七月十九日(土):部屋

 これは、私が大学生の頃に一人暮らしをしていた時の話です。

 都内の安いアパートに住んでいたのですが、七月のある夜、今思えばあの部屋は、どこか……おかしかったのかもしれない。

 

━━━━━━━刻━━━━━━━

 

 当時、私はバイト代の関係で、とにかく安い部屋を探していました。

 駅から近いけれど築四十年以上、家賃三万円という破格の条件で見つけた、古びたアパートの二階、その最奥の角部屋。

 狭くてじめじめしていましたが、なんとなく住めば都という気持ちで引っ越しました。

 管理人のおじさんは無口で、鍵を渡すときに「夜は静かだから、騒ぐなよ」とだけ言いました。

 それ以外は特に気になることはなかったのです。

 

━━━━━━━刻━━━━━━━

 

 じっとりとした湿気が肌にまとわりつく夜だった。深夜十一時頃、私は部屋に帰ってきた。

 エアコンをつけても生ぬるい空気が漂い、冷たい麦茶を飲みながら、ベッドに横になる。

 壁の時計を見ると、ちょうど十一時十九分。

 その数字を見て、なぜか少しひっかかるような感覚があった。

 ……ただの気のせいだと思い、スマホをいじりながらウトウトしていたんです。

 

━━━━━━━刻━━━━━━━

 

 その時、廊下からカン……カン……と、金属を叩くような音が聞こえてきた。

 この時間に誰かいるのかな、酔っ払いかな、と考えていると、音はぴたりと止まる。

 耳を澄ましていると——

「ピンポーン」

 ……玄関の呼び鈴が鳴った。

 びくりとして、慌ててドアスコープを覗くが、誰もいない。

 廊下も、薄暗い非常灯の光だけが静かに照らしているだけだ。

 息苦しいほどの静寂に耐えきれず、私はチェーンをかけたまま、ドアをわずかに開けた。

 すると、廊下の端に、白い服を着た長い髪の女が立っているのが見えた。

 ぴたりと壁に張り付くようにして、こちらをじっと見ている。

 目が合ったと思った瞬間、彼女はまるで最初からそこにいなかったかのように、音もなく、角の向こうへと消え失せた。

 

━━━━━━━刻━━━━━━━

 

 私は慌ててドアを閉め、鍵とチェーンをかけ、時計を見る。

 信じられないことに、時計は、まだ十一時十九分を指したままだった。ほんの数分前、確かにこの目で見た、あの忌まわしい数字の羅列が、寸分違わずそこにあった。

 あれから、どれほどの時間が流れただろう。なのに、時計の針は、まるで呪われたようにぴくりとも動いていない。

「……止まってる……?」

 背筋を悪寒が這い上がり、嫌な汗がじわりと滲み出た。

 するとまた、「ピンポーン」と呼び鈴が鳴った。

続いて、ドアの向こうから、女の声が聞こえた。ひどく掠れて、それでいて、耳の奥にへばりつくような低い囁き声が。

「……開けて……七月十九日……だから……」

 恐怖に震えながら、私はスマホで必死にお経を流し、固く目を閉じた。どれくらいの時間がそうして過ぎたのか。やがて、全ての音が、まるで最初からなかったかのように、ぴたりと止んだ。

 

━━━━━━━刻━━━━━━━

 

 翌朝、どうしても気になって、管理人に声をかけた。

「……あの、昨日の夜、なんか変な音とかしませんでした……?」

 管理人は、掃除の手を止めて、しばらく私を見ていたが、やがて小さく呟いた。

「……ああ。……あんたの部屋、かい……」

「あの部屋はな、七月の、とある夜だけ、帰ってくるんだよ……十五年前、そこで死んだ、あの人がな。」

 それ以上は何も言わず、管理人は黙って掃除を続けた。

 あの時見た女は、十五年前にあの部屋で亡くなった、かつての住人だったのだろうか。

 今でも、七月十九日の夜が近づくと、あの時計の針が十一時十九分のまま止まっている夢を見るのだ。

 ……これは、そんな一晩の話でした。

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