@id0l_

パトリコールとチョコミント

わたしは十六歳。日本の何処かで生きる、女子高校生です。みなさまも、女子では無くても、わたしと同じ年齢のときがあったことでしょうし、或いは現在進行形か、また未来の話かも知れません。これは大人になってゆくわたしの、死んでいった日々への餞です。わたしの等身大の退屈と幸福の、青春の日々を書きます。忘れてゆく酸いと甘いをできる限りに抱きしめた、わたしの日記です。



雨の匂いがして、廊下の窓から身を乗り出すと空は調子の悪そうな顔色をしていました。蒸し暑くて、なんだか梅雨がまた遅れてやって来たようにも思えます。掃除の時間に流れる知らない音楽を聴きながら、わたしは湿り気の多い廊下を、可燃ごみを入れた半透明の黄色い袋を握りしめて歩きました。さいきん考えるのは、じぶんのことばかり。すべてを書き散らすのはなんだか気恥ずかしい様に思うけれど、等身大を書くと意気込んだばかりに何も言えません。

数字だけがだんまりしたまま増えていって、でもわたしはずっと胸のうちに閉じこもって変わらないままでいるような気がするのです。それを思うとなんだか鼻がつんとして、心が締め付けられた気分になります。大人になることが、わたしにはとても恐ろしい。この教室に二度と戻らない日が来ることが、苦しくてたまりません。わたしは何にも変わらないのに。身長だってもう伸びませんし、授業は無限に続くように思えます。しかしそれでも、青春の期限が迫っているというのです。なんて残酷なことでしょう。きっとこうなって、いつしか諦めがついて、そうして大人になるのでしょうね。諦め、だなんて、こんなに情けない、美しい眩さのない言葉があるものなのかと、わたしは思います。でもきっと、それは若者の宿命なのだとも思うのです。



お友だちの二人と一緒に、いつもお昼ご飯のお弁当を食べています。彼女たちは可愛くて、若さに満ちあふれていて素敵で、わたしはだいすきです。家に居場所が無くなったって、彼女たちとお友だちでいられるならそれでもいいと思います。わたしと共通点の多い、彼女のうちの一人の今日のデザートは、芋けんぴでした。もう一人の女の子には、わたしのお弁当に入っていたさつまいもをあげました。

「何歳まで生きたい?」という話になって、随分その質問に悩まされていると、二人はわたしは百三十歳、できるなら八十歳よりは、と笑っていました。わたしは答えられなかった。そんな風に将来の幸福を願う彼女たちの邪魔をしたくなかったから。

生きるのが辛いのかと言われるとそうではなくて、将来の幸福を思えないのかと言われるとそれも違っていて、なんだか難しいのです。ただ、そんなに長くは生きたくないと思っています。生きるのは難しい。わたしにはせいぜい三十年くらいがお似合いな気がします。この世界は、社会は、わたしには窮屈です。でも死んでしまったところで骨壺はもっと窮屈だと思うと、考えるのを辞めてしまいたくなる。やっぱり生きるのは難しい。死ぬのはもっと難しい。


学校からの帰り道、コンビニでチョコミントのカップアイスを買いました。わたしはチョコミントがだいすきです。爽やかな風味と、チョコレートのやさしい甘さがたまらなく幸せで、食べている間は気持ちが安らぎます。この夏には、わたしにも、チョコミントよりもすきだと思えるひとが現れるでしょうか。ハーゲンダッツのミント味は発売されるのでしょうか。そんなことを考えながら、今日を綴っているともう三十分も経っていました。アイスは柔らかく溶けてしまった。どうか明日もその次の日も、一生懸命に生きられますように。毎日を生きるひとびとが、少しでも幸福でありますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

@id0l_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ