第17話
その後の魔神はあっけなかった。
どれくらいあっけなかったかというと、虫けらのようにあっけなかった。
《プレイヤー》の真の姿は、先ほどとは打って変わって天使のようだった。
悪魔が実は天使だった、なんて言うのはよくある話だ。ただし、彼女はおそらくそのどちらでもないけれど。
魔神はそんな、神に近い相手に対しても果敢に挑んだ。
私の分身のおかげで全回復した彼ならばいける。私も魔神も、ワンチャンそう思って板に違いない。
けれど、そんなチャンスすら敵は拝ませてくれなかった。
第三形態に移行した朧は、それはもう殺意の塊だった。
天使とは神の意向を伝える存在である。それを見せつけてくるかのような、光の雨。
降り注ぐ光は全て槍のように鋭く、あらゆる物を刺し貫いた。
そこに貴賤はない。
影だろうと物質だろうと、目に見えるもの全てが攻撃対象。おまけにこの世のものではないからなのか、奪うことすらままならない。
魔神はそれでも、何とか一矢報いようと抵抗を続けたが、全て無駄な足掻きだった。
第三形態にして、最強最大というまさかの初見殺しに対し、私たちは為す術を持たなかったのである。
「もうよい。貴様たちにはもう飽いた」
一段上の状態を解放し、悟りに近付いたのか、彼女はとてもつまらなさそうだった。
「うーむ……」
「珍しく考え込むじゃねえか。辞世の句でも考えてたか?」
「いえ、誰か犠牲になってくれる人でも居ないかなと思って」
この場合、逃げるにしろ誰か一人は犠牲になって貰わないとダメそうだ。
しかしここにいるのは、私と魔神の二人だけ。どちらが欠けても、困ったことになる。
「あ……」
と、私は急にあることを思い出す。
「何だあ?」
「ありましたよ、フラグ」
これはちょっと、忘れていたのを申し訳なく思う。
ただそれくらいには窮地だったのだ。ご容赦下さい。
「ピー子おおおおおぉぉぉ!」
あの《プレイヤー》に奪われた彼女の名前を呼ぶ。
リソースとして消費されていなければ、まだいくらか残滓が残っているはずだ。
「無駄なことよ」
「ピー子おおおおおぉぉぉ! 居たら返事してぇぇぇぇ!」
と、《プレイヤー》の肉体が、チカチカと光り出す。
「なにッ!?」
自分のなかに異分子が残っていたことに戸惑いを隠せない様子。
朧は、まるでたかるハエでも振り払うように、身体をブンブンと振り回す。
「というわけで魔神さん、ここで一発かましちゃってください!」
怯んでいる今がチャンス。さっきの一撃をもう一度打てれば、ゲージ一つ分くらいは削れるはずだ。
「いや、無理」
「え? いやいや、そんなはずないでしょ」
「お前もさっき見てただろ? あれはあいつの攻撃ありきだ。今の状態じゃ撃てねえよ」
「もー! しょうがないですね!」
私は魔神の顔を引き寄せ、そして――――
強引にその唇を奪ったのだった。
「おまっ……何しやがる……」
「魔神さんが私から奪ったのは、これが初めてですよ」
エネルギーなどの曖昧なものは、そのイメージし辛さから、これまで〝修復〟するのが難しかった。
しかしこうすれば、なんとなくイメージできる。イメージできてしまう。
「でもこれで、一発分くらいにはなったでしょ?」
「……チッ、悪いかよ」
魔神はそして、混乱状態にある《プレイヤー》に向けて、渾身の一撃をぶっ放したのだった。
「ぎゃあああああ!」
鼓膜をつんざく痛烈な叫び。
形態を移行しても、やはり有効なようだ。
「というわけで、ここらでトンズラと行きますよ、魔神さん」
「しゃーねーか。覚えてやがれよ!」
このまま戦い続けることも不可能ではない。
だがこの先に待ち受けている敵の行動パターンは、焦り→力を高める→発狂→爆発 と、どれをとっても申し分の無いやばさだ。
そしてこれらの行動に出られた時、残念ながら今の私たちに抗う術はない。
すなわち、三十六計逃げるが勝ちとか言うヤツだ。
「さて、これからのことは考えたくないんですが」
どうなることやら。想像するだけで胃薬が欲しくなる。
新しいものが好きなのは、ひとえに捨てることが嫌だからだ。
新しいものの方が、物持ちがいい。それは捨てなくていいことと同じだったから。
捨てるのが嫌なのは、物を値踏みしているようだからだ。
その物が使えるか使えないかなんて、人の勝手な基準だ。私にとって使えなくなったからといって、果たしてそれに価値がないだなどと、どうして断言できよう?
私は物の価値を定めるのが嫌なのだ。
だからどうか、私に目利きさせないで下さい。そう祈りながらこれまで生きてきたというのに。
ここに来て私は選択を迫られている。
朧は、ピー子と魔神の連係プレーにより、一時的に活動を停止させることができた。
だが、問題はここから先だ。
あの戦いさえ終われば、何らかの決着はつくだろう。そう思っていたのだが。
それは流石に見通しが甘かったようだ。
《処理落ち》は依然として進行している。
そしてその影響が、少しずつ出始めていた。
「こんなこと、現実にもあるんですね」
壁の一部が、剥がれていた。
それは壁紙が剥がれた、という意味ではない。何というか、壁そのものがこの世界から剥離してしまったようになっている。
剥がれ落ちた箇所は黒い穴のようになっており、この世界に映し出す光さえも失ってしまったと言った様相だった。
「テクスチャが剥がれ始めてきたか」
「テクスチャ? この世界って、何かに貼り付けられてるんですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「考えても無駄ってことですね」
私は早々に理解するのを諦め、現実に起きていることを飲み込もうとする。
「これってもしかして、見えてるのは私たちだけだったりします?」
良く見ると、街を行き交う人々のテクスチャも所々剥がれてしまっている。
しかしパニックになった様子もなく、いつも通り淡々と日常が続いているような気がしてくる。
「オレたちくらいなもんだろ? こんなもんが見えちまうのは」
「でしょうね。頭がおかしいのは、私たちだけで十分です」
こんな話を誰かにしても、頭がおかしくなったと思われるだけ。
だから私たちはきっと、頭がおかしいのだろう。
「このままゆっくりと、気付かないうちに私たちは世界から剥がされていくんでしょうか?」
「放っておけばな」
「ということは、早いところ戦いを終わらせないといけませんね」
とはいえ、朧を倒す算段はない。
今のままでは返り討ちに遭うのが関の山だ。
「延命くらいならできなくはないがな」
「私が〝修復〟すればいいんですよね?」
「察しが良くなってきたじゃねえか。ただし、全員は救えねえがな」
命の選択を迫られているわけか。
それは果たして、私が決めて良いことなのだろうか?
「誰を残せば良いと思います?」
「知らん。お前で決めろ」
「このままだとあみだかルーレットか、まあそういった決め方になりますね」
誰が生き残るのかランダムに決める。
何だかデスゲーム主催者になったようでわくわくしてきた。
「お前さあ、大事な物とかねえのか?」
「ありま……すよ? たぶん」
「どうして自信なさげなんだ……」
こう、改めて訊かれるとパッと出てこない。私の覚悟は、そこまでキマってないからなのだろうけど。
「決めておかねえと、後から後悔するハメになんぞ?」
「それは……わかってます」
大事な物は失ってから気付く。
そんなありきたりな言葉が、今になって響いてくるとは。
「運の悪いことに、まだあいつが起き上がるまでの猶予期間はある。その間に、せいぜい悩むんだな」
「選択を渋るだけの執行猶予はまだあるってわけですね。不幸なことに」
私を精神的に追い込むだけの時間はたっぷりあるということか。
いよいよもって、胃がもたれてきた。
先に言っておくと、私の世界は半径5メートル以内で完結している。
だからその範囲内で何か起こらない限り、世界の終わりとか言われても大した実感は持てない。
ちなみに最近世界の終わりを身近に感じた出来事は、行きつけのコンビニが潰れたこと。 大事なもの、と言われても。
まず思い浮かぶのは友達か?
「ねー、これツツキはどう思う? ちょいヤバめだよね」
幼馴染みのクマリちゃんが、スマホの画面を見せながら話しかけてくる。
最近は魔神の方にかまけてばかりで、クマリとはあまり遊べていなかったのに、こうしてまだ友達で居てくれるのはありがたい話だ。
おかげで私は女子高生がどんな会話をしていたのか、すっかり忘れてしまったいるが。
「う、うん。マジヤバいよねー」
お決まりのセリフ。女子高生の会話なんて大抵これでやり過ごせる。それくらいには中身が無い。
「ところでさ」
「何? ツツキ」
「明日世界が滅ぶとして、最後に一緒に居るのが私ってのはアリ?」
「え? 何その〝無人島に一人持って行くなら誰か?〟みたいな話」
「で、どう? 実際。私と二人きりで生きていくとか、クマリ的にはアリ?」
うーん、と腕を組んで考え込むクマリ。
「まぁナシではないかなー」
なんとも煮え切らない答えだ。
「その心は?」
「ツツキのこと嫌いじゃないけど、それでも最終メンバーとしては微妙っつーか。ぶっちゃけ『ツツキかー』ってなるところはある」
「何それ。私、『じゃない方』の枠?」
「別にツツキでもいいんだけど、他に選べる相手が居るならそっち優先しちゃう的な?」
「あー。わかる、それ」
別に嫌いじゃないけど最優先でもないというか。
「でも別にツツキが最期を添い遂げる相手でも、後悔はないかな。退屈しなさそうだし」
「そっか。じゃあ、そういうことにしとく」
「てか、どったの急に。余命宣告でも食らった?」
「まーそんなとこ」
「そっかー、骨は拾ってあげるからね」
私の前で両手を合わせるクマリ。
何となく落ち込んでいたような、暗い気分が少し晴れるような気がした。
こういう時、友達の存在は本当にありがたい。
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