午前三時

R.J.マニング

午前三時

 深夜、グラスゴー大聖堂の裏手の東に位置する共同墓地に笑い声が響いていた。共同墓地で二番目に高い丘の上に立ち並ぶ墓石群の中、丘の頂上のジョン・ノックスの記念碑から離れた丘の北東の端に位置する墓石より左に三つ墓石を横切り、南に進めば、その笑い声の主はいた。


 男は名をアレリック・レッドラムといい、ミザリー・レッドラムと刻まれた墓石の前に足を組んで座って、左膝の先の地面に角灯ランタンを置き、酒瓶を片手に酒をあおりながら、誰にも聞えぬ感謝の言葉を目の前の墓石に向かって吐いたり笑ったりしているのであった。深夜の墓地に立ち入るなど尋常のことではないが、この男は何も共同墓地に無断で入った訳ではない。男はグラスゴーのウィリアム・トマス・ハリソン司教に特別に許可を貰い墓地に入っているのだった。しかし、男が何故に墓石に感謝を述べたり笑い声を上げたりするのか、それは言葉をつむぎ笑い声を上げる当人にしか分かるまい。


 ただでさえこの日は生暖かい空気ばかりが漂ってそよりとも風の吹かぬ新月の夜の闇に包まれた不気味な夏の日だったが、男は暗闇の恐怖を知らぬ様に何度も何度もよく響く笑い声を上げていた。しかし男はある瞬間にふと笑い声を止めた。そして、不思議そうに周りを見回した後、何やら気が変わったらしく、酒瓶を左手側の視界の端にあるカビコケに覆われた墓石のそばに投げ捨て、何だか肌寒くなってきたとつぶやくと共に角灯の持ち手を握って立ち上がって足早に墓場から立ち去ろうとした。


 だが、男は気が付けば転んで前のめりに雑草のしげる地面に顔を突っ込んでいた。男は訳も分からぬと困惑した様子で地面に手を付いて振り返って、幸いにも壊れることなく男の傍に見事に着地していた角灯のあわい光に照らされた、己の転んだ訳を知り恐怖のあまりに絶叫を上げた。いつの間にか開いた地面の裂け目から突き出た細い人の腕が彼の足首を掴んでいるのであった。


 男は絶叫を上げ続け、身をひるがえして足を掴む手を何とか解こうとしたが、その手は万力の如き力で掴んでおり、幾ら力を籠めようとも全く歯が立たなかった。だが、叫び続ける内に男の恐怖は次第に怒りに変わり、傍に落ちていた角材を掴んでその裂け目から突き出ている腕の隣に新しく出て来た人の頭に思いっきり振り下ろして幾度となくえて、絶叫を怒りに満ちた罵声に変えた。


「放しやがれ!この死にぞこないが!棺の中に帰りやがれ!」


その頭はもう片方の手で角材から頭をかばって悲鳴の入り混じった声を上げた。


「痛い!痛い!手を止めてくれ!酷いじゃないか!あんたのせいで記憶喪失になってしまったじゃないか!」


「知るものか!お前の言う通り手を止めたぞ!さあさっさと放しやがれ!」


 男が手を止めて同じ言葉を繰り返すと共にその黒い肌の頭は不思議そうに首をかしげて言った。


「何で俺はあんたの足を掴んでいるのだろうなあ?だが掴んでおかないといけないことだけは分かっているんだよなあ。待った。ああ、思い出して来たぞ。おりゃ死者だった。主人が罪を犯したが為に一緒に処刑されたんだ。そして、地獄に落ちた。罪を犯した主人の奴隷だからって理由でだ。全く酷い話だよなぁ」


 男はまるで話の通じぬその死者の態度に更に腹を立てて再び死者の頭を打ち据えて、またしても言葉を繰り返した。


「放せ!汚らしい黒手の浅ましい地獄の住人が!地獄の奥底にさっさと帰りやがれ!」


 その男の攻撃をもう片方の腕で防ぎながら、死者は変わらず男の言葉を無視して待った、もう一つ思い出したぞと言って嬉しそうに言葉を続けた。


「あんたの奥さん浮気をしているな。あんた、彼女の家族を経済的に追い詰めて己と結婚するしかないように追い込んだんだな。今、彼女は元々の許嫁いいなずけ逢瀬おうせして泣いているぞ。可哀そうな奥さんだ」


 男は思わず目の前の出来事も忘れて天をあおいで罵声を吐いた。


「あの小娘が!金を返してやった恩も忘れやがって!」


 男はこの言葉の後、怒りのあまりに死者の頭を打ち据える手も止めてこの!この!…と顔を真っ赤に言葉も継げずに何度も口を閉じたり開いたりして何とか罵声を吐こうとしたが、口からこぼれるのは怒りのあまりに言葉を忘れたか細い呼吸音だけだった。そして、ぜえぜえと荒い息を吐く男をしばらく見てから、死者は何かひらめいたかの様に目を一瞬輝かせてああ、と一人納得して再び男に語り掛けた。


「全部思い出したぞ。あんた、親族全員に色々とささやいて互いに殺し合わせる様に仕向けたんだな。そして、親族の財産が全て己に転がり込む様にした。だが、どれだけあんたが悪質だろうと地獄にそれを裁く法はない。故に地獄の裁判官たるミノス様はあんたのせいで死んだ死者達を集めて話し合わせて、あんたの処遇を決めた。あんたは全会一致で直ちに地獄に連れて行くことが決定したんだ。そして、俺はあんたを地獄に連れて行く為に送られたんだったよお」


 体の何処にそれ程の息が残っていたのか、男は空気を切り裂く程の凄まじい絶叫を上げて一瞬で地面の奥底に引きずり込まれ、それと共に地面の裂け目は閉じて跡形もなく消え失せた。その場に唯一残ったのは、風の吹き始めた夜に一人さみしく油を切らして炎の消えた角灯だけだった。

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午前三時 R.J.マニング @001-003567

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