だった
天井らしきものはなく、頭上には信じられないほど近くに、夥しい数の光点が瞬いている
それは地球の夜空に散らばる星々とはまるで違い、一つ一つが大きく、鮮やかな色を放ち、まるで巨大な宝石を散りばめた天蓋のようだった
その光景はあまりにも壮大で、自分がどこにいるのか、一瞬たりとも理解できなかった
ゆっくりと視線を下ろすと、足元には硬く、ざらついた感触の地面が広がっている
それは地球の土やアスファルトとは異なり、黒曜石のように鈍い光沢を帯び、所々に奇妙な模様が浮かび上がっていた
足の裏から伝わるその感触は、どこか粘り気を帯びているようでもあり、踏みしめるたびに、微かな、しかし耳に残る「カシャン」という金属音が響いた
空気はひんやりとして、地球とは違う、微かに金属のような、そしてほんのり甘いような、不思議な匂いが鼻をつく
周囲を見渡すと、私以外に人影は見当たらない
勇気くんの姿も、愛ちゃんの姿もない
遠くには、尖った奇妙な形の岩山が連なり、その向こうには、見たことのない巨大な植物のようなものが、不気味なシルエットを描いている
空には、地球の月よりもずっと大きく、赤みを帯びた球体が異様な存在感を放っていた
その赤い光が、周囲の景色を不気味な色に染め上げている
私の視野は、今まで生きてきた地球という狭い世界から、一気に広大な宇宙へと放り出された
自分が今、どこにいるのか、どうしてこんな場所にいるのか、全く見当もつかない
ただ、目の前に広がる異質な光景が、ここがもう私の知っている地球ではないことを、否応なしに突きつけてくる
心臓が早鐘のように打ち、全身が冷たく粟立った
まさか、本当に宇宙に連れてこられてしまったなんて――
「え……嘘でしょ? ここ、どこなの……? 夢? まさか、まだ寝ぼけてる? いや、だって、さっきまで勇気くんと愛ちゃんを追いかけてて……
公園にUFOが……まさか、本当に、本当に連れてこられちゃったの? 何がどうなってるのよこれ! 冗談でしょ!? こんなこと、ありえない、ありえないわ!」
かすれた声で呼びかけても、返事はない
広がるのは、異世界の静寂だけ
私一人だ。
その事実に、胃の奥が冷たくなった
その時、私の目の前に、突如として空間が歪み、ぼんやりとした光の柱が現れた
その光の中から、ひときわ大きく、丸い目をした存在がゆっくりと姿を現した
それは、絵本で見た宇宙人のようでもあり、まるで生き物のように蠢く奇妙な触手を持っていた
声は聞こえない
だが、私の頭の中に、直接響いてくるような感覚があった
「パンヲ作レ……ソノ形、ソノ味……モウ一度……。チイサキモノガ、欲シテイル」
混乱する私の意識に、その言葉が直接流れ込んできた
形……味……そして
「小さなものが欲しがっている?」
私の脳裏に浮かんだのは、愛ちゃんが大事そうに抱えていたUFOクリームパンだった
まさか、この宇宙人は、あのパンのために私を連れてきたのだろうか?そして、愛ちゃんは、その「小さなもの」と一緒なのだろうか?
宇宙人は、私を何かへと誘うように、触手で空間の一点を指し示した
その先には、地球のキッチンを思わせるような空間が広がっていた
ステンレス製の広い作業台、巨大なオーブン、ミキサー、そして、見慣れた小麦粉やバター、卵、牛乳といった食材が、きちんと整理されて置かれている
全てが揃っていた
だが、そこは地球とは異なる、異様な静寂に包まれていた
私は、言われるがままにその調理場へ足を踏み入れた
足を踏み入れた瞬間、床からかすかに金属が擦れるような低い音が響いた
冷気を感じるほど空調が効いていて、壁際には見たこともない奇妙な形状の植物が、淡い光を放ちながら天井まで伸びていた
地球の調理場とは似ても似つかない、無機質でありながらどこか神秘的な雰囲気が漂う場所だった
「パンを……作れってことなの?」
誰もいない空間に、私の声だけが虚しく響く
私には、その言葉の重みが、今まで以上にずっしりと心にのしかかった
美佳先輩の厳しい指導も、焦げ付く失敗も、全てはこの日のためだったとでもいうのだろうか
それから、私の宇宙でのパン作りが始まった
■星の地下工房
宇宙人は、常に私を監視しているようだった。言葉は通じないが、彼らのテレパシーは明確だった
「違ウ、ソノ風味デハナイ」
「違ウ、ソノ形デハナイ」
「モット……アノヒカリヲ……アノ、ヤサシイ甘ミヲ」
私が一生懸命作ったパンは、焼いても焼いても、彼らの「満足」を得ることはできなかった
地球と同じ材料を使っても、宇宙の微細な環境の違いが影響するのか、どうしても同じ味、同じ形にならないのだ
生地の膨らみ具合、焼き色、そして何より、あのUFOクリームパン特有の、ふっくらとした形状と甘く優しいクリームのハーモニーが再現できない
焦げ付いた失敗作が山と積み上がり、オーブンの熱気が、地球のパン屋とは違う、冷たい絶望の汗となって私の背中を伝った
美佳先輩の
「パンは生き物なのよ。丁寧に扱ってあげないと、美味しくなってくれないわ」
という言葉が頭の中をこだまする
だが、ここには厳しい先輩も、温かい窯の熱もない
あるのは、理解できない宇宙人の要求と、膨大な失敗作だけだった
「もう嫌だ! どうすればいいのよ、一体! 美佳先輩、私、もう無理だよ
パンが生き物だなんて、そんな優しいこと、この状況でどう考えればいいの!? そもそも、小麦粉だって、牛乳だって、卵だって、本当に地球と同じものなの? ここって、何? 宇宙? 地球のパンが、宇宙で通用するわけないじゃない! 助けてよ、勇気くん……私、パン屋になったのも、ここに来たのも、全部、あなたのそばにいたかったからなのに……こんな場所で、一人で、どうしたらいいの……!」
恋愛どころか、パン屋として、人として、私は一体何をしているんだろう
ただ勇気くんと一緒にいたいという一心で足を踏み入れたパンの世界は、こんなにも厳しく、そして、とんでもない方向に転がってしまっていた
私一人で、愛ちゃんを取り戻すため、宇宙人の求める「パン」を作り続けるしかなかった
しかし、愛ちゃんの姿は依然として見当たらない
彼女がどこにいるのか、無事なのかさえ分からず、そのことが私の心を深く蝕んでいった
■惑星の息吹を探して
何日、いや、どれほどの時間が流れたのかも定かではなかった
私の手はひび割れ、体は疲労で限界に達していた
それでも、宇宙人の「モット……」というテレパシーと、愛ちゃんがどこかで待っているかもしれないという、わずかな希望が、私を突き動かした
彼女の無事を信じることだけが、この狂気の淵で私を繋ぎ止める糸だった
ある日、宇宙人が調理場に奇妙な装置を設置した
それは、焼きたてのパンを近づけると、様々な色の光を放つ「味覚センサー」のようなものだった
私が地球での知識を総動員してUFOクリームパンを焼いてみても、このセンサーは常にくすんだ色や不安定な光を放つばかり
宇宙人の触手がその光に触れると、さらに強い「違ウ」というテレパシーが送られてくる
それは私にとって、明確な失敗の指標であり、同時に大きなプレッシャーとなった
生地をこねるたびに、地球とは違う重力と気圧が、私の指先に奇妙な抵抗感を与えた
小麦粉は異常に軽く感じられたり、逆にまとまりにくかったり
発酵は速すぎたり、反対に全く進まなかったり
オーブンに入れても、いつもと違う焼き色になったり、クラストが硬すぎたり、内側がスカスカになったり
あらゆる工程で、地球での経験が全く通用しない
「一体何が足りないの……!?」
私は叫んだ
宇宙人は、私の苦悩を無言で見つめるだけだった
焦げ付いたパンの山を前に、私は途方に暮れた
その時、宇宙人の一人が、私の前に跪き、触手で足元の地面を指し示した。そして、短いテレパシーが響いた
「外へ……行ケ」
外へ?私は驚いた
この異様な環境の中、一人で外に出るというのか
しかし、彼らの真剣な眼差しに、私は従うしかなかった
宇宙人は、私に薄く透明なヘルメットと、足元を保護するブーツを装着させた
ヘルメットからは、ごく僅かに、甘く湿った空気が送り込まれてくる
巨大な通路を抜け、鋼鉄のハッチが開くと、強烈な光が目に飛び込んできた
私は、生まれて初めて、別の惑星の大地に立った
頭上には、やはり無数の星が瞬いているが、ここは宇宙船の中とは違い、ひんやりとした風が頬を撫でる
その風には、土のような、しかしどこか不思議な、微かな電気のような匂いが混じっていた
足元は硬く、黒い岩がゴツゴツと突き出ている
遠くに見える奇妙な植物は、まるで意志を持っているかのように、ゆらゆらと揺らめいていた
「ここが……あなたたちの星なの?」
私の言葉に、宇宙人は応えない
ただ、彼らの触手が、岩場の一角を指し示している
そこには、地球では見たことのない、琥珀色の苔がびっしりと張り付いていた
苔に触れると、ひんやりとしていて、微かに発光している
その光は、かつて愛ちゃんが持っていたUFOクリームパンから漏れ出ていた「光の粒子」に似ているような気がした
私は、その苔をほんの少しだけ採取し、調理場に戻った
■未知の材料との格闘
調理場に戻ると、私は早速その琥珀色の苔を調べてみた
見た目は苔だが、潰してみると、ねっとりとした液体が滲み出る
そして、その液体からは、微かな、しかし力強い生命の匂いがした
私はこれを「星の酵母」と名付けた
私は、地球から持ってきた小麦粉に、その星の酵母をほんの少しだけ混ぜてみた
すると、すぐに変化が現れた
生地が、まるで自ら呼吸を始めるかのように、微かに振動し、淡い光を放ち始めたのだ
発酵も、地球の酵母とは全く違う
ゆっくりと、しかし確実に、生地全体が膨らんでいく
次に問題になったのは、水だった
この星の水は、地球の水道水とは比べ物にならないほど硬質で、金属的な味がした
試しにその水で生地をこねると、生地が硬くなりすぎたり、逆にべたついたりした
宇宙人は、私に、調理場の一角にある透明なチューブに繋がれた容器を指し示した
その中には、とろりとした、まるで星の雫のような液体が満たされている
「これを……使うの?」
私が恐る恐る尋ねると、宇宙人は静かに頷いた
その液体を少量、生地に混ぜると、これまでの硬さが嘘のように生地が滑らかになり、微かに甘い香りが立ち始めた
まるで、生地そのものが喜んでいるかのような感覚だった
他にも、この星には様々な不思議な材料があった
地面に埋まっていた、宝石のように輝く結晶。それは、砂糖のように甘く、少しだけ加えるだけで、パン全体に深みのある甘さを与えた
奇妙な形の木の実からは、地球の卵のような、しかしもっと濃厚で、不思議な香りがする油分が取れた
宇宙人は、言葉ではなく、行動とテレパシーで私に、これらの「新しい材料」の使い方を教えてくれた
「コノ実……混ゼヨ」
「ソノ水……少シ」
彼らの導きに従い、私は一つ一つ、この星の素材と向き合い、地球での知識と融合させていった
失敗は数えきれないほど繰り返された
それでも、少しずつ、少しずつ、生地は私の思い通りになっていった
夜、疲れて床に倒れ込むと、頭上の星々がまるで私を嘲笑っているかのように瞬いている
それでも、私の心には、微かな希望の光が灯っていた
愛ちゃんを地球に帰す
その一心で、私はこの星のパン職人として、未知の素材と格闘し続けた
■絶望と閃き
しかし、希望の光は、あまりにも小さく、すぐに闇に飲まれそうになった
星の酵母と星の雫を使っても、味覚センサーは相変わらずくすんだ色を放つだけだった
確かに生地は地球での成功作に近いものになってきていたが、宇宙人の求める「あの光」「あの優しい甘み」には程遠い
私は、地球のUFOクリームパンのレシピを脳内で何度も反芻した
小麦粉の種類、水の温度、イーストの量、発酵時間、捏ね方、焼き方、クリームの配合……
すべてを試した
しかし、宇宙の環境は、地球の常識をことごとく覆した
重力が違うため、生地の膨らみ方が不安定になり、同じ温度で焼いても熱の伝わり方が異なり、焼きムラがひどい
湿度も、地球のパン工房とはまるで違う
乾燥しすぎているのか、生地の表面がすぐに固まり、ひび割れてしまうこともあった
ある夜、私はもう限界だった
オーブンから取り出したパンは、またもや失敗作
硬く、ひび割れた表面に、不自然な焦げ目がついている
味見をすると、どこか金属のような味がした
絶望のあまり、私はそのパンを床に投げつけた
「もう嫌だ! なんで、なんでできないの!? どこが違うのよ、教えてよ、宇宙人! 私、もう疲れちゃったよ……」
泣き叫ぶ私の声は、広い調理場に虚しく響き渡る
宇宙人は、変わらず無言で私を見つめているだけだった
その視線が、私をさらに追い詰める
その時、ふと、私は美佳先輩の言葉を思い出した
「パンは生き物なのよ。丁寧に扱ってあげないと、美味しくなってくれないわ」
「生き物」……
私は、これまでパンを「モノ」として捉え、レシピ通りに作ろうとばかりしていたのではないだろうか
この星の素材は、私が出会ったことのない「生き物」だ
地球の酵母のように、星の酵母も、星の雫も、それぞれに個性があるはずだ
私は、失敗作のパンを拾い上げた
硬く、冷たくなったパン
しかし、その表面から、微かな「電気のような匂い」がした
それは、私が惑星に降り立った時に感じた、あの匂いと同じだ
もしかして、この星のパンには、地球のパンとは違う、「生命力」のようなものが必要なのではないか?
私は、調理場に置かれた奇妙な植物に目をやった
淡い光を放ち、天井まで伸びているその植物
これまで、ただの飾りだと思っていたが、もし、これがこの星の「生命力」の源だとしたら?
私は、恐る恐るその植物に近づいた
触れてみると、ひんやりとしていて、脈打つような微かな振動が伝わってくる
そして、その植物の根元には、土のようなものがある。しかし、それは地球の土とは異なり、微かに発光していた
「これ……ひょっとして、パンに使える?」
私の脳裏に、UFOクリームパンの「光の粒子」が鮮やかに蘇った
愛ちゃんが持っていたパンから漏れ出ていた、あの温かい光
もし、この植物が、その光の源だとしたら
私は、宇宙人にもらった特殊なナイフを取り出し、その植物の根元から、ほんの少しだけ土のようなものを採取してみた
それは、まるで星屑を固めたような、キラキラと輝く物質だった
■星の生命を宿すパン
調理場に戻り、私は新しいパンの試作に取り掛かった
まずは、星の酵母と星の雫をこれまでよりも慎重に混ぜ合わせた
そして、採取した星屑のような物質を、小麦粉に少量ずつ混ぜ込んでいく
すると、生地はこれまでにない反応を見せた
これまでとは比べ物にならないほど滑らかで、まるで絹のような手触りになったのだ
そして、その生地から、微かに、しかし確かに「温かい光」が放たれ始めた
それは、愛ちゃんのUFOクリームパンが放っていた光と、同じ種類の輝きだった
私は驚きと興奮で、震える手で生地を捏ね続けた
生地は、まるで私の手の動きに合わせて生きているかのように、しなやかに、そして力強く膨らんでいく
発酵も、これまでの不安定さが嘘のようだった
均一に、そしてゆっくりと、生地全体に生命が吹き込まれていくかのようだった
オーブンに入れる時も、私はこれまで以上に集中した
この星の重力と気圧に合わせて、焼き時間を微調整し、熱の伝わり方を予測しながら、慎重に火加減を調整した
数分後、オーブンから取り出したパンは、これまで見たことのないほど美しい焼き色をしていた
黄金色に輝くクラストは、ひび割れ一つなく、ふっくらと丸みを帯びている
そして、そのパン全体から、確かにあの「光の粒子」が、穏やかに、しかし力強く放たれているのが見えた
私は、そのパンを味覚センサーに近づけた
すると、センサーはこれまでにないほど鮮やかな光を放った
赤、青、緑、黄……
まるで虹色の光がダンスを踊っているかのように、きらきらと輝いている
そして、宇宙人の触手がその光に触れると、彼らの体から、これまでにないほど強い「ヨシ……!」というテレパシーが、私の脳内に直接響き渡った
私は、恐る恐るそのパンを一口食べてみた
口に入れた瞬間、小麦粉の香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、ふんわりとした食感が舌の上で溶ける
そして、これまで感じたことのない、深みのある甘さが口いっぱいに広がる
それは、砂糖の単調な甘さではなく、星の結晶の持つ複雑な甘みと、奇妙な木の実の油分が織りなす、奥深いハーモニーだった
そして何よりも、パン全体から放たれる「温かい生命力」のようなものが、私の全身を満たしていく
それは、ただの食べ物ではなく、まるで魂のこもった芸術品のようだった
「これだ……! この味だ……!」
私は、確信した
この星の素材と、地球でのパン作りの知識を融合させることで、ついに宇宙人の求めるパンを作り出すことができたのだ
そして、このパンには、愛ちゃんのUFOクリームパンが持っていた
「あの光の粒子」が宿っている
宇宙人は、私の作ったパンを無言で受け取った
彼らは、そのパンをゆっくりと、しかし確実に、まるで宝物のように抱きしめた
そして、私に深々と頭を下げた
それは、彼らの感謝の表現なのだろうか
■新たな使命と残された希望
成功した喜びも束の間、私の心には新たな疑問が生まれた
「このパンを、どうするの? そして、愛ちゃんはどこにいるの?」
宇宙人は、パンを抱えたまま、私を調理場の奥へと誘った
そこには、これまで気づかなかった、巨大なガラス張りの部屋があった
部屋の中には、無数の小さな生命体が、まるで卵のように丸まって眠っていた
そして、その一つ一つが、微かに、しかし確かに光を放っていた
それは、私が作ったパンが放つ光と同じ種類の光だった
私は、息をのんだ
もしかして、これらの小さな生命体が、宇宙人が言っていた
「小さなもの」なのだろうか?
そして、彼らは、私が作ったパンの「光」を求めているのだろうか?
私の脳内に、宇宙人のテレパシーが直接響いた
「コノ子ラハ、飢エテイル……光ヲ、欲シテイル……
オマエノ作ルパンガ、ソレヲ与エル
そして、おまえの探す「チイサキモノ」もまた、この光を求めている」
私は、すべてを理解した
宇宙人は、地球のUFOクリームパンの「光」と「甘み」を求めていたのだ
それは、彼らの子どもたちが、生命を維持するために必要なエネルギーだったのかもしれない
そして、彼らが探している「小さなもの」の中に、愛ちゃんも含まれている可能性があった
しかし、彼女の姿は、この広大な空間のどこにも見当たらなかった
愛ちゃんがどこかにいるという確証は、宇宙人の曖昧な言葉と、私の薄い希望の中にしかない
私の使命は、ただパンを作ることだけではなかった
この星の小さな命を救い、そして、いつか愛ちゃんと再会するために、私はこの星で、パンを作り続けなければならない
しかし、同時に、大きな不安が私の心を支配した
この大量の小さな生命体たちに、どれだけのパンが必要なのだろうか
そして、いつまで、私はここでパンを作り続けるのだろうか
地球に帰れる日は来るのだろうか
勇気くんは、私を心配しているだろうか
私の視線の先で、宇宙人が、私が作ったパンを小さな生命体の一つにそっと与えた
すると、その生命体は、ゆっくりと目を開け、まるで光に導かれるように、パンを口にした
そして、その体から、これまでよりもはるかに強い光が放たれた
それは、希望の光だった
私は、再び調理場に戻った
私の手は、疲れでひび割れていたが、心には新たな決意が宿っていた
この星で、私はパン職人として、そして一人の人間として、戦い続ける
愛ちゃんを、この星のどこかにいるかもしれない愛ちゃんを、見つけるために
■終わりのない挑戦
日から夜へ、そして再び朝へと、時間の感覚は曖昧になっていった
私がパンを焼き続けるたびに、宇宙人の「ヨシ……!」というテレパシーは強くなり、味覚センサーの光はより鮮やかに輝いた
私は、星の酵母と星の雫の最適な配合を見つけ、
星の結晶と奇妙な木の実の油分を使いこなす術を身につけていった
それでも、パン作りは常に挑戦だった
この星の環境は、常に変化しているようだった
ある日は湿度が異常に高く、生地がべたついて扱いにくくなり、またある日は重力がわずかに変化し、生地の膨らみ方が変わる
私は、その都度、経験と勘を頼りに、レシピを微調整していった
特に難しかったのは、「あの優しい甘み」の再現だった
星の結晶は確かに甘いが、地球のクリームパンの、ふんわりとした優しい甘さとは少し違う
私は、調理場にあった他の奇妙な植物や、地下で採取した未知の鉱物なども試してみた
中には、口にすると舌が痺れるようなものや、強烈な苦みを持つものもあった
しかし、諦めるわけにはいかなかった
ある時、調理場の隅に、これまで気づかなかった小さな水槽のようなものを見つけた
中には、まるで小さな星々が泳いでいるかのような、発光する微生物が漂っていた
宇宙人が、テレパシーで私に語りかけた
「ソレ……混ゼヨ」
私は半信半疑で、その微生物を少量、クリームに混ぜてみた
すると、クリームは、これまでにないほど滑らかで、驚くほど軽やかな甘さになったのだ
そして、そのクリームから、UFOクリームパン特有の、ふんわりとした「光の粒子」が放たれ始めた
「これだ……! これが、あの優しい甘みだったんだ!」
私は歓喜した
この星には、地球では想像もできないような、無限の可能性が秘められている
美佳先輩が教えてくれたパン作りの基礎は、確かに私の土台となっていた
しかし、この星では、その基礎の上に、全く新しい知識と感覚を積み重ねていく必要があったのだ
私は、新たな素材と向き合うたびに、宇宙の奥深さに感動した
地球では決して出会うことのない素材が、パンに新たな生命を吹き込む
それは、まるで錬金術師になったかのような感覚だった
■広がる世界と深まる孤独
私がパンを作り続ける中で、ガラスの部屋の小さな生命体たちは、次々と目覚めていった
部屋は、無数の光で満たされ、まるで星空のようだった
彼らが目覚めるたびに、宇宙人の私に対する信頼も深まっていった
彼らは私に、この地下工房のさらに奥、彼らの文明の秘密を垣間見せることもあった
彼らの技術は、地球のそれをはるかに凌駕していた
光をエネルギー源とし、重力を操り、時間を歪めることもできるとさえ感じられた
私は彼らの協力を得て、調理場をさらに改良した
この星の気圧や重力、湿度を自動で調整できる装置を導入し、最適なパン作りができる環境を整えたのだ
私のパン作りの技術は、この星で飛躍的に進化した
地球の常識にとらわれず、この星の素材を最大限に活かすことで、私は、かつてないほど美味しく、そして「光」を放つパンを生み出すことができるようになった
私の作るパンは、もはや単なる食べ物ではなかった
それは、この星の生命体に力を与え、彼らの文明を維持する上で不可欠なものとなっていた
しかし、私がこの星で唯一のパン職人として、彼らにとってかけがえのない存在となるにつれて、私の心には、地球への郷愁と、勇気くんや愛ちゃんへの思いが、より一層募るようになっていた
日々のパン作りは充実していたが、ふとした瞬間に、地球のパン屋の匂いや、美佳先輩の笑顔、そして何よりも勇気くんの優しい声が頭をよぎる。愛ちゃんは、本当にこの星にいるのだろうか?
もしかしたら、どこかの違う星に連れて行かれてしまったのではないだろうか?
私の孤独は深まるばかりだった
■星のパン職人として
何年もの月日が流れたのか、それとも数十年が経ったのか、もはや私には分からなかった
宇宙船のハッチが再び開くことはなかった
地球への帰還という希望は、いつしか私の心の中で薄れ、代わりに、この星でパンを作り続けるという現実が、私のすべてとなっていた
私の手は、惑星の硬い素材を捏ね続けた結果、タコができて変形し、肌は乾燥しきっていた
しかし、その手から生まれるパンは、もはやこの星の生命を宿した、奇跡の産物だった
私のパンは、この星の「小さなもの」たちに生命の光を与え続け、彼らの文明は私のパンによって支えられていた
宇宙人たちは、私を彼らの仲間として、深く尊敬してくれていた
彼らは私に、この星の言語や文化、そして彼らの持つ高度な知識を教えてくれた
私は、もはや地球人としての名前を呼ぶこともなく、彼らが私を呼ぶ
「ホシノパンツクリ(星のパン職人)」という名で呼ばれることを自然に受け入れていた
私は、この星の地層を深く掘り下げ、新たな素材を発見する旅にも出た
発光する菌類、共鳴する鉱石、そして、食べた者に奇妙な夢を見せる果実……
それらの素材をパンに織り交ぜることで、私のパンは無限の進化を遂げた
時には、そのパンが、小さな生命体たちの間に新たなコミュニケーションを生み出し、彼らの文化に影響を与えることさえあった
私のパンは、もはや愛ちゃんのためだけのものではなかった
それは、この星のすべての生命のための、希望の光となっていたのだ
■永遠のパン
ある日、私は、ガラスの部屋で目覚めたばかりの、最も小さな生命体の一匹に、特別なパンを与えた
それは、この星で私が作り上げた、すべての知識と技術を注ぎ込んだ、究極のパンだった
そのパンは、まるで生きた宝石のように輝き、部屋中に優しい光を放った
小さな生命体は、そのパンを口にすると、その体から、これまで見たことのないほどの、強烈な光を放った
そして、その光は、ガラスの部屋の壁をすり抜け、遥か頭上の星空へと伸びていった
その瞬間、私の脳裏に、遠い地球の記憶が蘇った
公園の片隅で、UFOクリームパンを抱きしめる愛ちゃんの姿
そして、私を心配そうに見つめる勇気くんの顔
彼らは、今、どうしているだろう
私が地球に帰れないことを知らずに、私のことを探し続けているのだろうか
私の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた
それは、もはや地球への帰還を願う涙ではなかった
彼らの幸せを祈る、静かな、そして深い愛の涙だった
宇宙人は、私の傍らに立ち、静かにテレパシーを送った
「オマエノ作ルパンハ、永遠ニコノ星ヲ照ラスダロウ。オマエノ想イハ、我々ガツタエヨウ」
私は、この星に生きることを選んだ
勇気くんや愛ちゃんには、もう会えない
しかし、私のパンは、この星で永遠に生き続ける
そして、私のパンを通して、彼らに、私の想いが届くことを願った
私は、星の光の下で、今日もパンを焼き続ける
私のパンが、この宇宙のどこかで、勇気くんと愛ちゃんを、優しく照らしてくれることを信じて
そして、その信念が、私の心を強くさせた
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