第21話
それからさらに数日ののち、ユウは日課の稽古を終えて屋敷に戻ると、
「おや、ユウくん」と軽々と声をかけられ、驚いた。
「あ、フローデン候……」
と畏まった声を上げた。
リリアの父であり、フローデン領の領主にしてアントワーヌ家の現当主。
食堂などで顔を合わせることも少なくないが、一対一となると、どういう立場で接すればよいのか。イマイチ判然としなくて、ユウには苦手な相手である。平たくいえば、向き合っていて、居候の立場が明白に思い出される。トワイライトとじゃれ合っていることを思い出すと、斬首、の言葉が頭をよぎったりもする。
「そうかたくなることはないよ」きれいに撫でつけた白髪の七三に片手を当てて、口の上にある小さな髭も撫でる。
「君はリリアの友人であるし、この国の人でもないし、なによりフローデン領は二度も君に救われている」
「救いましたっけ?」
「用水のことも、アシュレイ村のことも、君のおかげだと思っているよ。二つのことがなければ、いまごろアントワーヌは転覆していたよ」
ほほほ、と闊達として笑う。
「おれは愚痴を垂れたまでで、あれもこれも行動した人が偉いのです。おれの手柄ではありません」
「ほほ、謙虚だねえ」どうだい、とフローデン候は続け、「これから一つ、馬を走らせて来ようと思うんだ。君も来ないかい?」
「はあ」と頭を掻いたが、断ることもできず、同行した。
馬上の人となって平原を駆け、丘陵を越える。
中央荒野。
水源のない黄土の砂塵吹き荒ぶ不毛の荒野、というが、さすがにこの時期は降雨があり、昼夜の寒暖差によって朝露も多く、コケ類と地衣類、小さな花々が点々と繁茂していて、一面を緑に覆われた西部の大地以上に過酷な極限環境でも生きていける生命の証明を如実に表して、またユウを感動させていた。
二人である。たったの二人。
隣にいるのは一地方の統括者である。当然護衛がつこうとした。それをフローデン候が固辞したのだ。荒野の真ん中をユウと二人駆けるだけである。なにから守るというのか、それとも、彼が刺客だとでもいうのか。そのような礼を失することをわたしにさせるのか。とまでいって周囲を黙らせた。
蹄が丘陵のかたい地面を噛む。馬体が加速して風を切った。
愛馬の脈拍と呼吸を聞きながら、ユウは中央荒野の絶景を傍観しつつ、わずかに先行するフローデン候の背広を見た。
なにかを伝えようとしている。末永くフローデン領にいてほしい、と語った夫人の顔も思い出される。まさか、ここまで来て、斬首ではあるまい。
馬足は徐々に衰えてゆく。
二人、特に何事もない、世間話を重ねながら夏の乾いた風を全身に浴びていた。ユウの世界のこと、どんな世界で、どんなことをしていたのか、家族も友人も心配しているだろう。
「サンマルクならなにか知っている人物がいるかもしれない」
「サンマルク?」
「ヘリオス教会領サンマルク。聖人ジョゼの聖廟があるところだ。君がジョゼと同じ世界から来たというなら、何か得られることがあるかもしれない」
フローデン候ははるか東を指し示し、
「中央荒野を渡り、帝都を越え、さらに東、ラピオラナ山脈を越えて南に下ったところにある」
「帝都を越えて、ですか」
「君が行きたい、というなら、支援するつもりだ」
「本当ですか?」
「君にはその資格が充分にあるよ」
サンマルクへ行くには東へ進路を取る。中央荒野を渡り、帝都を経由するのが主なルートだ。
帝都へ行く。
機会が訪れた。
我知らず、白剣の柄を撫でていた。
行くのか? おれは。
いつかの自問が再び脳内に去来する。
どうする?
「しかしね」と呟くフローデン候に、ユウは視線を戻した。吐き出されたその音色に、原野を眺める瞳に、哀愁の色が漂っていた。
「できることなら、もうしばらくここに留まって、リリアの手助けをしてもらえたら、光栄なのだが」
「リリアの、ですか」
リリアの小さな顔が頭に浮かんだ。コロコロと笑っては泣いて、歓喜の声を上げる、彼女の顔が。
「ああ」とフローデン候はため息同然に呟いた。「だが、こういう言い方は卑怯かもしれないな」
なるほど、とユウは得心した。
「親心というものですね」とユウは笑っていた。「愛ゆえに、ですよ」
「はは、愛ゆえに、か。そうかもしれない」
フローデン候が馬腹を蹴った。疾風となった人馬にユウは追いついて、二人はさらに速度を増してゆく。
「君のような男が、あの子のそばにいてくれれば良いのだが」
その声は風に揉まれて遥かな大地を吹き渡っていった。
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アステリア戦記 圧縮版 りょん @swymt
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