ぼくのしってるじだいしょうせつとちがう(ふるえごえ
一言紹介の時点でもうぶっ飛んでる本作。
説明によってその正気を失った設定に関しては、百歩ほど譲って飲み込むことができました。
私は正気を失うのが得意なので。
成程、茶の湯の道が咖哩に。
茶を点てる代わりに、スパイスを混ぜ合わせたり、肉や野菜を炒めたり煮立てたりといった細やかな部分で色々と極め、そういう部分の違いを利き咖哩をすることで技量を測る……。
頭のおかしさも、突き詰めて極めれば「道」となる、か……。
至高と呼ばれる神髄部分に辿り着く人々というのは、得てしてこういう狂人じみた思考を形にしてしまうのでしょうね。
そしてその脇では全く真面目なお顔で(いや咖哩部分も真面目腐った顔ですが)、重厚な歴史ものの政治的なやり取りが交わされているのですから、けったいなものです。
この落差と言いましょうか、真面目とお馬鹿の寒暖差が激し過ぎて、風邪でもこじらせてしまいそうです。
でも、ですよ。
咖哩化した茶道ごときで失禁なんかしている場合じゃありません。
それは、この作品の恐ろしさのほんの入り口にすぎません。
基本の「き」、キジルシの「き」部分でしかありません。
断言します、この作品を読み進めることで、あなたは確実に二回は顔が宇宙猫になります。
ネタバレを避けるため子細には言えませんが、咖哩あたりの設定だけが狂ってるわけではない、とだけ言っておきます。
いやぁ、どんな咖哩食ったらこんなインフルエンザの時に見る夢めいたもの書けるんでしょうね……。
自分はまだまだだと思い知らされました。
世界って広い。
本格派の時代劇であることは間違いありません。
主人公と元師範の間で繰り広げられる、重厚で骨太な物語。
そこに、この時代の文化を象徴する「茶の世界」が美しく絡み、数奇な運命の中で“道”を極めようとする登場人物たちが、実に魅力的です。
文体もまた落ち着いていて、大人の空気をしっかりと漂わせている。
……それは、そうなのですが。
なぜでしょう。
どうしても プッ と吹き出してしまう、この独特のセンス。
重厚さと品格を保ったまま、絶妙な角度で差し込まれるユーモア。
はっきり言って、このノリ――大好きです。
そして読み終えたあなたは、きっとこう思うはず。
「明日は珈喱を食べ…………いや、“飲み”たいと♩」