第6話 そして聖女は、魔竜になった

 闇の中へ身体が落下していく。

 リオナは風が身を切っていくのを感じた。

 「ピィィィ」と甲高い鳥の鳴き声のようなものが自分の方へ向かってくるのが聞こえる。


「来たわね」


 そう呟いた時には、人間の女の上半身を持つ鳥型の魔物――ハーピィが彼女の腕に深く噛みついていた。


 落下が止まり、身体が宙づりになる。

 牙が腕に深く食い込み、血がぽたぽたと腕をつたって顔に流れた。


 何匹ものハーピィが周囲を取り囲み、羽音を鳴らしている。

 下を見れば、谷底の岩場が見えた。


 リオナは瞳を閉じると、祈った。

 身体から白い光が放たれる。それは魔を退ける聖魔法の光だった。


「ビィィィ」


 光を浴びたハーピィは、慌てたようにリオナの腕から牙を離した。

 リオナの身体は、どさりと谷底に叩きつけられた。

 ぼきりと骨が砕ける音がした。


 リオナはそれでも目を閉じて祈るのを止めなかった。

 身体の傷は聖なる光の中で癒されていく。

 

 いつの間にか彼女の周りを取り囲むように狼のような魔物や、巨大な蜘蛛のような魔物や、蛇のような魔物が姿を現していた。


 魔物は人間を喰らい、その魔力を得る。

 彼らは、強い魔力に引き寄せられて集まってきたのだった。

 リオナが聖なる光を発している限り、彼らは彼女を襲うことができなかった。

 だから、その光が切れるのを今か今かと待っているのだった。


「――あなたたちじゃ、だめね」


 リオナはゆっくりと、谷底を歩き出した。

 喰われるなら、より強い魔物に、丸ごと喰われなければ意味がない。

 瞳を閉じ、より祈る力を強くする。魔力が強ければ強いほど、より凶暴な魔物を引き寄せるはずだ。


 やがて、彼女の上に大きな影が現れた。

 リオナは瞳を開け、上を見上げた。巨大な黒い竜が羽を広げて頭上を旋回している。


「あなたが、いいわ」


 黒竜以外が自分に近づけないよう、祈りによる光の壁を周囲に広げ、上方の護りを消す。

 そのことに気づいた竜はリオナへ向かって下降した。

 魔物特有の赤い瞳で獲物を見定め、大きな口を開ける。


「私を食べて、丸ごと」


 その牙を受け入れるように、リオナは両手を大きく広げた。

 彼女の身体は、頭から竜の口の中へ飲み込まれた。

 

 牙が身体を押し潰す。

 リオナは自分が肉塊になり食べられて行くのを感じながら、強く念じた。


 ――許さない、絶対に――


 ――ローガンも、イザベラも、全員、殺してやるーー


 その強い思念は彼女の魔力に宿り、竜の身体へと溶け込んだ。


 ――やがて、食事を終えた竜は、一声、咆哮を上げた。

 かっと開いた瞳は、青い色に変わっている。

 竜の口の奥から、低い言葉が漏れた。


「ユ、ル、サ、ナ、イ」


 竜はだんっと地面を蹴ると翼を広げ、谷底から飛び上がった。


 ◇


 黒竜は自分の中に『言葉』を生まれて初めて感じていた。

 今までは、ただ、空腹感を満たしたいという欲求だけで獲物を求め、襲い、喰らいつくだけだった。しかし、今は違う。


「――ローガ、ン、イザ、べ、ラ」


 頭の中に浮かぶ文字を口から発する。

 そこで自分は吠えるだけでなく、話すことができるのだと竜は初めて気づいた。


 ――ナンダ、コノ、キモチは、


 空腹感ではない、体中の血が沸騰するような感覚を竜は感じた。


 ――私ハ、ユルサナイ


 頭の中で知らない声が響く。

 これは『怒り』だと、感情の名前をその声が知らせる。


 ――行カナケレバ


 空中を駆け上がる黒竜ははっきりとそう考えた。

 

 谷の上に辿り着く。目の前には薄い白い光の壁があった。

 今まで、何度かこの光の壁に近づき、鱗が燃えるような感覚を感じ、逃げ去った覚えがあった。――でも今は、違う。


 竜はこの光を通り抜ける方法を知っていた。

 両手の爪を、人間が手を組むように合わせると、竜は青い瞳を閉じた。

 だんだんと、身体の周りに白い光が湧き出してくる。


 そのまま、内側から白く輝く竜は、白い光の壁――聖壁を通り抜けた。

 竜が通った後、その光の壁の一部は黒く濁り――その光を失った。

 

 ◇


「ローガン様、あの雷の一撃、お見事でしたわ」


 宮殿の中、豪華な寝室でベッドに寄り掛かったローガンは、イザベラの注いだ赤いワインを飲みながら、「当たり前だ」と鼻を鳴らした。


「国王たる者、あれくらいは当然だ」


「それにしても」とローガンは不快そうに眉をひそめる。


「兵士たちは情けない。あんなガキひとりに苦戦し、何人も死ぬとは。僕が鍛え直してやらなければいけないな。あんな有様では、我が国の国土を広げることなどできないではないか」


 イザベラは、彼に寄り掛かると深く頷いた。


「本当ですわね。みんな、ローガン様のようにお強ければ、ロゼッタ王国はどの国より広く、豊かになりますのに」


 ローガンは満足そうに笑って、妻を抱き寄せキスをする。


「やはり、お前はかわいい女だ。アーガディン公爵家のすべての財産・領地はお前にやろう」


 その時だった。

 多数の足音が響いて、勢いよく寝室の扉が開けられる。


「何事だ!」


 駆け込んできた兵士に、いいところを台無しにされたローガンは罵声を浴びせた。

 ところが兵士は、非常に慌てた様子で、お返しに怒鳴るように返事した。


「国王様! 竜が、魔物が、王都内に、侵入しました!!!」


 ローガンは眉根を寄せる。


「何? そんなことがあるわけないだろう! おじい様の代より、魔物が王都に侵入したことなど一度も……」


 一度もなかっただろう、と言おうとした時、寝室が激しく揺れた。


「きゃあああああ」


 イザベラの悲鳴が響き渡る。

 上からぱらぱらと石が落ちてきたかと思うと、ガラガラガラと大きな音を立ててそのまま石造りの天井は崩れ落ちた。


「ぐぁああ」


 叫び声を残して兵士の身体は、天井をぶち抜いて現れた黒い影に押しつぶされる。

 寝台の後ろに後ずさりするローガンとイザベラの前に現れたのは、青い瞳の黒竜だった。


「イザベラ! 祈りを!!」


 ローガンは壁際に立てかけられた剣に向かって走った。


「は、はい」


 イザベラは慌てて胸の前で手を組んで瞳を閉じたが、気が動転して祈りのための集中ができなかった。


「何をしてるんだッ!!!」


 ローガンは憤慨して、怒鳴り声を上げた。

 その間に黒竜はどしどしと足音を鳴らし、二人ににじりよった。

 青い瞳が二人を捉える。竜はゆっくりと、大きく口を開けた。


「ム、ク、イ、ヲ」


 喉の奥から竜は絞り出すように、濁った発音で言葉を発した。


 ローガンは中の真っ赤な口の奥を呆然と見つめ、呟いた。


「お前は……、リオナ……?」


 言い終わる前に、竜の口から炎が噴き出した。

 その炎はローガンとイザベラを焼き尽くす。


「国王様! 王妃様!!」


 駆け付けた兵士は砂埃と煙の立ち込める王の寝室に、黒焦げになった二体の骨と青い瞳の黒竜を見つけ、悲鳴を上げた。


 黒竜は兵士を一瞥すると、翼を広げ、突き破った天井を抜け宮殿の上の空へと飛び立った。

 ――そして――そのまま、遠くの空へ姿を消した。


 『谷落とし』の刑罰が行われる谷では、翼を持つ魔物、ハーピィたちが竜の通った光の壁を抜けその内側へと侵入した。彼らは多数の獲物の匂いを鼻で嗅ぎつけていた。


 キィィィィィ


 鳥の魔物の鳴き声が王都の空に木霊し、やがて人々の悲鳴が鳴り響いた。

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